「自ら修正する力」を鍛える。叱らず育成する髙津臣吾の指導法とは!? ゴジキ氏の新刊『マネジメント術で読むプロ野球監督論』が解き明かす、名将たちの勝負哲学
ベストセラー『データで読む 甲子園の怪物たち』で緻密な分析力を見せつけた野球著作家・ゴジキ氏による最新刊、『マネジメント術で読むプロ野球監督論』が3月18日に発売!
『マネジメント術で読むプロ野球監督論』著:ゴジキ/光文社新書
「強いチームを作るための普遍的な方法は存在するのか――。」
組織を率いるリーダー、あるいは結果を求められるビジネスパーソンなら、誰もが一度は抱く問いではないでしょうか。野球界の歴史を紐解き、その答えのヒントを与えてくれる一冊が登場しました。
発売前から重版が決まり、発売後わずか1週間で3刷が決定。予約段階から大きな注目を集めている本書。ラブすぽでは、その中から名将たちの監督論を数回に分けて特別公開します!
今回は、どん底のチームを「絶対大丈夫」という言葉で鼓舞し、リーグ連覇へと導いた髙津臣吾氏。メジャーや海外リーグでの経験を活かした独自の「ブルペン改革」と、若手を怪物へと変える「叱らない育成術」の真髄に迫る本書の一部を紹介します。
髙津臣吾監督 ©産経新聞社
終盤管理の伴奏者・髙津臣吾 ――データと対話で築いた再建
叱らずに整え、勝ち方を見つけ出す。髙津臣吾は、日本、メジャー、韓国、台湾でプレーした経験の視点で終盤の不確実性を管理しつつ「基準」と「余白」を融合させた。登板間隔のゆとり、連投の上限、勝ちパターンの逆算……ブルペン運用の指針を数値で可視化し、同時に「絶対大丈夫」の一言で選手たちの心を支えた。二軍では〝負けても育てる〞を掲げ、役割を想定したプランニングで村上を一人前からトップ選手に。データと対話、固定と可変、強攻と小技を場面で切り替え、〝守り切る力〞へとチームをチューニングした。ハイライトの采配は偶然ではない。準備と学習が積み上げた流れを、最後のサインで確かめる行為である。本章では、叱らずにチームを成長させる再建術を読み解く。
叱らない指導と一貫した育成プラン
髙津がヤクルトの一軍投手コーチに就任した14年、チームは深刻な投手力不足に直面していた。打撃力はあっても勝ち切れない試合が続き、最大の課題は終盤を守り切ることだった。髙津は現役時代に名クローザーとして日本、アメリカ、韓国、台湾で経験を積んだ多角的な視点を土台に、投手陣の再構築に着手した。
就任1年目は試行錯誤の連続だったが、翌年は投手起用法と意識改革の両面で大胆な変革を断行する。結果、チーム防御率は4.62から3.31へと大幅に改善。象徴的だったのが、終盤3イニングを固定する「勝利の方程式」の確立である。7回ロマン、8回オンドルセク、9回バーネットの3人全員が登板した試合では23勝2敗2分という驚異的な成績を残した。
髙津の真価はリリーフ陣の整備だけにとどまらない。酷使を避けるためのブルペン改革にも着手した。登板予定のない投手に無駄な肩づくりをさせず、メジャー式のウォームアップルールを導入。投球練習の回数を制限し、肩への負担を最小限に抑えた。また一軍登録を13人に増やし、リリーフ8人体制を採用することで登板過多を防止。先発のイニングが短くても勝ちパターンにつなぐ髙津流の戦い方で、リリーフ陣は前年の防御率4.58からリーグ1位の防御率2.67を生み出した。
こうした成果を支えたのは、選手との信頼関係とメンタルマネジメントである。現役時代に異なる文化を経験した髙津は、指導より対話を重んじ、選手が不調や違和感を隠さず報告できる環境を整えた。ミスをしても感情的に叱責することはなく、「次にどうするか」をともに考える。この年のCSで守護神バーネットが同点打を浴びた際も、動じることなくロマンに託して延長勝ちを収めた。
17年に髙津は二軍監督に就任し、その指導哲学を大きく深化させた。掲げた柱は「育てるためなら負けてもいい」。短期的な勝利よりも、実戦で考え・失敗し・修正する経験の循環を最優先した。先発投手が序盤に打ち込まれても100球までは投げさせるなど、長いイニングを投げる体力や〝自ら修正する力〞の養成に重点を置いた。マネジメントでは「叱らない指導」が徹底され、技術的なミスを咎めることはせず、原因分析と改善の伴走に力を注いだ。叱責の対象はSNSの使い方など、野球以外の規律面のみ。選手一人ひとりに合わせた声かけも特徴で、故障明けのベテランには寄り添い、若手には明確な課題設定を提示した。ミスをした翌日にあえて再スタメンで起用するなど、失敗を成長機会に変える姿勢を貫いた。
