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2023年11月号ソトコト 特集「続・道の駅入門」。小誌編集長・指出一正の巻頭言【完全版を公開】

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2023年11月号ソトコト 特集「続・道の駅入門」。小誌編集長・指出一正の巻頭言【完全版を公開】

2023年11月号ソトコト 特集「続・道の駅入門」について、小誌編集長・指出一正が思うところを、オンライン読者のみなさんに大公開。雑誌『ソトコト』2023年11月号の内容を掲載しています。

帰省は、地域や人と関わりを持つチャンス。

僕が東京との二拠点生活を送っている兵庫県神戸市に、「トアロード」という道があります。「異人館通り」と「旧居留地エリア」を南北に結ぶ坂道ですが、そのトアロード沿いにあったホテルを舞台にした祝祭的な日々を描いた俳人の西東三鬼の『神戸・続神戸』(新潮社)を最近、読んでいます。戦前、戦中、戦後という日本の有事のど真ん中の時代であったにもかかわらず、エネルギッシュな女の子やバーのママ、奇妙な外国人が登場し、「本当に戦時下なの?」と疑いたくなるほどのスラップスティックな出来事が、毎日繰り広げられるのです。この小説を読んだ後に、現在のトアロードや元町、三宮界隈を歩きながら、時空を超えて世界を重ね合わせる遊びを、神戸生活の楽しみの一つにしています。

ギ・ド・モーパッサンの短編作品『二人の友』もそう。戦時中、プロイセン軍包囲下のパリで友達二人が再会し、お酒を飲んだ勢いもあって、「魚釣りに行こう」となりました。プロイセン軍がいるところまでそうっと近づき、釣りを堪能します。悲しい結末が待っているのですが、ともに釣りを楽しんだ時間は大らかな心持ちでいられたはず。有事のなかにも楽しい瞬間はあるんだなと、切なくなりつつもそう思いました。

今、僕たちは「人口急減の時代」に生きています。この勢いで人口が減る先進国は珍しく、国際競争に置いていかれるとか、税収が減るとか、後継者がいないとか、さまざまな課題が指摘されていますが、出兵を余儀なくされた戦時中のように、地域から一人、また一人と若者の姿が消えていく現象は、現代の「有事」と言っても過言ではないでしょう。

でも、西東三鬼やモーパッサンが書いたように、有事だからこそ楽しめる、生活の合間合間に覗かせる„一粒の幸せ"みたいな、そういう情景は地方創生の「有事」にもあるんじゃないかなと思っています。だから、「地方は大変だ」と眉間にしわを寄せるばかりではなく、楽しさを見つけながら「有事」を乗り越えていけたらというのが、僕の地方創生への向き合い方です。

道の話ですね。僕の故郷は、群馬県高崎市です。盆や正月に東京から帰省するときはそれほど大ごとではないのですが、今回は神戸から、家族と一緒に車で、しかも東名高速道路を使わず北陸回りで帰るというルートに挑戦したため、帰省が一大行事になりました。

神戸から大阪、京都を抜け、琵琶湖の東の米原市へ。高速道路の北陸道に乗り、福井県に入りました。脇道へ逸れ、向かったのは勝山市にある『福井県立恐竜博物館』。今回の帰省の旅は「なるべく学ぼう」がテーマだったので、ロードサイドの行きたい場所には極力立ち寄ることにしていました。ここは、恐竜ファンにとっては聖地です。いつかは行ってみたいという方が大勢おられる博物館が地域にあるのは喜ばしいこと。僕は恐竜が大好きというわけではありませんが、すごい迫力でした。

次に立ち寄ったのは、富山県・朝日町のヒスイ海岸。日本の国石はヒスイです。朝日町の隣の新潟県糸魚川市は、アジアのヒスイ文化を牽引したヒスイの産地として知られています。歴史をたどると、人の交流も盛んで、人が大事にしているものを生み出してきた地域でもあります。

その糸魚川にある『フォッサマグナミュージアム』にも足を運びました。フォッサマグナはラテン語で「大きな溝」という意味で、東日本と西日本を分ける(つなぐ)断層で、その西縁は「糸魚川―静岡構造線」と呼ばれています。いわば中日本エリアで、富士山もフォッサマグナのなかにあります。

