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【前編】宇多丸『ゴジラ-1.0』を語る!【映画評書き起こし 2023. 11.16放送】

TBSラジオ

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11月16日(木)放送後記

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』のコーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞して生放送で評論します。

今週評論した映画は、『ゴジラ-1.0』(2023年11月3日公開)です。

宇多丸:さあ、さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、11月3日から劇場公開されているこの作品、『ゴジラ-1.0』。

今回ね、このおなじみの伊福部昭さんメロディーは、佐藤直紀さんが弾き直してはいるみたいなんだけど、でも、かなりオリジナルに近い感じで(カバーされている)。あと、やっぱりオリジナルに近いシチュエーションで鳴るんでグッとくる、っていうところ、ありますよね。日本が世界に誇る怪獣王ゴジラ、生誕70周年記念作品。『ALWAYS 三丁目の夕日』『アルキメデスの大戦』など様々な……ヒットメーカーですね、山崎貴さんが、監督・脚本・VFXを手がけた、国産実写ゴジラ映画30作目。主な舞台は、1947年の日本。戦後の復興が進む中、巨大怪獣ゴジラが上陸し街を破壊。かつてゴジラと遭遇した敷島を始め、戦争を生き延びた人々がゴジラに立ち向かう。出演は神木隆之介、浜辺美波さん、そして佐々木蔵之介さん、山田裕貴さん、吉岡秀隆さん、青木崇高さん、安藤サクラさんなどでございます。

ということで、この『ゴジラ-1.0』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、案の定といいましょうか、「今年最多」。やっぱりね、ゴジラは多いんですよね。皆さんね、お好きな方が多いというかね。それは結構なことでございます。賛否の比率は、「褒める意見がおよそ3割」。ああ、そんなもん? とはいえ最も多かった意見は、「ゴジラ描写はいい。ただ、他の部分がちょっと……」という。だから、全面的にダメだって言ってるような人が多いわけじゃないんですよね。

主な褒める意見は、「ゴジラ周りのシーンはどれも素晴らしい。世界レベル!」「ドラマパートもよかった。説明的であるが、大衆娯楽としてはこれでよし」「山崎監督、見直した」などがございました。一方、否定的な意見は、「いくら何でも説明的すぎる。俳優たちが皆、下手に見えた」とか「ドラマパートが稚拙。セリフが多い割に肝心なところが説明不足」とか。「戦争や特攻を否定しているように見えて自己犠牲を美化しており、受け入れられなかった」などございました。

「水のCG凄すぎ!」(元CGデザイナーのリスナーメール)

代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「かしみあ」さんです。「初投稿です。『ゴジラ-1.0』もとい、ゴジラVS神木隆之介、見て参りました」。あのね、『キングコング:髑髏島の巨神』だとね、「コングVSサミュエル・L・ジャクソン」っていうのがありましたけども(笑)。あ、すいません。余計なことを言ってると時間がなくなる(笑)。「山崎貴監督作品ということで過度な期待はせず──」。すいませんね、この番組……すいません、私の(山崎貴監督の過去作の多くを酷評してきたことによる)悪い影響もあるかもしれない、ちょっとね、先入観が。

「……過度な期待はせず、むしろ覚悟を決めて臨んだのですが、結論から言うと普通に面白くてびっくりしました。途中でもラストでも、しっかり泣いてしまいました。興味深いのは、(庵野秀明監督の)『シン・ゴジラ』とまるっきり対になっている点。シンゴジではやけに優秀な官僚と『この国はまだやれる』という力強いメッセージを発する政治家が群れとしてゴジラに立ち向かった、“ゴジラ対日本”“現実対虚構”という構図に対し、マイゴジは“誰も責任を取りたがらない“”隠蔽だけが得意”な政府は当てにならず……」っていうか、(政府は)出てこないよね。「『民間でやるしかない』という諦めにも似たセリフが現代社会を風刺ているようで笑いました。また、ゴジラは主人公・敷島の特攻から逃げた後悔、戦争のトラウマそのものであり、彼がそれに向き合い乗り越えることでゴジラを倒す構図は、セカイ系を彷彿とさせるストーリー展開であり……」。まさしく。セカイ系っぽいところもあるかもね。

「……今作はゴジラ対神木隆之介であるというのは決して冗談ではないのです。点数でいえば80点。不満もないわけじゃない。セリフで説明しすぎる点、露骨な伏線、回想で明かす『そうだと思ったよ』な伏線回収。微妙に思います。ただ、せっかくゴジラ映画が、再び日本で作られるようになり話題になるこの状況。より多くの人にアプローチするという点では、この造りは正解なのかなと自分は思いました。山崎貴監督を少し見直しました。今まで悪く言っててごめんなさい」。悪く言っていたのか?!っていうね(笑)。控えてくださいね!

