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80年代の懐かしき香港がここに! 麻布十番『八十港』は自由闊達だった当時を思い出す場所

さんたつ

_IZM7041八十港

スープをすすった瞬間「!」とシビれた。あっさりしつつも、しっかりコクが溶け込んだ豚骨ベースの味わい。コシの強い麺の、ほんのりとした香り。そしてなによりこの海老ワンタン。いくつものエビがみっちり詰め込まれたデッカいやつで、ゴリゴリに歯ごたえがあって噛みしめるほどにうまさが口の中に広がる。

八十港(はちじゅうみなと)

香港

中国南部にある特別行政区。1997年までイギリスの支配が続いた。現在は中国政府に対する反政府デモも起き、自由を求めて西側諸国に移住する人も増えている。日本には1万1829人が住み、会社員、留学生、永住者が中心。優秀なスキルを持つ高度専門職も多い。

「80年代の香港という意味です」

ネオンサインに彩られた昔の香港の写真が店内を飾る。

何度も行った香港の、それも路地にたたずむ食堂を思い出した。堅実な味が評判で、地元の庶民でにぎわうような店。ああいうところで何度、腹を満たしただろうか。日本にある香港料理店はたいてい高級志向かつ、日本人向けにアレンジされていて、あのローカル感が足りないのではないかと常々思っていた。だが、こともあろうにリッチなお店ばかりの麻布十番にある『八十港』は、まさに僕の求める香港らしい店だった。

「80年代の香港という意味です」

オーナーシェフのケルビン・チャンさんは店名の意味を教えてくれた。香港がまだ、いまほど洗練されてはおらず猥雑さを残しつつも、イギリス領だったこともあり自由なエネルギーに満ちていた時代。

オーナーにして料理長のケルビンさん。日本の「城マニア」でもある。お気に入りは姫路城。

「あの頃、日本人は香港が大好きだったそうです」

香港島の摩天楼が「100万ドルの夜景」なんて呼ばれた頃だ。バブル景気と円高もあって、距離が近い香港には日本人観光客が大挙した。ジャッキー・チェンやユン・ピョウたちが活躍する香港映画も日本で大ヒット。きっと香港人にとっても、郷愁を感じる時代なのだろうと思う。

僕が初めて香港に行ったのは中国返還の前、1996年のことだ。80年代の混沌や喧噪はやや薄れていたかもしれないが、まだ雑然としたアジアの熱がこもっていて、なんともわくわくした。夢中になって歩き回り、疲れ果てて入った飲茶屋で食べる点心は、どれもこれも安くてうまかった。

一方、日本にある飲茶の店はなぜかやたらに敷居も値段も高いのだが、『八十港』は違う。あくまでカジュアルな雰囲気で、飲茶屋ではないが点心もたくさんあり、手ごろな値段だ。悩んだ末にいくつか注文、さあて、どれから食べようか。その前に、そういえば醤油とか黒酢とかをつけるのかな……と思って聞いてみると「香港の点心はタレとかつけない。そのまま食べて!」と釘を刺されてしまう。言われたとおりに口にすれば、確かに味がしっかりついている点心はどれもいける。

左下から時計回りに、鮮蝦餃(シンハーガウ=蒸し海老餃子)680円、潮洲粉果(チウシャウファングオ=ピーナッツ入り蒸し餃子)550円、鴛鴦(ユンヤン=紅茶とコーヒーのブレンドティー)450円、海老雲吞麺(ハーヂーワンタン)1300円、燒賣皇(シウマイウォン=海老、椎茸、豚肉が入った広東式の焼売)、滷水拼盤(ロウスイピンプン=醤油と香辛料で煮込んだ香港風おでん。写真はハーフ)1100円。

鮮蝦餃はもっちりした皮に包まれたプリプリのエビの食感がたまらない。名前も豪華な燒賣皇はエビや豚肉などの具がギュッと詰まっていて、これも歯ごたえが楽しい。潮洲粉果は広東省東部・潮洲地方の名物で、ピーナッツや豚肉、野菜などが包まれている。

