“まち”じゃないんだ、 “むら”なんだ
はじめまして。宮崎県の椎葉という地域で、クリプトヴィレッジの皆さんと一緒にLocal DAOの立ち上げに取り組んでいる村上といいます。クリプトヴィレッジの連載3回目となる今回、現地コーディネーターという視点から、関係人口のことや地域に暮らすリアルについてざっくばらんにお話させていただければと思います。
振り返れば、僕が初めて雑誌『ソトコト』を買ったのが2002年10月の第40号。当時のタグラインは「地球と人をながもちさせるエコ・マガジン」、特集は「今日から始める、自給自足10年計画!」でした。そこから20年以上の歳月を経て、こうしてソトコトに記事を書かせて頂けること、本当に感慨深く、嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。
「生きる力」を受け継ぎたくて
2024年6月、Nishikigoi NFTから始まったLocao DAOの取り組みに、僕が住む地域が加わりました。日本三大秘境と呼ばれ、焼畑農法などで世界農業遺産にも認定された、宮崎県の椎葉という地域です。僕は2017年に地域おこし協力隊の制度を使ってこの村に移り住み、移住コーディネーターという仕事を経て、現在は独立してキャンプ場やシェアハウスの運営をしています。
おかげさまで村の暮らしにはどっぷり浸からせてもらっています。集落の自治組合や消防団で役員を任せてもらったり、伝統行事である神楽を舞わせて頂いたり。引き継いだ田んぼで無農薬無肥料の米づくりを続けたり、シェアハウスにした古民家の改修をコツコツと続けるなどして「自分の暮らしは自分でつくる」自給自足的な暮らしを実践中です。
近年、あちこちで「ヴィレッジ」というキーワードを目にするようになりました。「コミュニティ」というどこかふわふわした文脈で語られていたものが、より具体性や身体性を伴って現実に落とし込まれているように見えます。
例えば最近だと、無印良品の家で著名な建築家、土谷貞雄さんの著書『ヴィレッジ・コード』が注目を集めました。エコヴィレッジやシェアヴィレッジなど、これからの時代を生き抜くための装置として「ヴィレッジ」を新たに立ち上げようとする動きが各地で目立つようになったと感じています。
そして、人が「ヴィレッジ」に求めるものと、僕がこの村に求めたものとはそんなに変わらないんじゃないかと思っています。地方都市に育ち、東京で15年以上生活していた僕が、都会での暮らしを手放してこの村に求めたもの、それは「世の中がどんなに変わっても生きていける自信」と「 “顔が見える” 他人とのつながり」でした。
この、田舎を超えて秘境と呼ばれる村には、ゼロから新たに「ヴィレッジ」を立ち上げなくても、求めるものが既に息づいていると感じています。外に探しに行かなくとも、時代を生きのびる自信を裏付ける術は、日本に現存するリアルな「村」に眠っているのです。
ただ、それらはもはや要らないものとして扱われ、失われつつあります。人口減少の影響でもありますが、このまま滅びるのはあまりにも惜しいし、もったいない。消えかけた焚き火に薪をくべて再び炎を育てるように、この村での暮らしで培われてきた知恵と技、いわば「生きる力」を受け継ぎたい。そんな一心から、わらにもすがる思いでLocal DAOに手を挙げたのでした。
無形民俗文化財をアートに落とし込む
Local DAOとは、地域をひらき、つながりを広げて未来をつくるネットワークです。そこではNFTが、その地域の当事者になるためのツールとなります。住む場所を問わず、それを所有した瞬間から、この地域のデジタル村民になることができます。
これを持っているから何かオトクなことがある、というわけではないけれど、愛着を持ってもらうためにはただの紙切れではなく、優れたアート作品であって欲しい。そしてそのモチーフは、この村に暮らす人にとってのアイデンティティでないといけません。
Nishikigoi NFTは、ここのところがハマったからこそ、想定を超える展開を見せたと分析できます。アートの持つ力を最大化するために重要なモチーフ選び。山古志は錦鯉、天龍峡は龍、では椎葉は…? 僕たちがLocal DAOに加わってから現在に至るまで、ここに多大な時間を費やすこととなりました。
錦鯉や龍のように、何か具体的に形が有るものの方が作品制作はしやすいわけです。でも、椎葉の場合は、どうしてもピタリとハマるものが見つかりませんでした。それならいっそのこと、アートに振り切ってみようと考えました。わかりやすいものから始めるのでなく、なんだかよくわからないけど面白いものをつくろうというわけです。
モチーフとするのは、国の重要無形民俗文化財でもある神楽です。僕自身、よそ者でありながら早くから舞手として参加させて頂いていて愛着もあるし、早い段階から有力候補に挙がっていました。が、「無形」の「民俗文化財」は素材としては扱いにくいこと、神楽自体は他所にもあることがネックになっていました。そこをなんとかアート作品として形にし、NFT化する。それが僕たち椎葉チームの挑戦です。
その制作を担ってくれるテクニカルディレクターの堀宏行さんには、デジタル村民の“帰省“に合わせて、クリプトヴィレッジと一緒に、我が集落の神楽に参加して頂きました。
皆さんは「神楽」と聞くとどのようなものをイメージしますか? 一般的に、神楽というと舞の部分だけが注目されがちですが、実際には神様をお迎えして執り行う儀式であり、ハレの舞台であり、椎葉におけるその実態は地域の冬祭りです。舞は五穀豊穣を願って神様に奉納するもので、神楽の一部に過ぎません。
