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50を過ぎたら「残したいもの」を考える。元ポーラ社長・及川美紀氏が語る「定年前の働く意味」とは?

新しい働き方メディア

自分らしいキャリア構築を考える女性たち300人以上が集まった『Women’s Wellbeing Fes 2025』。ウェルビーイング研究を取り入れた女性向けキャリアスクールICORE(代表:安藤美玖)が主催した女性のためのフェスに、元ポーラ社長の及川美紀氏が特別登壇。30代、40代を中心としたキャリアに向き合う女性たちを釘付けにしました。講演後、単独インタビューを行いました。

及川さんに50代のモヤモヤをぶつけてみた

2024年12月、33年勤めたポーラを退職した及川美紀氏。社長退任に合わせて会社も退職し、当時56歳で、定年を待たずして「ジョブレス」という第二の人生を踏み出しました。そんな及川氏に、50代のキャリア女性が抱えるモヤモヤをぶつけてみました。

「昭和世代」と呼ばれる働く女性も、気がついたら50代。すぐそこには定年が控えています。50代女性はバブル後期に社会に出た「男女雇用機会均等法第一世代」です。男性と同じように働くという新しい価値観のもと、精力的に働く「バリキャリ」と呼ばれました。しかし、どれだけ頑張っても男性社会が主流だった時代に評価されるためには、着ぐるみを着るように、自分らしさを隠して組織に合わせる必要がありました。

輝かしいキャリアを持つ及川氏も「私は仕事が大好きだったから、一生懸命働きました。でも、着ぐるみは着れない。そうだとしたら辞めていた」ときっぱり。ポーラは入社当時からダイバーシティーが整った会社だったといいます。保育園で子供が熱を出し電話がかかってくると、上司がわざと大きな声で「保育園から? 熱を出したの? お母さんが行ってあげなきゃ」と言ってくれる、そんな職場だったというのです。

「何のために働いてきたんだろう?」定年を控えたOLのつぶやき

昭和世代とは何だったのでしょうか。当時、女性は25日を過ぎたら商品価値が下がるクリスマスケーキに例えられたように、まだまだ結婚・寿退社が花の時代だったのです。結婚後も仕事を続けるには、夫や両親の理解(中には許可)が必要でした。「仕事と家庭を両立する」という条件で仕事を続けても、出産の壁は高かった。産休・育休の制度はあったものの、出産すなわち退職という暗黙のルールもありました。

結婚、出産を乗り越え、または出産を諦めて組織に残った女性に待ち受けていたのは「ガラスの天井」でした。実績をあげても、ある役職を境に昇進できないというもの。一方で、出産・育児でキャリアを諦めた女性も多かった。子供の手が離れて再就職を考えても、思うようなポジションにつけない。派遣法の制定で正規雇用を望んでも非正規雇用の道しか残されていない現実に直面した人も。

もちろん、確実にキャリアを積んだ女性もいます。2015年には「女性活躍推進法」が成立、女性の採用や管理職登用に関する「行動計画」の策定と公表が義務化されました(行動計画)。しかし、思い描いたキャリアパスを実現できた人ばかりではありません。

それでも仕事を続けるために生き残った女性たちも、今や50代。

大手企業に勤務する女性のモヤモヤ「定年したら通勤用の洋服は全部捨てる。何のために働いてきたのだろう」のことを話すと、及川氏は即答してくれました。

50代になったら、残された時間で何ができるかを考える

「50代になったら、見る世界が違うんです。上司や辛かった過去を見るのではなく、後輩のために作ってきた道や、これからの人たちのために残された時間で何ができるかを考える方がいい」

及川氏の有名なエピソードに“デスノート”があります。“デスノート”とは、30〜40代にびっしり仕事のことを書き綴っていたノートのこと。忘れたくないと思ったこと、その中には、悔しい思いもあったといいますが、うれしいことや忘れてはいけない大切な言葉を書いていたそうです。それは「うまくいかないことや自分の未熟さを見返して、未来に向かうためのノート」。

仕事が大好きだからこそ、ノートを通して自分と向き合ってきた及川氏。

「でも今は、デスノートは見ない」と教えてくれました。

自分のできることをやったら、ノーサイド

「先輩たちが切り開いてきた道を私は歩くことができた。だから50代になったら、後輩たちのために何ができるかを考える」

2024年12月、ポーラの社長退任と同時に、56歳で自らジョブレスの道を選んだ及川氏。

「社長を辞めるということは、在任中の評価を手放し、周囲に委ねるということです。それがよい評価であっても、悪い評価であっても。及川みたいになりたくない、と思われてもいい。喜んでくれるかもしれないし、こんなの嫌だわって思うかもしれない。会社に何が残せたかは、後の時代の人が決めること。だから、自分ができることをやるだけ」

だから、「自分のしてきたことが終わったら、ノーサイド」

自分の苦労は報われるのか、会社に尽くした意味はあったのかと思う人は多いかもしれません。でも、及川氏は「たった一人でも、自分の切り開いた道を歩いてくれる人がいたらそれでいい。だから定年になってもスーツは捨てなくてもいいんですよ」とにっこり。

ノーサイドとはラグビーで試合終了のこと。戦いが終わったのち、敵味方なく、互いの健闘をたたえあうことです。いろんなものと闘ってきた50代だからこそ、ノーサイドという言葉が響きます。

定年は長いキャリアを終わらせることですが、そこから新たにはじまるキャリアをどう築くか、ヒントになりそうです。

写真提供/株式会社ICORE

取材・文/長谷川恵子

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