あとですね、ラジオネーム「ふかレモン」さんは、「私、元CGデザイナーで今はアニメーションのプロデューサーをしているのですが、今回は本当に驚かされました。とにかくCG凄すぎだと! ゴジラや爆破エフェクトに目が行きがちですが、主要な戦闘シーンが海というのに度肝を抜かれました」。ここ、本当に今回、ポイントだよね。「CGのエフェクトの中でも水はかなり難しく、シミュレーションにも時間がかかるので、デザイナーの技術もPCのマシンパワーも求められるのですが、昼間の明るいシーンで全く違和感のない水飛沫、水の動きに脱帽です。しかもクレジットを見たら、ほぼ白組さんとスクエニさんぐらいでデザイナー数が少なく、少数精鋭で作っているのが伺えます。これはひとえに山崎監督がデザイナー上がりで白組社内でチェックしてもらえるのが大きいと思います。迅速で的確なフィードバックがあっての功績だと。ストーリーなど演技指導がくどかったり、少し思うことはありましたが、日本のCG映画ではダントツだと思います!」。ああ、これいいですね。あの水の場面……本当にすごい、「海上戦」映画であることは非常に今回、重要なので。こういう方面(の評価があるということ)もよろしいんじゃないでしょうか。

一方、ダメだった方、ご紹介しましょう。「緑色好きののづ」さん。「ゴジラが出ている場面は結構楽しめました。ポカポカと音を立てて浮かぶ、からの、水面に浮く深海魚の不気味さなども良かったですね。今作は音の使い方が良い映画だと思います。ただ、これらの美点をかき消すほどに、さすがに説明口調がすぎます。そして今作が最も良くない点は、本作のゴジラが非常にご都合主義的な存在である点です。今回のゴジラは戦争を終われずにいる主人公のネガであり、特攻兵であった主人公がそれを克服するという構成は非常に筋が通っています。ですが、その筋を通すための存在として、ゴジラが物語を推進させるための都合のよい装置になってはいないでしょうか。物語としての必要性だけで動くあまり、存在としての説得力がないのです。とにかくやたらに東京破壊に執着する危険な何かになっていやしないでしょうか。であるにもかかわらず、『シン・ゴジラ』のゴジラほど非生物的に割り切ってもいないので、生態が見えなくなってしまっています。噛みついた日本兵を食うでもなく捨てる冒頭5分で危惧した直感は、誠に残念ながら最後まで外れることはありませんでした。もうラストの諸々については、呆れ返って特に何か言おうという気持ちも湧きません。身も蓋もないことを言えば、山崎貴監督の色や主張が出ている部分はかなり強引で難があると思いました。それをしてもなおアクションシーンは邦画では目を見張るほどのスケール感とケレン味が効いていますので、大きなスクリーンで見てよかったなと思えるくらいには楽しめた作品でありました」。まあまあよかった、って言ってるわけですよね。

あとね、ちょっとね、抜粋というかね。要約させていただきますが。「愛しのバラゴン」さん。「初めてメールさせていただきます。私は自他ともに認めるゴジラファンです」という。で、この方は音楽の使い方。伊福部昭の音楽の使い方が……「ゴジラが出てくるシーンでゴジラのテーマが使われるのは問題ないのですが、今回の曲は『キングコング対ゴジラ』と『モスラ対ゴジラ』が使われているのです。なぜ、なぜモスラが出てくるシーンではないのにモスラの要素を入れるのか。なぜキングコングが出てこないのにファロ島の原住民がキングコングを祀る曲の要素を入れるのか」っていう。僕、わかります。こういうライトモチーフ的なあれ(劇判)が、特に『スター・ウォーズ』でそれを感じているんですけども、ライトモチーフ的なあれが(画面上映っているシーンの主旨と)ずれていると気になる、っていうのはよくわかりますね。

ということで、褒めの方もけなしの方も、すごく皆さんのご意見、きっちりがっちり書いていただいて。皆さん、ありがとうございます。

「ゴジラもいいけど、浜辺美波さん最高!」(木曜パートナー熊崎風斗)

ということで私の評に行く前に、(番組木曜パートナー)熊崎ウォッチメン。いかがだったでしょうか?

