甲子園で154㎞/hを投げる「小さな巨人」のスラッガー│今宮健太(2008・2009年、明豊)
5度のゴールデングラブ賞、4度のベストナインに輝いた福岡ソフトバンクホークスのベテラン内野手・今宮健太。鉄壁の守備で知られる彼だが、高校時代は明豊(大分)の二刀流選手として注目を集めていた。通算62本塁打の長打力に加え、最速154キロの剛速球を武器にマウンドにも立った逸材だったのだ。そんな今宮の原点ともいえる甲子園での活躍を、『データで読む甲子園の怪物たち』(ゴジキ著:集英社刊)から紹介する。
「バケモノでした」菊池雄星との対決
20代で300犠打を決めたことで小技のイメージが強い今宮健太は、甲子園で投手として154㎞/hを記録すると同時に、三塁手・遊撃手としても高校通算62本塁打を放っている。
この源泉となる部分は、単に才能が突出していただけではなく、努力と向上心に裏打ちされたものだった。その才能は地元でも広く知られるようになり、強豪校である明豊高校への進学が決まる。明豊は、甲子園を目指す多くの才能ある選手が集まる学校で、競争が激しい環境だった。そこで今宮は、1年生から頭角を現し、チームの中心選手としての道を歩みはじめる。明豊高校に入学後、今宮はその才能だけでなく、尋常ではない努力で成長していくのだ。
すぐにショートの定位置を奪うと、同時に投手も兼任。1年秋には「1番・投手」として県大会優勝から九州大会制覇、同校初のセンバツ出場に貢献する。甲子園初出場となった2008年のセンバツは、エースとして臨むも初戦で前年センバツを制した常葉菊川と対戦して4対6で敗退。1番打者として4打数1安打、先発投手として9回を10安打・6失点(自責点4)と投打ともに不甲斐ない結果に終わる。
この挫折があり、自分を高めていくことになる。秋季大会では九州大会でベスト4に入り、センバツの出場権を獲得する。センバツでは初戦から活躍を見せる。打ってはチーム唯一の3安打を記録。1打点をマークし、投げては最終回にマウンドに上がり、149㎞/hを計測した。
この試合で存在感を見せた今宮はさらに注目を集めるようになるが、2回戦で大きな壁が立ちはだかる。それはこの世代最強投手と言っていい菊池雄星を擁する花巻東戦だ。今宮は1安打を記録するものの、ギアを上げた菊池の前には手も足も出ない状態になり、チームも0対4で完敗した。今宮は「バケモノでした。見たことない速さと角度。正直、ちょっとビビりました」と振り返るように驚きを隠せなかった。
センバツでは菊池雄星から1安打も完敗。夏も準々決勝で対決(次ページ)
ただ、「あれを打たないと一級品にはならない」と話すように夏に向けて菊池対策も考えながら練習を積んだ。とくにインコースはセンバツの対戦で課題に感じたため、かなりの対策を行った。「このピッチャーを倒さなければ、僕らが頂点に立つことは出来ない。負けたことで、僕自身もチームも意識がガラリと変わりました。一番は練習に取り組む姿勢。ひとつひとつへの集中を大事にしました」と自身が話すように夏に向けてさらに意識が高まっていったのだろう。
遊撃手としても投手としてもハイレベル
その後、最短距離でバットを出すコツをつかみ、その後の4カ月間で32本塁打を量産したのだ。この夏までの期間で自身のレベルを上げ、今宮は甲子園に戻ってきた。そして最後の夏の甲子園で島袋洋奨
(元・福岡ソフトバンクホークス)を擁する興南、秋山拓巳(元・阪神タイガース)がエースの西条、庄司隼人(元・広島東洋カープ)のいる常葉橘といった好投手が揃う強豪校と対戦することになる。
初戦の興南戦は先発し、先制こそ許したが粘りのピッチングを見せ試合を作る。打撃面では島袋に疲れが見えはじめた6回に追い込まれながらも、反撃の狼煙を上げる技ありのタイムリーを放つ。さらに、8回には二死からツーベースを放ち、同点になるチャンスメイクをした。そして、最終的にはサヨナラ勝ちをした。序盤こそ、当時2年生ながらも好投を見せていた島袋相手に苦戦したが今宮が打線のキープレイヤーとなり、見事な逆転勝ちをした。西条戦はノーヒットに終わったものの、打線が秋山を攻略して勝利。
常葉橘戦は死闘となる。明豊は先制するものの、逆転を許してすぐさま今宮がマウンドに上がる。7回2/3を投げ、7奪三振・自責点2の好リリーフを見せたのだ。さらには、153㎞/hを記録するなどロングリリーフながらも記録的にもインパクトを残した。打っては1点ビハインドの9回に同点タイムリーを放つ。最後は延長で投げていた庄司から勝ち越し、ベスト8に進出した。
準々決勝はセンバツで敗れた花巻東。菊池対策を披露する場としてはこの上ない舞台が揃った。しかし、菊池は怪我の影響で本調子からほど遠かった。今宮との対戦もインコースはほとんどなく、外角ばかりだった。
「投げている姿を見ておかしいなと気づいていました。内角の直球を待っていたし、微妙な気持ちになったのは確かです。でも、雄星を打つためだけに努力したのではない。みんなで花巻東に勝つことが目標だった。だから切り替えるわけでもなく、モヤモヤした気持ちはありませんでした」。試合は終盤までわからない接戦になり、先発した今宮はリリーフで再度マウンドに上がる。リリーフとして登板した9回に154㎞/hを記録するのだ。最後はスライダーで三振を取り、ピンチを凌いだ。しかし、10回に力尽きて決勝タイムリーを許し敗退した。
今宮の甲子園での成績。数字以上に「投」の印象も強かった
この大会の今宮は、投手兼野手の「二刀流」として成績以上に素晴らしい活躍をしたのではないだろうか。今宮が出てくるまでは、投手でありながら野手として活躍する選手は、一塁手または外野手が多かったなかで、チームの要となるセンターラインの遊撃手としても非常にレベルが高かった。現在の高校野球では「継投策」が大きなポイントとなっているが、投手起用もプロ野球よりもユーティリティな起用が増えている。
この今宮のように、通常のリリーフやクローザー的な役割から、先発ながら短いイニングを投げるオープナー起用、複数イニングをまたぐストッパー起用、一人の選手が先発と中継ぎを両方こなす起用法など、その内容は多岐にわたる選手が増えていっている。
継投がメインではない時代に、投手兼野手として高いレベルのパフォーマンスを残した今宮の価値は非常に高く、身体能力が高い選手が守る遊撃手との併用としてはパイオニアのような存在だ。この今宮のように投手をやりながら野手として活躍できる選手は今後も増えていくだろう。
本文は『データで読む甲子園の怪物たち』(ゴジキ著:集英社刊)より