さらに「香港風のおでん」とも呼ばれる滷水拼盤は、豚バラ、豚ホルモン、鴨肉、卵などを中国醤油や漢方など「秘密の」ソースでじっくり煮込んだもので、濃いめの味がしみ込んだ肉は米が欲しくなる。

イギリス時代に培われた、食の多様性

壁のおすすめメニューもチェックしよう。
味わいたっぷり、香港の古いポスター。

「香港料理の特徴は、インターナショナルなことなんです。広東料理と、ほかの食文化のフュージョンが多い」

ケルビンさんは言う。それはもちろん、イギリス領の自由貿易港だったという時代の名残だ。それが色濃く表れているのが、港式辣咖哩車仔麺(ゴンシクラッガーレイチェージャイミン)。香港スタイルのこのカレー麺は「マレーシアやインドの影響で生まれたものではないか」とケルビンさんは言う。19~20世紀、やはりイギリス領だったマレー半島やインド亜大陸からスパイスやカレー文化がもたらされ、広東料理と混淆(こんこう)していったのだ。ケルビンさんおすすめの咖哩魚蛋(ガーレイユーダーン=カレーフィッシュボール)もそのひとつ。

港式辣咖哩車仔麺1780円はピリ辛カレースープに鴨血や角煮などがどっさり。

香港ではあちこちに「茶餐庁(チャーチャンテン)」という中華も洋食も出すファミレス的な大衆食堂があるが、そういう店でこうしたフュージョン料理をよく見たことを思い出す。「茶餐庁こそ香港の食の象徴」なんて言われ方もする存在だ。

そしてもうひとつ、ミックスという意味でユニークなのは鴛鴦だろう。これ、なんと紅茶とコーヒーを混ぜたもの。確かにどちらともいえない不思議な味わいだ。鴛鴦とはおしどりのことで、雌雄の仲がいいことから日本では「おしどり夫婦」なんて言われるが、香港では「ぴったりの組み合わせ」といった感じで使われているようだ。やはり茶餐庁定番のドリンクといえる。

麻布の街に見える、かつての香港

点心の蒸し上がりを確かめる。

もともと料理好きで、イタリアンのシェフや香港のホテル日航にも勤めたことのあるケルビンさんが日本に初めて来たのは2013年のこと。ワーキングホリデーだった。

「日本の城や神社が大好きなんです」

さらに日本料理にもハマったケルビンさんは帰国後も年に3、4回は日本を旅行するほど惚(ほ)れ込み、ついに移住を決意。

そして2021年に神奈川県の綱島に「八十港」を開いた。店舗の契約切れとともに麻布に移ってきたのが2024年の4月だ。ずいぶんと雰囲気の異なる街にやってきたわけだが、

「麻布は外国人もたくさん住んでいるし、昔の香港のようなインターナショナルさがあるから」

と、その理由を話す。なるほど、確かに麻布は国際色豊かな街だ。近隣には富裕層の香港人も住んでいるようだが、とくにここが「リトル香港」というわけではない。日本に暮らす香港人はおよそ1万人で、人数はそこそこいても各地に散在している。立場もまちまちで、ケルビンさんの知る限りでも、

「留学生、IT関連、アニメや映画の仕事をしている人もいます」

と、特定の傾向があるわけではないようだ。そんな人々が集まってくる『八十港』そのものが香港人のコミュニティーなのかもしれない。

カジュアルな店内を香港ゆかりのグッズや写真が彩る。客は香港人、中国人、日本人と多彩。

八十港(はちじゅうみなと)
住所:東京都港区麻布十番2-8-10 パティオ麻布十番2F/営業時間:11:00~15:00LO・17:30~21:00LO/定休日:月・火/アクセス:地下鉄南北線麻布十番駅から徒歩5分

取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2025年12月号より

室橋裕和
ライター
1974年生まれ。新大久保在住。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年にわたりタイや周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。おもな著書は『ルポ新大久保』(辰巳出版)、『日本の異国』(晶文社)、『カレー移民の謎』(集英社新書)。

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