(番組木曜パートナー)熊崎風斗:まあいろいろ、この意見でもあるように、言いたいことがたくさんあるというのはもちろんわかるんですけども。結構私、個人的には感動したなっていうところもありましたし。ゴジラのCGの感じとかも非常によかったなっていうのと。あとは役者。神木さんも素晴らしかったですし、浜辺美波さん、私は改めて大ファンで。

宇多丸:それな(笑)。浜辺美波さんな!

熊崎:浜辺美波さんを観に行きたい。

宇多丸:浜辺美波さんは、すごいよね! あの役をできるあの年頃の俳優さん、今いないよね。

熊崎:華やかな方であることは間違いないじゃないですか。ただ、戦後のあの感じで、苦労してる女性の感じがすごく似合うって……。

宇多丸:昭和感とね。あと、「東宝の女優さん」感っていうかな? 昭和東宝映画。あとさ、俺は、(途中、銀座で会社勤めをすることになった典子が身だしなみを整えたのを見て)「サザエさんの髪型のリアル版」ってこういうことかな、って(笑)。「ああ、サザエさんの髪型ってこれなんだ!」みたいに思ったんですよね。

熊崎:朝ドラの感じの浜辺さんもやっぱり、すごく昔が合う方だなと思ったんですけども。それに輪をかけて。

宇多丸:まあ舞台がね、完全にあれだけ作られていますからね。

熊崎:もう、浜辺さん最高! ごめんなさい。ゴジラもよかったんだけど、浜辺さんが最高! これだけは言っておきたい!

宇多丸:ありがとうございます。熊崎ウォッチメンでございました。

「山崎メソッド」とかゲラゲラやってて申し訳あるっせんした!

宇多丸:ということで、私も『ゴジラ-1.0』、TOHOシネマズ六本木、そしてTOHOシネマズ日比谷IMAXで2回、観てまいりました。あと、山崎貴さんご自身によるノベライズなんかも、読んでまいりました。まあIMAXっつってもね、IMAXフィルムで撮ってるわけじゃなくて……なので、いわゆる「額縁上映」です。縦だけじゃなくて、横にも黒みが残ってる、というね、あれなんで。それはご了承の上で観ていただきたい、という感じてございます。

まず、ちょっと先に、僕なりの大きな結論から言っておきます。だいたいどういう塩梅の評、感想かというと……まずひとつは、「こういう狙いのゴジラ映画があってもいいと思う」し、「そしてその狙いは概ね、大部分でうまく行っているとも思う」という感じ。少なくとも、「山崎貴さんが次の実写ゴジラを手がける」っていうアナウンスがあった時点でですね、この番組で、ネタ的にね、お話しましたよね。なんかソフトなムードの横文字タイトルがついて……という、いわゆる「山崎メソッド」って僕らが勝手に言ってるあれに(笑)、今回のゴジラもなるんじゃないか?って。「『Wind of Love ゴジラ』とか(笑)、『◯◯ of the Earth ゴジラ』とか、そんなんじゃねえの? ゲラゲラ~」って、失礼にもキャッキャキャッキャやってたわけですけども。そこで想定されてたようなレベルと比べれば、もうはるかに余裕で、もう何倍も超えてきてる!っていうのは間違いない。すいません。それは本当に失礼いたしました! あのキャッキャウフフは本当に失礼ですよ。オマエら失礼だぞ本当に! そういうところだぞ!(笑)っていうね。あと、予告映像が出た時点で「ああ、“こっちの方向性”で行くなら、いいかも」というのは私、思った次第でございます。

山崎貴さんの過去作で言えば、どちらかといえば、僕は比較的高く評価させていただいた、『アルキメデスの大戦』の延長線上にある作品と言っていい。いろんな意味で。後ほど言いますけど。ということで、狙いどころは「ああ、なるほど」って感じだし、概ねそれもうまくいっている。