糸魚川―静岡構造線をなぞるように南北に国道148号線が走っています。宮本常一の『塩の道』ともリンクする道で、長野県・小谷村、白馬村、大町市、安曇野市、松本市、塩尻市まで続きます。そこからさらに、諏訪市、山梨県北杜市、甲府市を通って静岡県静岡市へ抜ける道も糸魚川―静岡構造線に沿うように敷かれています。その道を、糸魚川でイカ墨をたっぷり使った黒い麺が特徴の「糸魚川ブラック焼きそば」を食べた後、満足した気分で車を南へ走らせました。

小川糸さんの小説『ファミリーツリー』(ポプラ社)の舞台にもなった安曇野市にある『安曇野山岳美術館』を訪ねました。訪ねた理由は、僕が好きな『アルプ』(創文社)にスポットを当てた「アルプの仲間展」が開催されていたからです。『アルプ』は串田孫一さんの主宰で、辻まことさんらが参画した山をテーマにした1960年代頃の雑誌ですが、山の登り方や登山道具といった話題はなく、山と人間といった思索的なことがたくさん書かれています。当時は80円くらいする高価な雑誌でした。まじめ一辺倒ではなく、ユーモアもあり、マスコミュニケーションにはなりませんでしたが、300号も続きました。僕を含め『アルプ』を応援していたのは、山を征服しようとか、消費しようとは考えなかった人たちで、展示された『アルプ』を見ていると、メディアはまたこういう感じの立ち位置に戻っていくのかもしれないと思いました。

『アルプ』の世界観もそうですが、僕は美しいものが好きです。美しいという言葉の幅は広く、店主がていねいに串に刺して焼いてくれた焼き鳥のレバーも美しいと思うことがあります。『アルプ』に、単に懐古趣味で美しいと言っているのではありません。今だからこそ、こういう雑誌をつくりたいという気持ちにさせられるのです。森や川をテーマにした、『アルプ』的な感覚を大事にした美しい雑誌、つくりたいですね。

僕は釣りに行くと独り言をつぶやくことが多く、川から出るときは「また来るよ」とか、「ありがとうございました」とお辞儀することもあります。山や川を擬人化しているのです。そういう感覚が『アルプ』にもあって、山がつくっている世界そのものを擬人化するというか、山に委ねるというか……。梢が揺れる音に耳を傾けたり、ヤマセミが飛ぶ瞬間を目にしたり、ツキノワグマに出合ったり、そんな自然のリアルと対峙すると、山や川が生きているという気がしてくるのです。自然とのリアルな対峙のなかから生まれたような、そんな『アルプ』の言葉や世界観に包まれて、「また来るよ」とつぶやいてしまうのかもしれません。

群馬の人は、「行く」を「行ぐ」と言います。「ChatGPT」はおそらく「行ぐ」という言葉は使いません。でも、群馬へ足を運び地元の人と会話すると、「行ぐ」と耳にするはず。「ChatGPT」が返してくれる群馬の情報を頭に入れて群馬のことを知ったつもりになっても、「行ぐ」には勝てません。そんな言葉のハレーションがある社会のほうが豊かだと思います。『アルプ』の文章にも、そんな豊かさを感じるのです。

安曇野にある『田淵行男記念館』も訪ねました。写真家で、生物学者でもある田淵さんの蝶の絵や山の写真を見ていると、山や環境は僕にとってかけがえのないものとして伝えていきたいと改めて思いました。

安曇野を後にし、軽井沢の古書店『追分コロニー』に寄ると、うれしいことに『アルプ』の100号以下の、僕が持っていないバックナンバーが置いてあったので購入し、安曇野で見てきた情景と重ね合わせました。

以上が、帰省の道中に立ち寄った場所や考えたことですが、今、帰省という言葉が若い人たちの間で流行っているような気もします。『ソトコト』23年3月号で、「超帰省」という、帰省時に友達を一緒に連れて帰り、地元の人と友達をつなぎ、「関係人口」にしていく活動を紹介しました。帰省を地域づくりに関連づけたおもしろい取り組みです。