さらに球団と協力し「育成プラン」を制度化。将来の主力候補を〝強化指定選手〞として固定し、成績に左右されず出場機会を継続的に与えた。その象徴が村上宗隆と塩見泰隆である。村上には早くから「将来の4番」としての役割を体験させ、二軍では常に4番固定。一軍調整中の青木宣親と積極的に接点を持たせ、リーダーとしての準備を積ませた。塩見には長期視点で打席経験を積ませ、翌年の一軍定着につながった。また、古賀優大に「8番打者としての役割」を徹底させるなど、二軍を〝一軍の役割教育の場〞と位置づけた運営も特徴的だった。
戦術面では「実験の場」としての二軍運営を徹底。状況に応じた経験値を高めるため、終盤で意図的にバントを指示したり、負け試合でクローザーを投入するなど、試合を〝実戦型トレーニング〞として活用。打順の組み方も一軍のセ・リーグ仕様を想定し、2番・6番・9番の役割理解を深めさせた。また、自身が投手出身である弱点を補うため、打撃・守備コーチと議論を重ね、指導者自身が学び続ける文化をチームに根づかせた。
髙津の哲学は「選手が自分で考え成長できる環境づくり」。怒鳴らず、寄り添い、選手の自立を促す指導スタイルは、のちの一軍監督としてのリーグ連覇の基盤にもなった。データ、経験、心理、教育を融合させたその指導は、戦術家にとどまらない〝育てる指揮官〞としてのスタイルを確立したといえる。
育成と信頼で戦う試行錯誤が生んだ土台
一軍監督就任初年度の20年は最下位に沈んだが、その中でも髙津の采配やマネジメントにはいくつか特徴的な傾向が見られた。まずは、若手と主力のバランス重視だ。20歳の村上を開幕から不動の4番に据え続け、新人の奥川恭伸をシーズン終盤に一軍デビューさせるなど、将来を担う若手に経験を積ませる一方で、1番打者にはベテラン坂口智隆を抜擢し、さらに調子を落としていた山田哲人を二軍に落とすようなことはせず起用し続けた。その背景には「数字上の成績が大差ないなら、チームを引っ張りミスの少ない選手を使う」という髙津の哲学が感じられた。髙津は数字に表れないもの、すなわちリーダーシップや安定感を重視し、勝利の可能性を高めるためにそうした選手を起用すると述べている。
投手運用ではリリーフ重視と柔軟な先発起用策が目立った。髙津は就任当初よりブルペンを特に重視する姿勢を示し、守護神の石山泰稚を軸に清水昇やスコット・マクガフ、梅野雄吾、長谷川宙輝らを競わせ、リリーフ陣を形成。先発の防御率・平均イニング数はいずれもリーグ最下位で、シンプルに褒めるところが全く見つからないほど壊滅的な状況だったが、一方でリリーフの防御率はリーグ3位と健闘し、救援勝利数で大きく貯金をつくるチーム構造になった。
髙津の采配はデータ偏重でも勘頼みでもなく、経験知にデータを織り交ぜたバランス型と評することができる。また、野村克也の薫陶を受けたOBらしく、試合後には自らメモをつけて振り返る習慣も。データを参考にしつつも、最後は「絶対大丈夫」という言葉で選手の背中を押すように、人間味あるマネジメントでチームを率いた。一軍監督になってもグラウンドでは選手一人ひとりに積極的に声をかけ、時には冗談や明るいかけ声でムードを和らげるなど、距離を縮める努力を続けていた。コーチ・スタッフも含めた風通しの良いチームづくりを目指していたことがうかがえる。
また、チーム成績が低迷する中でも、決して選手批判を公にせず、前向きな声かけをしている点も見逃せない。厳しい状況下でも選手の心を折らず、翌年以降の下克上への下地をつくったといえる。
【出典】『マネジメント術で読むプロ野球監督論』著:ゴジキ
「育てるためなら負けてもいい」という二軍監督時代の決断や、村上宗隆選手を4番に据え続けた忍耐。それは、目先の数字以上に「組織としての将来価値」を信じたマネジメントの勝利と言えるのではないでしょうか。感情で叱るのではなく、データと対話で「次にどうするか」を共に考える姿勢は、現代のあらゆるチームビルディングにおいて最強の武器となるはずです。
発売前から大きな反響を呼んでいる本作。その全貌は、ぜひお手にとってお確かめください。