重要文化財ということで、どこか神格化されたものという先入観をお持ちの方もいるかも知れません。もちろん神事の間は厳かな雰囲気が漂いますが、全体を通してみれば牧歌的な、宴会的なノリに包まれているのがウチの神楽のいいところです。店屋(てんや)と呼ばれる売店でお酒や軽食も手に入るし、節目の時間にはお蕎麦なんかも振る舞われます。その場にいる人はみんな親戚家族のような、和気あいあいとした穏やかな雰囲気の中で、酒の肴のようにして神楽の舞が奉納されていくのです。
途中には集落の子どもたちによる舞も披露され、大人たちからおひねりが飛び交ったりもします。神楽は深夜まで続くので深い時間になれば周りの観衆もやや疲れ気味になりますが、そんな時間帯にこそ目の覚めるような見事な舞が仕込まれていたりもします。
この村の神楽は、見世物というよりは、集落に暮らす自分たちと神様のために開かれるお祭りです。お祭りなので誰でも見学できますが、誰でも楽しめるわけではありません。「顔が見える」関係性が、楽しむためのほどよい距離感となります。
全然知らないおじさんが舞台の上で颯爽と舞うのを見るのが見世物なら、ちょっと知ってるおじさんが愛嬌を見せつつぴしっと舞うのを見るのがお祭りです。前者はお金を出して楽しむもの、後者は関係性を土台にして楽しむものです。当事者であるという意識が近しい関係性を生み出し、顔なじみであればあるほど楽しむことができるのがお祭りです。そういう、お金で買えない楽しみ方を、当事者性を持つデジタル村民として存分に味わってもらいたいなと思っています。
関係人口が当事者性を備えたなら
そういうわけで、我が集落の神楽の魅力をなんとかNFTに落とし込むべく、制作を担う堀さんにも現場を体感して頂きました。舞だけではなく、現場の空気感から体感してもらい、そこからエッセンスを抽出してアートに仕立てていく。そんな筋書きです。現在の構想では、舞を音も含めてまるっとスキャンして、生の身体からジェネレイトしていく……そんな、動きのある「ジェネラティブアートNFT」が出来上がる見込みです。
国の重要無形民俗文化財に指定されている椎葉の神楽は、能楽や文楽のような、伝統芸能と呼ばれるものと通じるものです。違いがあるとするならば、継承の過程において、あいまいさを許容してきたことだと言えるかも知れません。
神楽を伝える方法は完全に口伝です。笛や太鼓の楽譜というのはないし、舞の所作を図に書き起こしたものもありません。毎年、神楽の時期になると、ああでもないこうでもないと言いながら、身体に刻み込まれた記憶を呼び覚ましていくのです。
僕たちよそ者は、刻み込まれた身体の記憶がないので、ビデオなどの文明の利器に頼ることもあります。でも、ビデオに残されたものが正解、ということにはなりません。最後に頼りにするのは、先輩たちの感覚です。当然、その過程で所作が変わってしまうこともあるでしょう。でもそこの正確性よりも、実際に神楽を受け継いでいくその当事者たちの感覚を大事にする。そういうことになっています。
僕たちは、とかく正解を追い求めてしまいがちです。学校教育の影響なのか何なのか、若ければ若いほど、その傾向は強いように思えます。そんな感覚からすると、継承の過程においてあいまいさを許容するという神楽の姿勢は、ずいぶん新鮮に映ります。
ただ、この姿勢は、この土地に生きる人たちの当事者性を尊重するものであるようにも思えます。決まった音色、決まった所作をただなぞることを繰り返していたのでは「わたしたちの」神楽だという感覚は生まれなかったかも知れません。人口減少の荒波の中でも受け継いでいこう、という気にはなれなかったかもしれません。そこに、民俗文化財と言われる醍醐味があるように、よそ者としては感じます。あいまいさを許容する姿勢こそが、神楽を民俗文化財たらしめているように見えるのです。
そしてその姿勢は神楽のみならず、この村で育ち生きるネイティブ村民の皆さんの人生に対する姿勢でもあるように思えます。僕のような、どこの馬の骨とも知れない人間を許容してくれていること、そんな僕が連れて来る友達や移住相談の人に対してもおおらかに接してくれること。白黒はっきりさせることにこだわるのではなく、まず当事者としての自分の感覚を大事にする。そんな姿勢は、余白なく埋め尽くされた都会での暮らしに疲れた人たちにとっても、一服の清涼剤となるように感じます。
ただ一方で、そんな許容する姿勢にも限界があることも事実です。特に、寄る年波には誰しも敵いません。見慣れない人が毎週のようにやってきて、毎回気を遣っておしゃべりしたり、同じ話を繰り返すのには体力がもたなくなってきているのも確かです。僕がこの村に移住した当初、移住者を増やすにはまず関係人口から、ということで、その増大のためのプログラムを何度も企画していた時期がありました。それが手応えにつながるか否かの分け目となったのは、顔が見える関係まで持ち込めたかどうかだったように振り返ることができます。
僕たちがいまつくろうとしているNFTは、デジタル村民になるためのツールであり、デジタル村民とは、この村の当事者です。この当事者性こそが、顔が見えるかどうかのポイントとなります。
顔が見える関係とは、必ずしも個人としての認識を伴う必要はないわけです。田舎や村人という存在をコンテンツとして消費するのではなく、一人の人間として共に悩み、考える存在。お互いの人生に影響を与えうる関係性こそが、デジタル村民の真髄なのだと解釈しています。関係人口という客観的な存在から一歩踏み込んで、主体的に関わり合える関係性の枠組みがデジタル村民であり、Local DAOです。
今後のNFTの販売予定など、椎葉チームの動きについてはぜひSNSのフォローやDiscordへの参加をお願いします。これまでnote記事などでも今後の展望等について書かせていただいてます。すべてのリンクは公式ウェブサイトにまとめられていますので、ぜひご覧ください。
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