また、中越地震で大きな被害があった新潟県の旧・山古志村は人口が約800人(いわゆる限界集落ですが)、NFTを発行しています。詳しくは検索してほしいのですが、このNFTは「電子住民票」の意味合いも兼ねていて、購入すると旧・山古志村の「デジタル村民」になれるというもの。デジタル村民は2023年7月時点で約1100人で、地域づくりにも参加しています。チャットアプリ「Discord」でデジタル村民とリアル村民の交流も行われています。この交流を知ったとき、デジタル村民の皆さんが、旧・山古志村に行くことを「帰省」とおっしゃっていたのが印象的でした。すでにのべ300人以上が「帰省」したそうです。帰省は、都会と地域の静かな接点や、新しい地域との関わり方として捉えているのだなと、自分の帰省と照らし合わせながら考えていました。

昔の道と今の道、コスパがいいのはどっち?

今、山形県・小国町の関係人口講座「白い森サスティナブルデザインスクール」のメイン講師を務めています。小国町には東京都と同じくらいの面積の森林が広がり、美しいブナ林も見られます。その小国町の折戸という地域から、かつて新潟県・三面集落があった奥三面ダムにつながる、山好きな人には知られた道があります。その三面集落がダムの建設により閉村する年までフィールドワークされた田口洋美さんが若い頃に書かれた『新編越後三面山人記』(山と溪谷社)を読んでいます。集落の人々の山の暮らしについて、マタギがクマを撃ったり、織物を織ったり、丸木舟をつくったりする話が記されていて、その時代に道がどういう役割を果たしていたのかも理解できます。

登場する道は二つあり、一つは新潟県の城下町である村上市へ向かう道。もう一つは、県をまたいで小国町へ、つくった道具を売りに行ったり、交換しに行ったりした道です。折戸の道は部分的に歩いたことがあるので、「あの道を往復しながら経済や文化を成り立たせていたんだな」と、本を読みながら土地の成り立ちに思いを馳せたりしています。

今は令和ですが日本の各地には昭和、大正、明治の道が表出し、同じ名字が多いとか、婚姻関係があるとか、離れた土地の人々同士が国道になる前から存在する道を通じて文化を共有していたことが、山道や峠からもわかります。今でこそ新幹線で東京と神戸を日帰りで往復できるくらいに交通機関は発達していますが、『新編越後三面山人記』に登場する人々にとっては村上や小国に出るのは一大行事で、3、4日かけて戻ってくるみたいなことを繰り返しています。それに比べると、夢のまた夢のような移動を僕らは当たり前のように行っていますが、その代わりに取りこぼしているものもたくさんあるのかなと感じます。「そのほうがコスパがいい」「タイムパフォーマンスはどうなの」と時間を気にしてばかりの仕事や遊びの仕方が当たり前になっていますが、「それって本当にコスパがいいの?」と首をかしげたくなることも多々あります。30キロメートルほどの山道を3日間かけて往復し、向こうの人と関係性をつくることと、忘れ物を取りに日帰りで東京と神戸を往復することと、どっちがコスパがいいのだろう? 最速・最短のルートよりも、遠回りする旧道のほうが得られるものが多いと感じることもあります。早ければ、安ければ、というものではなさそうです。

『新編越後三面山人記』に記されているような地方の山道を歩いていると、動物に出合うこともしばしばあります。先日、福島県田村市を訪れ、夏の太陽が照りつける里山の砂利道を歩いていたら、目の前に数匹のハンミョウが現れました。羽を広げて飛んだり、道に降りて歩いたり、僕との距離を縮めず、遠ざからず、歩いていく姿を見たときは、ちょっと気持ちが和みました。ハンミョウは「道先案内人」とも呼ばれ、なぜかは知りませんが、人が歩いているとその前をまるで案内するかのように飛んだり、歩いたりする習性があるようです。

東北の集落から山のなかへ入っていく道のカーブを曲がった瞬間、子熊と遭遇したこともあります。今年はツキノワグマに2度、出合いました。人がつくった道を臆することなく歩いている姿を見ると、「どんどん利用してね」と子熊に言いたくなりました。もちろん、刺激しないよう気をつけなければいけないけれど。