「ただし、気になるところ、モヤるところ。少なくとも僕的には小さくないレベルであるにはあって……」ということですね。それらの点、今回は最後に、僕なりに「それはここをチューニングすればできることじゃん!」みたいなことも含めてですね、お話しようかと思っております。余裕こいてると、(批評用ノートの書き込みが)15ページあったことが判明したんでね、バンバン行かないといけない。

『シン・ゴジラ』の達成が上げてしまった国産実写ゴジラ映画のハードル

まあとにかく、「ゴジラとは何か」とかは、省きます! 「ゴジラシリーズとは何か」は省きます! あと、ハリウッドの「モンスターユニバース」の方も省きます! 全部、省きます。

近年、やはり大きかったのはですね、当コーナーでは2016年8月13日に時評しております、『シン・ゴジラ』。やっぱりこの『シン・ゴジラ』での達成がすごく大きかった分ですね、その後、この日本本国で実写版ゴジラを作るハードルが、それまでの比ではなくグッと上がっちゃった、という感はあるということだと思うんですね。前はもうちょっとね、ジャンル的に作ればいい、っていう感じだったのが、結構ドスンとしたものじゃないとみんな納得しない、ぐらいになっちゃった。

どういうことかといいますと、要は『シン・ゴジラ』、それまでのシリーズを完全にリセットして。ゴジラは出たことがない(という設定の)世界に……改めて1954年、オリジナル版におけるゴジラというのが、その当時の日本の作り手であったり、観客にとって、どういう存在だったのか? その構造ごと、2016年現在の日本に置き換えてみせた、という。僕なりの表現で言えば、「その時点で日本人が内心うすうす最も恐れていること、事態」というのを、怪獣というフィクションを通して具現化する、という。日本人が、「ああ、こういうことだけは二度と起こってほしくないな」、あるいは「いずれ起こったら嫌だな」と内心ずっと思っていることの、メタファーとしてのゴジラ、ってことですね。

で、1954年のオリジナルの『ゴジラ』はもちろん、まだまだ生々しいその戦争・敗戦の記憶、特に空襲、そして原爆ですね。日本人にとっての巨大なトラウマ、っていうのを描いているわけですけれども。それを2016年公開の『シン・ゴジラ』では、こう置き換えた。まずは、言うまでもなく2011年の東日本大震災と、それに伴う東京電力福島第1原子力発電所事故と、その後のゴタゴタ、みたいなことですよね。そういう(劇中でもセリフとして印象的に繰り返される)「想定外だ!」という事態に対して、実は無力であった日本という国、システムとしての国家に対する不平……不安・不信・不満みたいなことですとかね。さらには、いざという時に日本は……これはだから、いわゆる戦争的な「有事」でもいいんですけど、有事に日本は、世界から、わけてもアメリカから、結局は見捨てられてしまうんじゃないか?という、我々の中に実は染み付いている無意識の恐怖。『シン・ゴジラ』はそのメタファーにゴジラを置き換えてみせた……それを発動させる装置として、ゴジラを使ってみせたわけですよね。

で、散々日本人の嫌がることっていうのを見せておいて、三幕目からそれが、一気に反転して。「日本的チームワーク」とか、「日本的インフラ」で逆転・逆襲する!というね。それがカタルシスをもたらすという、そういう構造だったわけで。その「構造だけ」をソリッドに強化!っていうのが、『シン・ゴジラ』で。なので、それ以外の、その「構造」以外の部分、人間ドラマ的なものは、思い切ってもうほとんど捨ててる、っていうね。という、やっぱりちょっと変わったバランスの映画ではあったわけですね、『シン・ゴジラ』はね。あとは、その国際感覚とか、政治観みたいなものに──言葉を選んで言うならば──まあまあ強いクセもあったりはする、というような作品でございます。

ただ、とにかくそうした狙いが、少なくとも国内的には大成功を収め……あと、CGで作ってるけど日本型特撮感もしっかり感じさせるあのルックのバランス、であるとかも含めてですね、やっぱりエポックメイキングな一作であったのは間違いないと思います、『シン・ゴジラ』は。私は非常に高く評価している……いろいろ言いたいこともあるけど、高く評価している。よかったと思いますけども。

で、なんとその『シン・ゴジラ』のですね、公開時のコメントで、「次をやる人のハードルはとんでもなく上がってしまいましたね」なんて他人事なことを言っていたのが(笑)、山崎貴さんでございます。

