沢田研二主演「太陽を盗んだ男」原爆をつくったジュリーが政府に突きつけた要求とは?
連載【ディスカバー日本映画・昭和の隠れた名作を再発見】vol.10 -「太陽を盗んだ男」
1979年、ジュリーが主演を張った「太陽を盗んだ男」
「♪ききわけのない女の頬を 一つ二つはりたおして」と歌いながら、1979年の沢田研二はスタートした。ご存じ「カサブランカ・ダンディ」。現代のコンプライアンスで、この曲を論じるのは本稿の趣旨と反するので、置いておく。言いたいのは、この曲で『カサブランカ』という映画と、ボギー、すなわちハンフリー・ボガートという俳優を知ったこと。前年に『さらば宇宙戦艦ヤマト』の主題歌を歌ってた人だし、映画の味方なのだろう。それだけで、映画を好きになりつつあった当時中学生の筆者には満足だった。
その年の秋、ジュリーは映画で主演を張った。ご存じ『太陽を盗んだ男』。いや、もうこれはヤバい予感しかしない。何しろジュリーが演じるのは東海村からプルトニウムを盗み出し、原子爆弾をつくってしまった中学の理科教師役なのだから。そして、この男を追う刑事役に菅原文太。監督は『青春の殺人者』で若い世代の代弁者に祭り上げられた長谷川和彦。これは当時中学生だった筆者ならずともボルテージが上がるというもの。実際に観たら、そのアナーキーな内容に夢中になってしまった。
歌番組で観るかっこいいジュリーとは、かなりかけ離れている
ジュリー扮する中学教師は、学校では生徒たちに “眠そうな大人“ と見られているようで、実際に教室では居眠りをしていたりする。家では原爆を作ることに夢中になっていて、学校の授業でも無駄に原爆の作り方を熱っぽく解説して生徒たちを呆れさせている。かなりオタクな男と言ってもよいと思うが、いずれにしてもテレビの歌番組で観るかっこいいジュリーとは、かなりかけ離れている。
休み時間になると壁にボールを放り投げてひとりキャッチボールをしていたり、奇声を上げてターザンごっこに興じたり。これも奇異には見えるが、裏を返せば精力を持て余しているようにも見える。何をしていいのかわからず、持て余される苛立ちか。そう、教師ジュリーは何をしたいのかわかっていない。
せっかく原爆を国会議事堂に持ち込んで政府の脅迫に成功したのに、何を要求していいのかわからない… という場面もある。困ったあげく、ラジオDJ(池上季実子)に電話して何を要求したらいいか尋ねたりする。結局、政府に突きつけたのは “テレビのプロ野球中継を最後まで放送させろ” “ローリーング・ストーンズを日本に呼べ”。どちらも後に実現することで、原爆をつくってまで求めることなのかと、今となっては思わないでもない。
文太 vs ジュリーのガチ対決でクライマックス
それでも政府に5億円を要求してから、ジュリーの行動は少しずつ熱を帯びてくる。交渉役の文太扮する刑事との駆け引きもスリリング。メーデーで賑わう渋谷の街中や東急デパート内での捕り物は、そのスケールの大きさを含めて目を見張る。被曝により髪が抜けたり、出血したり、嘔吐したりなどの、健康状態の異変も緊張感を盛りたてるに十分。そして映画は、文太 vs ジュリーのガチ対決でクライマックスを迎える。
学生運動の熱がすっかり冷めた、この頃の10〜20代は “しらけ世代” などと呼ばれていたが、ここでのジュリーもまた世界に対してシラケていた。しかしどんなシラケていても若いからエネルギーはある。それをどこに向けていいのかわからないだけ。ジュリーの場合は、それが原爆だった。エネルギーの爆発を捉えた映画として、『太陽を盗んだ男』はいまも強烈なパワーを漲らせている。
爆発するときを待っている無邪気で危険なエネルギー
「♪愚かな女は 時にはかわいい 愚かな男は ただ愚かだね」と歌われたのは、この映画の公開の少し前にリリースされたジュリーのシングル「ロンリー・ウルフ」。いかにも、この映画のジュリーは愚かでしかない。政府を脅迫することはもちろん、タバコをポイ捨てしたり、抱き上げた女性を海に放り投げたり。文太も聞き込み時に女性にボディタッチしたりするし、現代のコンプライアンスでは怒られそうな昭和描写も多い。
しかし、“愚か” と笑って済まされないこともある。原爆をサッカーボールのように足でもてあそぶジュリー。スポーツバッグに作動中の原爆を入れて街をさまようジュリー。そう、無邪気で危険なエネルギーは、あなたが歩いている雑踏の中を漂い続け、爆発するときを待っているかもしれないのだから。