ロードサイドをおめかしして歩く中学・高校生。

「ふくしま未来創造アカデミー」という、首都圏在住者が福島県12市町村との関わりを考える関係人口講座のメイン講師を務めているので、相双地域(浜通りの中北部地域)に訪れる機会があり、国道6号線を車で行き来しました。6号線は、東日本大震災の津波と原子力発電所の事故で風景が大きく変わった場所。12年が経ち、更地になったところと、取り壊される予定の場所が混在しています。ロードサイドの衣料品チェーン店をガラス越しに覗くと、棚には当時のまま服が並んでいました。

6号線を移動する途中、大熊町役場の女性職員が、「ここ、『すずめの戸締まり』に出てくるガソリンスタンドです」と教えてくれた場所を通過しました。『すずめの戸締まり』は新海誠監督のアニメ映画です。僕は群馬県出身なのでよくわかるのですが、通学路や通勤路には、そのまちに暮らしている人たちの思いが映し出されるというか、朝に、夕に、いろんな思いを噛み締めながら車や自転車に乗っているので、道を往復しながら自分自身を積み重ねているというか、だからこそ道や、ロードサイドの風景に感情が湧き上がったりもするのです。役場の女性職員だけでなく、ほかの人も「ガソリンスタンドが映っていた」と笑顔で話す様子を見ていると、大熊町の皆さんの暮らしや記憶のなかに、6号線とそのロードサイドの風景が刻み込まれているんだなと思いました。

僕にとって、青春の道は国道17号線や18号線でした。高校を卒業して免許を取り、それがうれしくて、夜中の軽井沢へ、何の目的もなく車を走らせ、何をするでもなく高崎に戻ってくるということを楽しんでいた頃を思い出しますが、道って、ただ移動するためのものではなく、何かを思い、何かを感じる場所でもあるのです。日常の思いが行ったり来たりしているのが道なんじゃないかなと、センチメンタルな気持ちにさせてくれるものでもあるのです。

ロードサイドの話を続けます。「ファスト風土」という言葉は、評論家・三浦展さんがファストフードに喩えてつくったもので、地方都市のロードサイドはショッピングセンター、ファストフード店、ファミリーレストラン、紳士服店、家電量販店、カラオケ店など、どこも同じような大型商業施設が並び、その地域固有の風景や風土が均質になってしまっていると、著書『ファスト風土化する日本』(洋泉社)のなかで指摘されています。確かにそうだと僕も思いますが、以前、新潟県の佐渡島へ行ったとき、「ファスト風土化」したロードサイドを地元の中学・高校生がおめかしして歩いている姿を目にし、新鮮な印象を受けました。「ファスト風土」のなかをおしゃれした若者たちが楽しそうに歩いている風景は、今のローカルを体現しているんじゃないかと思いました。というのは、全国のロードサイドに展開する大型中古書店を巡るのが好きだという若者もいて、理由を尋ねると、「地域によって置いてある本が違ったり、同じ本でも値段が違ったりするので、棚を見るのが楽しい」と言うのです。それは、僕もロードサイドの大型釣具店に入ったときに感じることで、チェーン店ではあるのですが、その地域で釣れる魚に特化した道具が販売されているなど独自性が見られるのです。店舗の外観はどこも同じなのですが、入ってみるとオリジナリティを感じるのです。

そんなまちを、おしゃれした中学・高校生が歩いている。彼ら彼女らがまちを楽しむ姿勢で、ロードサイドの今を伝えたいと同時に、「ファスト風土」的なエリアに道の駅が個性ある形で現れると、新しい地域のコミュニティビルディングができるのではと思ったりもしています。

やがてはロードサイドに平行してある司馬遼太郎の『街道をゆく』(朝日新聞出版)みたいな旧・街道を(僕は新潟県上越市の高田にあるような雁木の道や、消雪パイプが埋め込まれているような錆びた道が好きですが)、地元の若い人たちがおめかしして歩くようになると、ポップな雰囲気になっていいんじゃないかなと密かに期待をしています。