まあ現状このバトンを受け取れるのは山崎貴さんくらいしかいないわな

山崎貴さん、もちろんキャリアについて説明する時間はないので全部省きますけど。僕は基本的に、なんか批判的な評をすることが多かった山崎さんなんですが……例外はあるにせよ。

たとえば『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)、そのオープニングで、ちょっとだけゴジラが登場する、みたいなのをやっていたりとか。あと、2021年から西武園ゆうえんちで始まった、『ゴジラ・ザ・ライド』っていうアトラクション。これね、僕、行けてないのが痛い。ここでのゴジラの造型が、かなり今回の元になってるみたいなんで。これ、ちょっと行ってないの、すいません、私の不勉強でございます。というのをやっていたりとか、まあ当然ゴジラへの思い入れも人一倍強いし、東宝で、しかもVFX多用の超大作で、ヒットの実績とネームバリューもあって……となると、まあなるほど、『シン・ゴジラ』の次を担えるのは、山崎貴さんぐらいしかいねえな、っていうのはこれ、納得なわけですね。

『アルキメデスの大戦』の延長線上に

なにより、先ほども言った『アルキメデスの大戦』という作品ですね。漫画の映画化ですけれども。2019年8月9日にこのコーナーでは時評いたしました。これ、明らかに山崎さんのフィルモグラフィー内でも、僕が見る限り、山崎さんの大きなターニングポイントになった一作だ、と思っておりまして。その評の中でも特に大絶賛させていただいた、冒頭5分間の、戦艦大和沈没シーン。これは本当に素晴らしかったです。で、今回の『ゴジラ-1.0』はですね、その『アルキメデスの大戦』の延長線上、特にその冒頭の大和沈没シーンの延長線上に作られている、という言い方もできるのではないかと私は思っています。

まず、先ほどメールにあった通り、重要なのは「海上戦」っていうことですね。海の上の戦い、っていうところ。海の戦いは、「『シン・ゴジラ』がやってない領域」でもあります。で、時代感を含めて……要するに、大きくいって太平洋戦争的な兵器が出てきたりする、っていうのは山崎さん、ノウハウもありますし。あと、テーマ的にもですね、要は旧日本軍に象徴される日本的システムの不合理性、特に人命軽視の傾向に対する批判という、今回の『ゴジラ-1.0』に完全に繋がる視点というのは……たとえばこの『アルキメデスの大戦』だと、山崎さんがスタッフのおじいさんの話を聞いて後からどうしてもと入れ込んだ、「アメリカ軍は人的資源をムダにしないから強いんだ」っていうことを、呆然と日本兵が見て、セリフでなく気づく、という見事な描写。こういうのも入っていた、『アルキメデスの大戦』には。だから、メッセージ、テーマ的にも、(今回の『ゴジラ-1.0』と)非常に繋がってるとこがある、ということですよね。

で、加えてですね、山崎さんはこの間、東京オリンピックの開会式(プロデュース)チームに、当初は入っていて。なんか、風の噂で聞くと、国立競技場の会場のあそこの空いたところから、ヌッとゴジラが顔を出す、っていう案を出してたらしいぐらいですけどね。でも、それを降板して。で、その後もう、皆さんご存知の通りね……元々その『アルキメデスの大戦』という漫画自体が、東京オリンピックの競技場を作る時の、あのすったもんだを見ていて書かれた原作なわけですけど。その後もうさらに──「あのザマ」と言わせていただきますが──「あのザマ」だったわけで。山崎さん的には、さらに……その自分も当事者として関わっていて、(日本の国家主導プロジェクトというのは)「やっぱりダメじゃん!」みたいなのを、強めているかもしれないですね、さらにそこの確信をね。

あと、『アルキメデスの大戦』と繋がる部分で言いますとですね、「立ち上るキノコ雲に日本の絶望を込めた」ような画ヅラというのも、『アルキメデスの大戦』でやっていたのを、更にまた繰り返しというか、また今回(『ゴジラ-1.0』で)もやってるし。

加えて、その『アルキメデス』評の中でも言及しましたけど。佐藤直紀さんの音楽……ずっと山崎さんと組んできた人なんだけども、『アルキメデス』、そして今回の『ゴジラ』に関しては、いたずらに感情を「ドラマ的」に盛り上げるような、説明的な劇伴ではなく、ミニマルでドライで硬質なサウンドに、あえて……要するにあんまり感情的じゃない感じに抑えている。これによって、以前の山崎貴作品に非常に顕著だった、過剰にウェットで説明過多なところっていうのが、いろんな他のバランスとも相まって、大きく改善されている、というのもあってですね。なので、『アルキメデス』とこの『ゴジラ-1.0』は、少なくとも同じモードで作られているな、という感じがするわけです。

