神と地形と工具の名?「打戻」
市北西部に位置する「打戻(うちもどり)」。古くは「ウツモチ」と呼ばれていた。市まちづくり協会のホームページには「ウツ」と「モチ」で「小さな盆地」を意味し、打戻の地形を表した地名だという説が掲載されている。
「ウツモチ」という名がついた由来のもう一つの説として「宇都母知(うつもち)神社」がある。祭神である稚産霊神(わくむすびのかみ)は食物の生産を司る神である「食保神(うけもちのかみ)」の豊受(とようけ)大神を生んだとされる。打戻郷土研究会が発行した「打戻郷土誌」には、この「うけもち」が「ウツモチ」に変化したという話が紹介されている。
「日本総国風土記」によると、同社の発祥は459年に同地で「厳粛なる祭祀」が行われた時まで遡るとされ、927年に編さんされた「延喜式」に登載された相模十三社の一つでもある。「昔のことなので定かではないが、御所見地区の由来とされる葛原親王のいた平安時代より古いのは確かではないか」と御厨浩和宮司は話す。
さらに時代は下り、1245年に打戻を含めた高座郡渋谷庄を治めていた渋谷定心(しぶやのじょうしん)が、所領の統治について子孫に残した「渋谷定心置文」には「うちもちり」と記載されている。また「郷土誌」には「もちり」が穴をあける工具の「(金偏に戻)」であるとされ、同社境内の稲荷神社の御堂に下がる提灯には今も「打(金偏に戻)」の文字が書かれている。
同地と(金偏に戻)や工業などの関係は不明だが、地名の由来のもう一つの説として、南北朝時代に海老名で活動していた刀鍛冶屋の五郎正宗がいる。鎌倉に向かう途中、打った刀の出来に納得がいかず引き返した地であるとの説明も市のホームページにあった。
現在の表記は16世紀には定着していたとされる。さまざまな由来が挙げられる打戻。「どの説が正しいか決めるのは難しいが、歴史ある地名を大切にしたい」と御厨宮司は語った。