地方の中学・高校生の姿を見ていて思い出しました。かつて坊主頭だった僕は、東京の大学に合格して高崎を出るとき、「俺って、かっこいい本を読んでるだろう」とうそぶきたいがゆえに読んでいたのは『STUDIO VOICE』(流行通信)です。東京に暮らす同世代の若者はみんな『STUDIO VOICE』を読み、サブカルチャーにも詳しいだろうから負けじと理論武装したのですが、東京に暮らしてみたら、読んでいたのは地方出身の友達ばかりでした(笑)。

そこで東京の幻想は一つ崩れたのですが、東京はかっこいいまちという偶像崇拝はまだ僕のなかでは続いていたので、そこに合う自分でいたいというところで選んだのがオルタナティブでした。なかでもビートニクはかっこよさにあふれていて、ビートが好きな女の子たちもおしゃれだったから、「ビート、いいよね」という台詞を吐きたいがためにジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』(河出書房新社)や、アレン・ギンズバーグの『ギンズバーグ詩集』(思潮社)を読み、映画も観に行きました。けれども、僕はビートと一線を画すリチャード・ブローティガンに夢中になっていきました。

『アメリカの鱒釣り』(新潮社)や『西瓜糖の日々』(河出書房新社)という藤本和子さんが訳す美しい散文の連なりに惹かれ、文章でイメージをふくらませることができると知った貴重な読書体験でした。東京にも滞在したことのあるブローティガンは、最後は悲しい結末で亡くなりますが、僕はブローティガンの散文を通じてアメリカ西海岸のカウンターカルチャーがますます好きになり、当時かっこよかったアウトドアムーブメントにハマッていき、『山と溪谷社』の雑誌『Outdoor』編集部に入りました。入ってみたら、みんなブローティガンを読んでいたわけでも、ビートが好きなわけでもない、山や自然が大好きという先輩たちに囲まれて、編集者として育ててもらったのです。

それぞれの、道の駅の楽しみ方。

地域の外から来た人と、なかに暮らす人をつなぐ施設を「関係案内所」と名づけ、提唱しています。単に観光スポットを紹介する観光案内所ではなく、人と人との関わりが生まれるきっかけを提供する場のことを言います。関係案内所を起点にして地域の人や文化と関わりを持ち、関係人口になっていくこともあります。

関係案内所は、古民家をリノベーションしたブックカフェとか、ゲストハウスのような小さなところがふさわしいのだろうと思っていましたが、最近は関係案内所が大型化する流れにあり、道の駅も関係案内所として機能するようになってきています。高知県四万十市にある『道の駅よって西土佐』は、2階に自由にくつろげるコミュニティスペースが設計されているのを見たときに、それを感じました。

道の駅が地域のソーシャルイノベーションとなり、まちづくりや関係人口が大幅に増えることに寄与するかどうかは、まだわかりません。人には積極的な人、社交性がある人、はにかみ屋さんといろいろな性格がありますが、道の駅はもしかすると、はにかみ屋さんにとって居心地がいい場所なのかもしれません。地域のことは応援したいけど、深く、直接的なコミュニケーションを取るのはちょっと苦手だという人が、地域の産品を買ったり、食堂で地元のご飯を食べたりすることで、うっすらと地域と関わることができる場所。誰かに押し付けられることなく、会話を交わすこともなく地域にふれることができるという意味では、新しい形の関係案内所になり得ると考えています。

僕らは、「地域づくりに参画してくれる人が増えてうれしい」と喜びがちですが、実は地域には遠巻きに見ている人のほうが多かったりします。口を開くことなく、静かに地域を見守り、応援を続けられるサービスとしても、道の駅は成り立っているのです。

『道の駅よって西土佐』のデザインに携わったのは、デザイナーの迫田司さん。迫田さんは外観は古民家で、なかに入れば下北沢にあるお店のようなポップカルチャーにあふれたかっこいい世界観を持って西土佐で暮らしておられます。訪ねると、何がローカルで何がシティか、いい意味で頭の中がマーブル模様になるような体験をさせてもらいました。