ということで、『アルキメデス』がやっぱり(山崎貴監督的にも)手応えがあったんだろうなと。で、その先に今回の『ゴジラ』も行ける!って感じがあったんじゃないかな?という風に、私はちょっと線を引けるかなと思っているわけですけども。

トリッキーな時代設定に「復員兵たちのリベンジマッチ」という人間ドラマを置く

で、先ほど「海上戦は『シン・ゴジラ』ではやっていない」なんてことを言いましたけども、もうひとつ、『シン・ゴジラ』があえて捨てていたのが、さっきも言いましたように、人間的なドラマ、ってことですね。もうドラマはスパッと捨てている。

そもそも怪獣映画というのはですね、事態が大きくなればなるほど、人間の出る幕じゃなくなってくる、関係なくなってくる。そこをどうするのか?というのをどの作品も、いろいろと工夫したり、していなかったり(笑)するわけですけども。山崎さんは、そこ(人間的なドラマ性)をあえて完全に捨てた『シン・ゴジラ』に対して、じゃあ今度はあえて完全に人間……というか「個人」ですね。「個人サイドから見たゴジラ映画」という風なところをまず、狙いどころとして設定されたと思うんですね。

プラス、さっき言った1954年のオリジナルゴジラ、そして『シン・ゴジラ』が象徴していたもの、つまり、さっき言った「日本人の無意識の恐怖の具現化」「それに日本的なるものが逆襲する」、この構造をさあ、どう置き換えようか? 山崎さん、おそらくもちろん、ここを考え抜かれてですね。出てきたのが、今回『-1.0』最大の発明というか、特徴。1954年の初代よりも前、本当に戦後すぐ、という設定にするという。まさに泣きっ面に蜂といいましょうかね、国力としてはもうゼロ……っていうか、国がゼロ。からの、さらにマイナス。当然、要するにもう、容赦なく襲ってくるゴジラ、「怖い方のゴジラ」ということになるわけですよね。

で、復員兵がその挫折感、無力感を、今度こそ!とばかりに克服していく、という人間ドラマ。それをだから、その時代設定に置いているわけです。ゴジラを一種、敗戦のダメージ、トラウマそのものの象徴として置きつつ、復員兵たち、日本の主に男たちが挫折感、無力感、不能感を克服するドラマ、っていうところに狙いを……ざっくり言えばそこに狙いを置いたわけですね。

ちなみにこの「復員兵たちのリベンジマッチ」っていう構図は、ゴジラと同じ1954年公開、ご存知『七人の侍』の、うっすら背景でもあるわけですね。『七人の侍』はあれ、復員兵の話だ、っていうことなんですね、当時の感覚で言うと。なので、ひょっとしたら山崎さん、そこの『七人の侍』も、多少意識されてのこの物語の置き方、かもしれません。という感じですかね。あとはね、パンフのインタビューによれば、(血の繋がらない者同士が同居し助け合ってゆくあたりは)「藤沢周平の長屋者が発想の原点だ」なんてこともおっしゃってますけどね。

時代の空気を映す鏡としてのゴジラ、本作においては……?

それとですね、これも重要かもしれない。さっき言ったオリンピックのゴタゴタに加えてですね、本作の準備期間中、コロナパンデミックを挟んでいるわけですね。脚本を準備している時に。つまり、政府がうまく機能していない……あとその、(劇中のセリフでも繰り返される)隠蔽がどうこうみたいな、そういうのもあるかもしれない。ゆえに、「民間人が、自分たちで今のところは何とかするしかない」感じ、みたいなのは、たしかに本作の気分として入っている。だから、一作目の『ゴジラ』が当時の先の戦争。で、『シン・ゴジラ』が東日本大震災だとするなら、今回は、あえて言うなら「コロナ」っていう時事感がちょっと入ってるかもしれない、っていうことですね。

といったあたりが本作『ゴジラ-1.0』の、大まかな狙いなわけです。それがどう作品に結実していったのか、というあたりを、ここから順を追ってお話ししていきたいんですけども。

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