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病気の人を救えるのは医学だけ、なんてない。―芸大と医大を卒業した研修医が語る「自分にしかできない社会貢献」とは―

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病気の人を救えるのは医学だけ、なんてない。―芸大と医大を卒業した研修医が語る「自分にしかできない社会貢献」とは―

子どもの頃から絵を描くことが好きだった小川貴寛さんは、アーティストを志して東京藝大油絵科を受験し首席で合格した。しかし卒業後に進路を変更し、医師を目指して医大への受験勉強を始める。そして3年後に合格。卒業した今は研修医として医師の道を歩み始めているが、同時に「自分にしかできない社会貢献」をテーマに創作活動も続けている。誰もが目を見張る華麗な経歴を持つ小川さんに、彼のこれまでと、現在と、これからについて聞いた。

毎年春になると、高校や大学を卒業した若者たちが社会に飛び出していく。その就職先はといえば、学校で学んだ内容に何らかの形で紐づいた職種であることが多いだろう。とりわけ専門的な分野を学んだ人であれば進路は自ずと決まってくる。そんな中、東京藝大の油絵科という極めて専門的な大学を卒業しながら、医学の道に転じた小川さんは異色だ。彼は何に突き動かされ、どこへ行こうとしているのか。その思いに迫った。

1つの価値観にこだわるのもありだけど、その価値観をちょっとずらしてみるのも、またありだと思います

ずっと、絵を描いてきた

小川さんは絵が好きで、幼稚園の頃から絵を描いていたという。

「漫画とかじゃなくて、動物とかですね。特殊なことじゃなくて、ただ絵が好きでした」

小学校に入ってからは、そのころ流行っていたジブリ作品やワンピースなどのキャラクターを描くようになる。

「ジブリ、本当に好きだったんで、スタジオジブリに就職したいな、なんて思いながら描いたりしていました」

ここまで聞くと、ただの絵の好きな少年にも思えるが、人とはちょっと違った一面も持ち合わせていたようだ。

「先生が求めている絵は、こんな絵でしょう?っていう感じで、小学生のくせに評価を意識した絵を描くこともありました。でも一方で実験的な絵を描くのも好きだったので、こんな風に描いたらどうだろう?なんて考えながら描くことも多かった。車の模型みたいなものを作る工作の時間に、車内の見えないところを一生懸命作っていて、先生に『何で見えもしない所を、そんなに作り込んでるんだ?』と言われた記憶があります」

評価軸とは関係のないところで絵を描いたり物を作ったりする少年でもあった。中学生の頃に、周りから「絵が上手いね」と言われることが増え、そうなると「もっと絵が上手くなりたい」と思うようになる。

高校に入ると映画に興味を抱き、とりわけ北野武作品に夢中になった。そしてちょうどその頃、東京藝大の大学院に映画科ができ、その初代教授の一人に北野武氏が就任する。

「それもあって、藝大に入って、4年制の学部を卒業して、その後大学院の映画科に進みたいって思い始めたんです。学部には映画科がなかったので、まずは他の科を受験しなきゃいけない。じゃあどこを選ぶか?……絵ももっと上手くなりたかったし、絵を描くなら油絵が王道かなと思って油絵科を目指すことにしました。高校2年生の時ですね」

ただただ絵が好きだった小川少年の興味は、漫画へ、映画へと移り変わったが、表現系が好きなことだけは一貫していた。

藝大に首席で合格。しかし思わぬ方向へ

難関の藝大を目指して受験勉強を続け、3年浪人して合格。1次試験はデッサンで、その年の課題は「私の風景」。描く対象はどこでもいいから1日かけて風景を描くという課題だった。小川さんは校内の風景を描いていたが、その日は風が強かった。画板からちょっと目を離した隙に、描きかけの絵が強風に飛ばされてしまう。

「走って追いかけて、なんとか回収してことなきを得ましたけど、3年間の苦労が一陣の風で消えてしまうのか?!って、あの時は本当に焦りました」

続く2次試験は3日間。1日目は「自分の部屋」という題で、中が白い四角い箱を渡され、その白い部分に何かを描くことを求められる試験。2日目と3日目は「自画像」だった。

そんな試験に、自分でも驚いたことに首席で合格した。前途洋々のはずだった。しかし藝大で学び始め、しばらく経つうちに、小川さんの心には次第に戸惑いや迷いが入り込むようになる。

