伝説の音楽プロデューサー、酒井政利に見込まれた岸田智史は「きみの朝」で大ブレイクし、橋田壽賀子ドラマ「渡鬼」やミュージカルもこなした、忘れられない昭和のフォークシンガー
シリーズ/わが昭和歌謡はドーナツ盤
昭和歌謡の大ヒット曲に共通しているのは、何年経っても、耳に残るフレーズがあることだろう。気分よく起きた週末の朝などは、つい「モーニング、モーニング……」と口ずさみたくなる。このフレーズは岸田智史(現・敏志)の「きみの朝」のサビの部分である。「きみの朝」は作詞・岡本おさみ、作曲・岸田智史、編曲・大村雅朗により1979年3月21日リリースされた8枚目のシングルだ。改めて「きみの朝」、さらにデビュー曲の「蒼い旅」やアルバムの『モーニング』を聴いてみたが懐かしさとともに、新しい発見もあり感慨深い。
優しいメロディの「きみの朝」を、澄んだ声で歌う岸田を初めて見たのは、当時木曜日の夜9時から放送されていた「ザ・ベストテン」だった。オーケストラの演奏をバックにミラーゲートを颯爽と駆け抜け登場してきた岸田は、初々しく爽やかだった。ウェーブした長髪がよく似合いギターを抱えて歌う姿は都会的で洗練されていた。サビの「モーニング、モーニング……、きみの朝だよ」は心地良く、当時はラブソングとして聴き流していた。
今回この歌詞をじっくり読んでみると、「別れようとする魂」「出会おうとする魂」「生まれようとする魂」「老いぼれていく魂」「変わろうとする魂」「よどんでしまう魂」というように、「魂」が6回も出てくる。そしての最後のフレーズでは、「旅立ってゆけ 朝に」だ。もしかしたら、この曲は喪った恋人を悼み悲しんでいる男性の心情を歌ったものなのかもしれないという気がしてきた。筆者の勝手な解釈だが、軽快なメロディとは違うメッセージ性があることを感じた。作詞をした岡本おさみは、森進一が第16回日本レコード大賞の大賞を受賞した「襟裳岬」(74)をはじめ、吉田拓郎とも数多くの曲作りをしたようだ。曲の裏側にはいろいろな背景があることを考えるのも楽しいものだ。
リアルタイムでは観ることはできなかったが、リリースの一ヶ月後、4月には「ザ・ベストテン」が終わった木曜夜10時からのドラマ「愛と喝采と」が放送され「きみの朝」は挿入歌になった。さらに岸田も俳優としてドラマにも初出演した。元歌手の経歴をもつ音楽プロダクションの社長を十朱幸代が演じ、自分が果たせなかった夢を新人歌手の岸田に託すという設定だ。渡瀬恒彦、名取裕子、上條恒彦、加賀まりこなど豪華な俳優たちが共演している。重要な場面に「きみの朝」が流れ、ドラマとの相乗効果で、「ザ・ベストテン」の順位もうなぎ上りになった。ドラマ放送中の79年6月、あるスポーツ新聞社の統計によれば、「きみの朝」は2位にランキングされた。1位はサザンオールスターズの「いとしのエリー」だった。ちなみに10位はゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」、9位は渥美二郎の「夢追い酒」、8位はピンク・レディーの「ピンク・タイフーン」、7位はジュディ・オングの「魅せられて」、6位は山口百恵の「愛の嵐」、5位は沢田研二の「OH!ギャル」、4位はツイストの「燃えろいい女」、3位に西城秀樹の「ホップ、ステップ、ジャンプ」。流行っていた曲を並べてみると当時が思い出される。
彗星のように現れた岸田だが、デビューのきっかけが興味深い。CBS・ソニーの音楽プロデューサー、酒井政利らと数々のヒット曲を世に出した制作ディレクターによると、岸田のいとこがCBS・ソニーに送ったデモテープに、岸田の作った歌が消し忘れて残っていて、それを酒井は見逃さなかった。岡山県出身で、両親、親戚も教師という家系に育った岸田は、体育の教師になるつもりで京都教育大学教育学部に入学し学生生活を送っていたのだが、酒井は京都まで訪ね、「アイドルではなく本格的なフォークのスターを育てたい」と口説いた。1976年11月21日「蒼い旅」(作詞・谷村新司、作曲・岸田智史、編曲・馬飼野康二)でデビュー。この曲は秋吉久美子主演の映画『パーマネント・ブルー 真夏の恋』(76年、松竹)の挿入歌となった、
そして、デビュー4年目にして「きみの朝」で大ブレイクだ。同じドーナツ盤に入っている「約束の日」も79年4月に放送されたTBS系スペシャルドラマ「あめゆきさん」の挿入歌になった。同年5月には、「きみの朝」も収録された4枚目のオリジナル・アルバム『モーニング』が発売され、60万枚を超すセールスを記録した。類まれな強運の持ち主ではないか。
コンサート会場には、後に若者のカリスマと言われる尾崎豊少年も来ていた。特にデビュー曲の「蒼い旅」が好きだったようで、出待ちしている女の子たちをかき分け、尾崎は「どういう気持ちで歌っているんですか」と尋ねたという。改めて「蒼い旅」を聴いてみたが、しみじみと心に響く曲だ。岸田にも尾崎の印象は強く残り、尾崎がデビューしたとき「あのときの子だ」とすぐわかったという。
その後、「愛と喝采と」のスタッフがTBS系列「3年B組金八先生」を手がけることになり、80年4月からは、2作目「1年B組新八先生」で中学の教師役で主演した。主題歌「重いつばさ」も、「きみの朝」に次ぐヒットとなった。90年からは橋田壽賀子ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」で中華料理店「幸楽」の従業員役を長い間演じ、さらにミュージカル『ミス・サイゴン』(92)では、クリス役を演じた。キム役の本田美奈子とともに、ミュージカルの発声を教わるところから始まり、最初の舞台まで2年半を要したという。
2011年56歳のとき、交通事故で重傷を負い約1年半のリハビリも経験した。昨年は舞台やミュージカルの楽曲制作を手がけている。稀代のプロデューサー酒井政利に見出され、芝居に注文の多い脚本家、橋田壽賀子をして「あなた、前は歌手だったの?」と言わしめるほど、俳優としての演技も確かだった。私にとっては忘れられない昭和のシンガーソングライターの一人である。
文=黒澤百々子 イラスト:山﨑杉夫