祖父松本白鸚、父松本幸四郎が市川染五郎時代に演じた高麗屋ゆかりの演目『ハムレット』で、21歳の当代染五郎が初めて本格的にシェイクスピア劇に挑む。
21歳になった市川染五郎が主役を勤める舞台『ハムレット』が5月9日に東京・日生劇場で幕を開けた。八代目染五郎を襲名したばかりの13歳のとき、早稲田大学演劇博物館の企画で、『ハムレット』の一部の朗読を披露していたが、いよいよ本格的にシェイクスピア劇に対峙することになった。染五郎の高祖父に当たる初代松本白鸚は、八代目松本幸四郎時代にシェイクスピアの『オセロ』に主演し大きな話題となった。デズデモーナに新珠三千代、イアーゴに森雅之というキャスティングだった。
祖父の二代目松本白鸚は、シェイクスピア四大悲劇と呼ばれる『ハムレット』、『マクベス』、『オセロ』、『リア王』をすべて演じており、常に第一線で活躍する演技力と人間力とを備えた俳優だからこその仕事を見せている。『ハムレット』を演じた最初は17歳でのテレビ(福田恆存による初めてのテレビドラマ演出)で、当時最年少でのハムレットだった。舞台では市川染五郎時代の1972年に日生劇場で演じており、高橋幸治、草笛光子、山口果林、小沢栄太郎らが出演していた。
父である十代目松本幸四郎もやはり染五郎時代の87年14歳のとき三百人劇場で『ハムレット』を演じ、父のもつ最年少記録を破った。歌舞伎以外の初めての芝居出演だった。その高麗屋の血統は途絶えることなく、現・染五郎にも受けつがれている。
▲キュービジュアル衣裳デザイン・フォトグラフィー(市川染五郎):中里唯馬
今回ハムレットを演じるに当たり、「私の家(高麗屋)にとっても大切な作品で、それに挑戦する第一歩を踏み出せることはとても嬉しいです。どこか、今までのハムレットとは違うものをお見せできるのではないかという期待もあります」と製作会見に出席した当代染五郎の右手の人差し指にはリングが。
「祖父がハムレットを演じるときにつけていたリングで、きょうもお守りのような感じでつけてきました。本番でも身につけたいと思います。祖父と父からはハムレットを演じた先輩のアドバイスとしてフェンシングをやらなきゃね、と言われています」と明かす。
昨年6月に『ハムレット』をやることが決まったときには、「歌舞伎もそうですが、シェイクスピア劇は現代人の価値観や感覚では理解しづらい部分も多いと感じます。それをいかにして現代の方々の心に届けるか。生きた演劇、生きた『ハムレット』を目指して取り組みたいと思います」とストレートプレイ初主演の意欲を語っていた。
さらに、「13歳のときの朗読劇では『ハムレット』の哲学的な部分も含めて何も理解できないまま終わったという悔しさがありました。今でも十分に理解できていないかもしれませんが、より深いところまでハムレットという人物を見つめていく機会を与えていただけたのは嬉しいことです」と、おだやかな話しぶりにも闘志がうかがえる。
今作で演出を手がけるのは、イギリス出身で88年の松竹の舞台『危険な関係』で初来日を果たし、93年からはシアタープロジェクト・東京(TPT)の芸術監督を務め、TPTで演出した『テレーズ・ラカン』は、第1回読売演劇大賞と演劇作品賞、紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞し、日本の演劇ファンにはおなじみのデヴィッド・ルヴォー。96年には銀座セゾン劇場での九代目松本幸四郎(現・二代目松本白鸚)主演による『マクベス』(今作同様松岡和子翻訳)の演出を手がけている。歌舞伎の舞台で初めて当代染五郎を観たとき、なんて知性のある俳優なんだろう、ハムレットにぴったりの俳優だと感じたという。
染五郎が海外の演出家と組むのも初めてである。稽古の真っ只中にNHKのトーク番組に出演した染五郎は「(デヴィッド・ルヴォーの)アイデアや稽古場で生まれてくるものがとても斬新です。もちろん原作のハムレットの人物像の枠からは外れずに、ハムレットをそんな部分で表現するんだといった、今までのハムレットのイメージとはどこか違う斬新なものが次々に生まれていく稽古場です」と語っている。
▲キュービジュアル衣裳デザイン・フォトグラフィー(市川染五郎):中里唯馬
デヴィッド・ルヴォーが今回、どのような思いで『ハムレット』に向き合うのか、ルヴォーのコメントにしっかりと語られている。『ハムレット』は何よりもまず、若者の悲劇であり、政治のシニカルな「現実」に支配された世界における、若者の命そして想像力の浪費の物語だと言い、
「この戯曲を今日上演するにあたり、初めて本格的にシェイクスピアに取り組む、類まれな才能の持ち主である染五郎さんとご一緒できることは、非常に光栄なことです。そして、透明感のあるあみさん(當真あみ)も加わることで、若者の抵抗や反逆、そして彼らが私たちの未来にもたらす大いなる希望を探究する瞬間が訪れたと感じています。そしてこれは、シェイクスピアと、私たちが生きる現代社会との関係を改めて築く機会でもあります」
