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NEWシネマ歌舞伎『四谷怪談』レビュー お岩の亡霊より恐ろしい、人間の欲が生む怪物

SASARU

2026年8月7日(金)から札幌シネマフロンティアで1週間限定上映されるNEWシネマ歌舞伎『四谷怪談』。2016年にシアターコクーンで上演された舞台を、演出・美術を手がけた串田和美が映像作品として再構築しました。

物語の中心となるのは、民谷伊右衛門と妻・お岩、直助権兵衛とお岩の妹・お袖をめぐる2組の男女です。

現在の境遇から抜け出したい伊右衛門と、お袖に執着する直助。そこへ周囲の人々の思惑が絡み合い、それぞれが自分の都合を優先した結果、お岩とお袖は次第に逃げ場を失っていきます。

『四谷怪談』で最も恐ろしいのは、人間の欲

本作で悲劇を引き起こすのは、ひとりの特別な悪人ではありません。

伊右衛門が優先するのは、自分の立場と将来です。直助は、お袖の気持ちを顧みることなく、一方的な執着を押し通そうとします。伊藤喜兵衛もまた、家族への思いを理由に、他人の人生を動かそうとします。

保身、執着、家族への愛情。それぞれの感情は異なりますが、自分の都合を優先し、他者の意思を踏みにじる点でつながっています。

一つひとつの選択は小さく見えても、それが重なることで、お岩とお袖の逃げ場は失われていきます。

怪談は、お岩の亡霊が現れた瞬間に始まるのではありません。生きている人間たちの関係が崩れ、悲劇へ向かっていく過程で、すでに始まっているのです。

中村獅童、中村勘九郎、中村七之助、中村扇雀が映す『四谷怪談』の人間模様

中村獅童演じる伊右衛門からは、冷酷さだけでなく、迷いや恐れも伝わってきます。初めから迷いのない悪人ではないからこそ、自らの罪を認めず、より弱い立場の人間を犠牲にしていく姿が生々しく映ります。

中村勘九郎演じる直助には、伊右衛門とは異なる軽さがあります。軽妙な言動が笑いを生む一方、その奥にあるのは、お袖の意思を無視した身勝手な執着です。観客が笑った直後に、その行動の残酷さが浮かび上がります。

中村七之助演じるお袖は、父を助けるため地獄宿で身を売ろうとし、許嫁・与茂七を失った後も、真相を知らないまま直助を信じます。お袖の信頼がまっすぐであるほど、直助の振る舞いは、単なる笑いでは済まされないものに変わっていきます。

中村扇雀演じるお岩も、周囲の思惑によって人生を奪われる人物です。
毒によって容貌が崩れていく姿からは、外見の変化だけでなく、自分の知らないところで運命を決められていた絶望が伝わってきます。

お岩とお袖が追い詰められていく過程を通して、男たちが軽く扱ってきた言葉や選択の重さが、次第に明らかになります。

NEWシネマ歌舞伎『四谷怪談』は、表情と編集にも注目

本作は、舞台公演をそのまま記録した映像ではありません。追加撮影やさまざまなアングル、俳優のアップを取り入れた「NEWシネマ歌舞伎」として制作されています。

俳優の表情を大きく映すことで、伊右衛門が一瞬見せる動揺、お岩の苦痛、直助の軽妙な振る舞いの奥にある執着まで捉えます。

舞台全体を眺めるだけでは見逃してしまいそうな感情の変化が、スクリーンでは登場人物の選択を読み解く手掛かりになります。

伊右衛門とお岩、直助とお袖の物語を交互に見せる編集も効果的です。

別々に進んでいるように見えた出来事が、同じ悲劇の一部として結びついていくため、登場人物の多い作品でありながら、それぞれの思惑を追いやすくなっています。

また、歌舞伎を初めて観る人には、イヤホンガイドの利用もおすすめです。人物関係や言葉、物語の背景を補いながら鑑賞できるため、登場人物の多い本作でも流れをつかみやすくなります。難しそうだからと構えず、作品の世界に入るための助けとして活用してみてはいかがでしょうか。

『四谷怪談』に現れるサラリーマンが、怪談を現在へつなぐ

今回の演出で特徴的なのが、物語の中にたびたび登場するサラリーマンたちです。
自我を表すことなく、社会の流れに沿うように、ただ淡々と歩いていきます。

本作の背景にある「忠臣蔵」では、武士たちが主君への忠義を果たすため、討入りに向けて奔走します。忠義や秩序に従う人々が歴史の表舞台を進む一方、その裏側にいるのが伊右衛門や直助たちです。

彼らは社会に折り合いをつけて生きることができず、自らの欲や弱さを抱えながら、時代にもがき続けます。整然と歩くサラリーマンたちの姿は、組織や社会の流れに身を委ねる現代人にも重なります。

社会の流れに乗る者と、そこからこぼれ落ちる者。歴史の表舞台を進む者と、その裏側で時代に抗う者。両者を同じ作品の中に置くことで、江戸時代の物語と現代社会の距離が縮まります。

ただし、伊右衛門や直助は、社会からこぼれ落ちた被害者として描かれているだけではありません。自らの苦しさを理由に、さらに弱い立場の人間を犠牲にしていきます。

時代に翻弄される人間の苦しさと、その人間が別の誰かを傷つける残酷さ。本作は、その両方を怪談の中に映し出します。

お岩の亡霊だけでは終わらない『四谷怪談』。中村獅童、中村勘九郎、中村七之助、中村扇雀らの演技と、舞台とは異なる映像表現を、映画館の大きなスクリーンでじっくり味わえる作品です。

NEWシネマ歌舞伎『四谷怪談』作品概要

■公開日:2026年8月7日(金)より1週間限定上映

■公開劇場:札幌シネマフロンティア(札幌市中央区北5条西2丁目5番地 JRタワー・ステラプレイス7F)

■作:四世鶴屋南北

■監督:串田和美

■出演:中村獅童 中村勘九郎 中村七之助 中村扇雀
片岡亀蔵 中村国生 中村鶴松 真那胡敬二 大森博史 首藤康之 笹野高史
※出演者名は公演当時の表記です

■撮影公演:2016年6月シアターコクーン公演

■上映時間:118分

■製作・配給:松竹

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