迫田さんは、梅原真さんをはじめ高知県のローカルデザインをつくってきたデザイナーの一人だと思います。道の駅で販売されている商品も数多くデザインされていて、活気にあふれ、人の息遣いを感じられる商品はどれも買っていきたいと思います。そういう商品や空間やサービスが道の駅にたくさん生まれているのは、ローカルのデザイナーの力によるところが大きいでしょう。道の駅で何か買うとき、その土地のデザインに目を向けてみると、地域の楽しさが増しますね。ちなみに僕は、西土佐にある台北出身の洪秀媛さんがされている居酒屋『台北』の「ラー油シリーズ」という商品が好きです。

もう一つ、道の駅の話を。神戸から車で1時間半ほど北へ走ると、丹波市に到着します。そこに、『道の駅あおがき』という道の駅があり、施設のなかには『丹波布伝承館』が設けられています。丹波布は手紡ぎ、手織りでつくられた草木染の布で、明治末期まで農家の人々によって織られていたそうです。昭和初期に柳宗悦が近畿の布を調べていたときに、素朴で美しい格子柄の布を見つけて、この布の産地を探したところ、「青垣でつくられているが、もうつくり手はいない」とわかり、復興させたそうです。

伝承館を見学後、直売所を見て歩きました。印象に残ったのは花でした。3、4種類の花をきれいに小分けにして1束300円以下で、とても安く売っていました。それほど利益は出ないんだろうなと思いましたが、妻が、「花がきれいに咲いたことがうれしくて、お裾分けしているんじゃないかな」と言ったときに、道の駅が単に地元でとれたものを販売するだけの場ではなく、自分たちの暮らしの満足や僥倖みたいなものをほかの人に渡すことができる場でもあると思い直しました。花を出した人は、「たくさんできて余ったから」という言い方をするかもしれないけれど、その花束には、喜びを伝えたいという気持ちが詰まっているに違いないと勝手に思いを巡らせていました。ドライブがてらに立ち寄った人と、その地域に暮らす人と、花を介在してやさしさの交換をするひとときを過ごすと、道の駅が単なる消費の場ではなく、昔ながらのもののやり取りに心が交わる場になっているように感じられました。

最後に、僕にとっての道の駅がどういう場所か話します。休みが取れると、東北新幹線の駅でレンタカーを借り、山へ入って渓流でイワナを釣ります。それは、僕にとってとても大事な時間です。釣りには、竿と仕掛けさえあればわりと釣れる魚と、テクニカルな道具がないと釣りにくい魚があり、イワナは後者です。ウェーダー(胴長)、滑らないための工夫がされた革靴、数十種類の毛鉤が入っているベスト、水中が見えるメガネ、竿も3種類、替えのリールなど、古いボストンバッグに詰め込んで移動するのですが、それなりの荷物の量になります。

釣りをしているときは夢中ですから、荷物は車の後ろに散乱していますが、いざ新幹線に乗って東京へ帰る時間になったとき、すべてを片付けなければいけません。その片付けの場が、道の駅なのです。駐車場の、建物からいちばん離れた区画に車を停め、その日の釣果を振り返りながら、ていねいに、心置きなく片付ける時間も僕は大好きです。美しいブナ林の渓流で汗だくになり、アブと格闘しながら、宝石のようなイワナを釣り、汗だくのまま車に乗って、道の駅に到着。Tシャツを着替え、すっきりとした気分で荷物を片付け、自分へのおみやげに地酒を買って、新幹線の駅へ向かうこの時間が、僕にとってはすごく大事なのです。

ただの駐車場じゃありません。その滞在時間に、思索が生まれたりもします。賑わい創出のためのプレイスメイキングも必要ですが、道の駅の、誰にも邪魔されない駐車場のスペースも人には必要なのです。

さて、特集の一つ目は、僕が取材に行った山口県の『道の駅阿武町』です。空港から阿武町へつながる県道に設置されたガードレールは、夏みかん色。ワクワクしながらレンタカーを走らせて向かった、全国の道の駅の発祥の地『道の駅阿武町』の記事をぜひ、読んでみてください。

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