【小説家いぬじゅんさん(浜松市)の新著「世界の終わり、君と誓った3つの約束」】12月25日に「地球がこわれる」。恋愛小説とパニック小説の巧妙な絡み合わせ
静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。今回は7月28日初版発行(奥付)の小説家いぬじゅんさん(浜松市)の新著「世界の終わり、君と誓った3つの約束」(スターツ出版)を題材に。
いぬじゅんさんは2019年と2022年の「静岡書店大賞」で、それぞれ「この冬、いなくなる君へ」(ポプラ社)「この恋が、かなうなら」(集英社)が「映像化したい文庫部門」の一冊に選ばれている。この部門で2回受賞したことのある作家はいない。偉業と言えるだろう。
新作もまた、「映像化したらどうなるだろう」と想像させるに十分なスペクタクルが盛り込まれている。ただ、そのスケールは題名を挙げた2作の比ではない。映画監督の顔をあれこれ思い浮かべてみたが、新作はリドリー・スコットやジェームズ・キャメロンあたりでないと映像化できないのではないか。
とにかく作品世界のフレームがデカい。地球規模の異変が物語を動かしていく。それなのに、というべきか。だからこそ、というべきか。そんな壮大な舞台装置の中で展開されるのは、古典的とも言えるようなティーンエージャーの淡い恋バナ。この落差、日本の恋愛小説史上最大ではないか。
地球温暖化が進んだ2050年の日本のとある島で、12月25日に「地球がこわれる」ことを知った高校生男女が、人々の救済に立ち上がる。彼らは学校で災害を予告するが、そのせいで周囲から疎まれ、つまはじきにされかける。しかし、しばらくして同じ内容を政府が発表。地震が頻発し、海面上昇が進む。逃げるのか、とどまるのか。人々は選択を迫られる。
絶望的な状況が淡々と描かれるが、その前景として置かれた高校生たちの恋愛絵模様は実にけなげで、誠実で、そしてどこか背中を蹴飛ばしたくなるほど臆病である。大災害が発生した後、我が身を省みず人々を救出しようとする勇気、行動力とのアンバランスが際立つ。
読み進めるうちに、物語から形が判然としないものが浮かび上がってくる。「それ」はどんどん大きくなり、輪郭線がどんどん太くなり、重量が増していく。「それ」はつまり、10代における「○○が好き」というかけがえのない気持ちである。
いぬじゅんさんが用意した壮大な設定は、これを伝えるための巧妙な装置として機能する。誰も体験したことのないことが描写されているが、誰もが抱えたことのある感情が同時に描かれている。この二つを無理なく同居させる手練手管に感じ入った。
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