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「森鴎外の人生の転換期が小倉にあったのは凄いこと」小倉郷土会副会長・轟良子さん

北九州ノコト

(アイキャッチ画像:轟良子さん)

西日本新聞社北九州本社が制作するラジオ番組「ファンファン北九州」。地元新聞社ならではのディープな情報&北九州の魅力を紹介しています。ラジオを聞き逃した人のために、放送された番組の内容を『北九州ノコト』で振り返ります。今回のゲストは、小倉郷土会副会長、北九州森鷗外記念会理事の轟良子さんです。

地域の文学活動にも尽力

甲木:おはようございます。西日本新聞社・ナビゲーターの甲木正子です。

野口:同じく、西日本新聞社・野口喜久子です。

甲木:先週は北九州市立図書館のいろんなお話や、そもそも図書館は民主主義の要であるとか、すごい素敵なお話をたくさん聞きましたね。

野口:本当に本の歴史などお聞きして、大変感動しました。

甲木:今週は先週に引き続き、長年、北九州市立図書館に勤めて退職後も本の案内役を続けていらっしゃる、轟良子さんをお迎えしてお話を伺います。轟さん今日もよろしくお願いします。

野口:よろしくお願いします。

轟:よろしくお願いします。

甲木:轟さんは図書館勤務の傍ら、小倉郷土会や北九州森鷗外記念会などの団体で理事を務めるなど、地域の文学活動にも熱心に取り組んでおられます。その他、梅光学院大学や九州女子大学などで絵本や読書についての講義もされていました。今日はそのような図書館以外の話も、お伺いしてもよろしいでしょうか?

轟:はい。小倉郷土会という会で世話係をさせて頂いています。この郷土会というのは、昭和10年に発足したんです。ですから、今年で89年になり歴史があります。小倉藩は幕末に小倉城を焼いて田川郡香春に撤退したため、譜代大名なのに史料が残っていないのです。それで小倉郷土会の人たちは失われた歴史を調べて残していきたいという気持ちがあって、このような会を始めたのだと思っています。

小倉は城下町から軍都、そして近代工業都市と大きく変わっていきます。その時々のことを小倉郷土会の人たちは書いて、「豊前」とか「記録」という機関紙を発行して来ました。

例えば、よくご存知の松本清張も小倉郷土会の会員でした。そして小倉で初めて森鷗外の顕彰をした、田上耕作も小倉郷土会の会員だったのです。松本清張は彼をモデルに“或る「小倉日記」伝”を書いて芥川賞を受賞します。そして、東京に行ってベストセラー作家になるのです。

清張さんが亡くなる少し前に、宗像市での講演を聞きまして、こんなふうに語っておられました。「小倉には小倉の良さがあるではないか。ミニ東京化してどうするんだと帰る度に思います」と。確かに、1962年12月に小倉郷土会が中心になって、紫川のそばに森鷗外文学碑を建立するなど、小倉郷土会はこの北九州独自の良さを残していく活動をしてきました。その積み重ねから森鷗外旧居の復元とか公開が決まっていきます。

森鷗外旧居の復元 鷗外の人生の転換期は「小倉」にあった

甲木:森鷗外旧居は、鍛治町の鷗外ストリートにありますが、あの旧居は小倉郷土会のお陰で復元されたのですか?

轟:もともと小倉郷土会が森鷗外の顕彰をずっと行っていたんです。そのことに対して当時の谷伍平市長が理解を示して、この旧居を復元して、そして公開しようと決断してくださったのです。だから小倉郷土会と北九州森鷗外記念会というのは兄弟みたいな関係なのです。第一土曜日に午後2時からこの鷗外旧居で鷗外を語る会を開いています。その会で私は4月6日に“森鷗外夫妻の小説「波」から「半日」への光と影”という題で話をさせて頂きました。

小倉は鷗外先生のご夫妻にとって、結婚し、新婚生活を過ごした場所なのです。18歳年下の新妻は、生涯の中で一番楽しかったのがこの小倉時代といっていました。これは次女の小堀杏奴さんから直接お聞きしました。楽しい小倉から東京に帰って嫁姑問題が勃発するんですよ。地獄の始まりです。それを7年間悩んだ鷗外先生がその嫁姑の争いを“半日”という小説に書き、その小説の続編“一夜”を読んだ奥様が原稿をビリビリに破いてしまうんです。鷗外先生はその小説を出版しない代わりに、お母様に謝罪をするという条件を出します。

鷗外先生はこれを皮切りに、文豪と呼ばれるほどのたくさんの作品を書いていきます。そして奥様にも小説を書くことを勧めて、家庭内の平和を取り戻すんです。「このごろ、志げが大人しくなった」と、お母様は喜んで日記に書いています。だから書くことにはそういう効果がありますし、鴎外の人生の転換期が、小倉にあったということは凄いことだと私は思って活動をしています。

小倉郷土会の機関紙「記録」が25年ぶりに復活

甲木:郷土会の話に戻りますが、機関紙の「記録」が25年ぶりに復活したと、昨年11月の西日本新聞に載っていました。25年ぶりに復活させるというのはどうしてでしょうか?

轟:もともと小倉郷土会は機関紙「記録」を作ってきたのですけれども、やはり財政的にも労力的にも機関紙を出すというのは大変だったのだと思います。でもここで途切れてさせてはいけないと言う思いがあったので、25年ぶりに力を合わせて出すことができました。

甲木:なるほど。先週、今週と2回に渡って、本の案内役の轟 良子さんにお話を伺いましたけれども、野口さんいかがでしたか?

野口:そうですね。私は、赴任してきて7カ月になります。先生がお勧めする本を今ずっと読んでいます。それによって北九州がより好きになり、歴史の裏側、その土地のことをいろいろ勉強させて頂いて、本当にありがたいと思ってます。

轟:こちらこそありがとうございます。嬉しいです。

甲木:そういう北九州を知らない人が北九州を知るツールとして、北九州ゆかりの本を読んでもらうというのはあるかもしれませんね。

轟:『地球の歩き方 北九州市』という本もすごく売れているそうで嬉しいです。

甲木:これからも、西日本新聞のフリーペーパー、ファンファン北九州に“ファンホン(本)北九州”の連載をぜひ続けて下さい。

轟:ありがとうございます。

甲木:先週、今週2回に渡って、本の案内役の轟 良子さんにお話を伺いました。どうもありがとうございました。

野口:ありがとうございました。

轟: ありがとうございました。

〇ゲスト:轟良子さん (小倉郷土会副会長、北九州森鷗外記念会理事)
〇出演:甲木正子、野口喜久子(西日本新聞社北九州本社)

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