このコメントは、染五郎が言った「今までのハムレットととは違うものをお見せできるのではないか」という言葉に説得力をもたらし、染五郎とルヴォーのタッグがシェイクスピア劇の新たな地平を拓くのではないかと期待さえうながしてくれる。
NHKのトーク番組では稽古場の様子も紹介しており、有名なハムレットのセリフ「To be ,or not to be,that is the question」(今回の訳では「生きてこうあるか、消えてなくなるか、それが問題だ」というセリフになっているようだ)や、オフィーリアに向かって「尼寺へ行け」というシーンなどが映し出されていたが、演出家ルヴォーからの提案に耳を傾け応えながら、膨大なセリフと格闘する、と染五郎を紹介している。
「自分では疑問にすら思えなかったところをデヴィッドさんは紐解いてくれるので、そういう視点もあるのだなと、目から鱗的なことがたくさんあります。正解を与えるというのではなくて、ヒントをたくさん与えてくれます。どれが正解かわからないんですが、これが正解かなと思えた瞬間がすごく面白く、芝居をやっているのを実感します。役者が常に考えていなければならない稽古場はすごく大変ですが、いろんなものを提示され、その中から一つひとつピースを選んでいくような作業を楽しんでいます」と、いろんなものを吸収しようという意欲を見せていた。
オフィーリア役は、ルヴォーが透明感のあると評価する公開中の映画『人はなぜラブレターを書くのか』も好評の當真あみで、今回が初舞台となる。初めての舞台を不安と感じる以上にこの作品に参加させていただけることへの嬉しさが勝っていると意欲も十分である。ハムレットの叔父で敵役と言えるクローディアス役を演じる石黒賢は「まさか自分がシェイクスピアの作品に携わる日が来るとは思っていなかった」と言いながらも、「俳優は何かを手がかりに演技の扉が開くと感じていますが、身につける衣装やアクセサリーでその扉が開いた感じがします」と初シェイクスピア、初外国人演出という初めてづくしに挑んでいる。初めてといえば、ハムレットの母ガートルードを演じる柚香光も、花組トップスターとして活躍した宝塚歌劇団を退団後、初のストレートプレイ出演となり、「こんな早く実現できるとは思わなかった」と今回の役との嬉しいめぐりあいを喜んでいる。
また、オフィーリアの父で宰相ポローニアス役を演じるのは三谷幸喜作品の常連俳優としても知られる梶原善。ポローニアスの息子で、オフィーリアの兄レアティーズ役にはミュージカル『刀剣乱舞』シリーズなどの舞台で活躍しミュージカル『ロミオ&ジュリエット』など三度目のシェイクスピア作品となる石川凌雅。ハムレットの親友ホレイショーは劇団四季ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』で初舞台を踏み、子役として『ライオンキング』のヤングシンバ役を務めるなど数々の人気ミュージカルで観客を魅了し続けている横山賀三というキャスティングである。
初日前のゲネプロでは、「今回ハムレットを演じるのに何を選択すればいいのか、それは何を選択して生きていけばいいのかと悩むハムレットと重なり、染五郎とハムレットが一心同体となり稽古を重ねてきました」と言っていた染五郎。オフィーリア役の當真あみは、「今起きていることを観客のみなさんと共有してほしい」と演出家のルヴォーから繰り返し言われたという。「それは映像とは違う、舞台ならではという体験でした」と初舞台から俳優として何かをつかみとった様子だった。
現在、東京では本作をはじめ、吉田羊主演の『リチャード三世』、吉田鋼太郎主演の『リア王』とシェークスピア劇が3作品上演されている。「日本の演劇というものが、私の人生でとても大事なものになっている」というデヴィッド・ルヴォーは、繰り返し上演される芝居の、何かを新しく生まれ変わらせながら演劇と向き合っているという。そして『ハムレット』は現代の戯曲であると。なぜ繰り返し上演されるのか、それは人間のさまざまな立場でのすべての側面を描いているから、現代の俳優たち、現代の観客たちと共有できるのだと。
「ハムレットはロックスターだ」とデヴィッド・ルヴォーに言われたという市川染五郎。「エンジョイ! シェイクスピア」と激励されている。〝新しいハムレットの誕生〟と、多くの演劇ファンに注目される市川染五郎の『ハムレット』が、走り出した。
©松竹/梅田芸術劇場
ハムレット
作:ウィリアム・シェイクスピア
演出:デヴィッド・ルヴォー
翻訳・上演台本:松岡和子
出演:市川染五郎 當真あみ 石川凌雅 横山賀三 梶原善 柚香光 石黒賢
▲上段左から市川染五郎、當真あみ。中段左から石川凌雅、横山賀三。下段左から梶原善、柚香光、石黒賢。
<東京公演>
〔公演日程〕5月9日(土)~5月30日(土)
〔会場〕日生劇場
<大阪公演>
〔公演日程〕6月5日(金)~6月14日(日)
〔会場〕SkyシアターMBS
<愛知公演>
〔公演日程〕6月20日(土)~6月21日(日)
〔会場〕名古屋文理大学文化フォーラム(稲沢市民会館)大ホール
※未就学児童入場不可
舞台『ハムレット』公式サイト https://hamlet2026.jp