「藝大に入ったものの、そのカリキュラムが僕には自由すぎたんです。僕ってけっこう生活自体はクリエイティブ的ではないんですよ。決められた時間に学校に行って、決められたことをやって帰る、みたいな単調で強制される方が自分には合っていて、それと真逆の藝大の生活が体質に合わなかった。枠があった方が身も心も安定するんですよね」

時が経つにつれ、ネガティブな思いが増殖を始めた。

「実は自分はアーティストには向かないんじゃないか?この道は自分に合っていないのではないか?」

作品の評価も芳しくはなかったし、創作する作品の数が比較的少ないことも自分で気になっていた。

「上の学年にも下の学年にも、次々と作品を作る人がいましたから、自分はそれに比べて作れてないな、っていう不安もありました」

同時に、あれほど惹かれた映画に対する思いも次第に変容していく。

「映画をやりたいと思って入ったんですけど、映画って大勢の人をオーガナイズして作り上げていく仕事だということを改めて認識して、それは自分には合わないんじゃないか?って思い始めたんです」

それに比べて現代美術は、成功している方の中に小規模に活動されている方も多く、そちらの方が自分には向いているかもしれないと思い始める。これからは映画ではなく美術を追求しようと改めて決意し、藝大で学び続けた。

心機一転、医学の道へ

藝大を卒業し、アーティストを目指す方向で毎日を送ってはいたが、卒業後も小川さんは、自分の作品が作れないでいた。

「もちろんアーティストになりたかったんですけど、在学中だけでなく卒業後も、周りと比べてみると『これは難しいかな』って思い始めました。これから10年やったところで芽が出ないかもって。それも、努力しての結果なら仕方ないんですけど、努力もあんまりできていなかった。けっこう限界かもって、それが20代半ばだったんですけど。それで、もともと興味のあったもう一つの道、医学の道に転向しようと決めました」

小川さんは子どもの頃から、医学にもまた興味を抱いていた。とりわけ精神医学に。思春期の頃「自分は対人関係で敏感すぎるのでは?」と感じることも多く、「これってどうしてなんだろう?」という疑問が、心理学や精神医学への興味につながったのだという。

「アーティストとしての道を挫折したとはいえ、それまでやってきたことが消えるわけじゃないので、別の道に進むっていう決断自体が、すごく辛かったですね。医大向けの受験勉強を始めてからも、勉強が進まない、にっちもさっちも行かないっていうことがけっこうあって苦しみました。もちろん藝大の受験も苦しかったですけど、美術は自己表現の部分もあるので、その苦しさも表現できたりして、絵に昇華できる部分があったんです。でも医大受験は点を取る試験、点でしか評価されない試験だから難しかった。本当に辛い時は『やっぱりこっちじゃなかったのかな?』『やっぱり自分は絵なのかな?アートの方が合ってるのかな?』なんて考えたりすることもありました」

そして3浪後に医大に合格。順調に学んで卒業し、研修医として医師の道を歩み始めた。

「今は研修医の1年目で、1ヶ月ごとにいろんな科を経験しています。今は高齢診療科で研修中です。高齢者の方の、特に認知症への対処ですね。今の平均的な1日はというと、朝は病院に行って、回診して入院患者さんの様子を診て、何かあれば必要な処置を考えたり、検査の準備をしたり、そんな感じの毎日です。将来は脳外科医を志望しています」

2つの道が出合い、独自の社会貢献が生まれた

医学部受験を決めた時、小川さんには「藝大から医学部へ進む人は数少ないだろうから、その希少性ゆえに、何か自分にしかできない社会貢献ができるのではないか?」という思いがあった。

「医学部受験も、医学部に入ってからも自分は苦しむだろうから、『社会貢献』という大義名分を課すことをすれば、挫けそうになった時にも頑張れるんじゃないかと思ったんです。『自分のために』だけじゃ何だか心が折れちゃいそうで、『誰かのために』みたいな大義名分をくっつけて自分の背中を押してあげるというか、挫折を回避するみたいなことを、自分自身が必要としたのだと思います」

この「自分にしかできない社会貢献を」という当初の思いは、その後「希少疾患の啓発活動」となって結実する。

「医学部に入って最初の2年間は、正常な人体を勉強し、3年生からは臨床医学といって病気の勉強をします。1、2年生の頃は、顕微鏡で細胞の観察をしたら、その細胞の絵を描いてSNSに上げたりしていました。しかし3年生から臨床医学として病気の勉強を始めると、病気の絵を描いて病名を添えてSNSにアップするようなことはできないな、と感じたんです。そこには患者さんもいらっしゃることだし、コンプライアンスの問題もありますから。

そんな時、『自分の病気をもっと世の中の人に知って欲しい』と思っている方がいらっしゃることを知ったんですね。希少疾患・難病を抱えた方でした。誰も名前を聞いたことのない珍しい病気の場合、人に病名を伝えても『何それ?』って言われてしまう。自分はすごく辛いのに全く理解されないのが悲しいっておっしゃったんです。そういう方へのお手伝いとして、自分が病気の絵を描いてアップするのは許されるんじゃないか、それが少しでもその方の役に立つのであれば良いことなんじゃないか、と思ったわけです」

最初に描いたのは「多発性骨髄腫」という病気の絵だ。これはいわば血液のがんで、頭蓋骨をはじめとする身体中の骨が溶けるなどの症状が引き起こされる病気だという。

その後小川さんは、病気を啓発してもらうことを最も強く求めている人はどんな人かについて情報を集め始めた。そして希少疾患の中でも「指定難病」に分類される病気の存在を知ることになる。

難病のうち、厚生労働省が定める一定の要件を満たし、患者さんの状況からみて適切な医療を受ける必要性が高いものを、国が「指定難病」として認定し、その患者さんには医療費助成が行われ、研究も進められるのだという。

そこで小川さんは、啓発がより必要なのは「指定難病」に至らない難病なのではないかと考え、指定をまだ受けていない難病をモチーフにした絵を描くことにした。「その病気の社会的な認知度を上げることが、難病を抱える患者さんにとって少しでもプラスになるのなら」という気持ちで、指定難病“候補”の絵を、今は描いている。

「別に僕が世間にこの病気を広めたからっていって、指定難病になりやすくなるわけではないんです。その病気の認知度と指定難病の認定に関係性はないですから。ただ、役に立つかどうか全くわからないけど、患者さんに少しでもメリットが生まれる可能性があるのならばやってみようと思って」

そんな絵をSNSにアップすると、たまに患者さんが「ありがとう!」「すごく分かりやすくていいと思います」などと書き込みをしてくれることもあるという。

「今はSNSをメインに発信しています。病気の簡単な説明をして、リンクを貼って寄付はこちらへと。でも作品が増えていってある程度たまったら、ぜひ個展を開きたいと思っています。SNSも続けると思いますけど、個展をやるとリアルに人が集まってくれて、募金とかもできるかもしれないと思って」

藝大を卒業後に医大を卒業するという、そのたぐい稀な経歴を見れば誰もが、小川さんは強靭な意志を持ち自信にあふれた方だと想像するだろう。しかし実際の彼は、極めて繊細で、おそろしく謙虚で、他者への思いやりに満ちた実に思慮深い方だった。この個性はおそらく、志が並外れて高いがゆえに育まれたものなのだろう。小川さんの、小川さんにしかできない社会貢献は、きっとこれからの世の中を動かし、前へ前へと進めてくれるに違いない。

どんな人にも、頑張れない時ってあると思うんです。そんな時、あまり自分を責めないで、って言いたい。人生って分からないものです。挫折して、流されて、流れ着いた先の人生が意外に良かったり、価値があったりもする。僕なんか、ただ流されただけだけど、それによって図らずも珍しいキャリアが生まれ、それに注目してくださる方がいる。美術をあきらめた時は『負けた』っていう思いが強かったけれど、今は、オリジナリティのある自分にしか描けない絵が描けていると思っています。1つの価値観にとことんこだわるのもありだけど、その価値観をちょっと変えたりズラしたりしてみるのも、またありかもしれないと思います

取材・執筆:宮川貫治
撮影:阿部拓朗

Profile

小川 貴寛

東京藝術大学油絵科卒業後、医大へ入学し卒業。現在は初期研修医として大学病院に勤務しながら、希少疾患を啓発するための絵を描き、SNS等で発表している。

X @rukiteru24
Instagram @rukiteru24

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