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80年代を彩ったアレンジャー、大村雅朗の命が宿ったジャパニーズ・ポップス10選

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2018年03月21日 佐野元春のデビューシングル「アンジェリーナ」がリリースされた日

アレンジャーの第一人者・大村雅朗


昨今ようやく改めて評価されるようになったアレンジャーの仕事。そのきっかけとなったひとりとして必ず名前が挙がるのが大村雅朗だ。1999年に46歳で早逝しながらも、約1600曲もの作品に携わった、福岡が生んだ偉大な作・編曲家である。

斬新なイントロやリズムパターンを駆使して日本のポップスシーンに多大なる影響をもたらし、アレンジのみならず、松田聖子「SWEET MEMORIES」をはじめ、作曲を共に手がけた傑作も少なくない。その数ある作品の中から、よく知られたヒット曲を中心に80年代の10曲を選んでみた。

佐野元春 / アンジェリーナ(1980年)


高校時代にボブ・ディランから影響を受けてミュージシャンを目指したという佐野元春は、ヤマハポピュラーソングコンテストで優秀曲賞を受賞。その翌年に本曲でデビューした。疾走感に満ちたアレンジに、ニュータイプのシンガー登場の強烈なインパクトが込められている。シングルリリースから僅か1ヶ月後に出されたファーストアルバム『BACK TO THE STREET』は本曲を含めて10曲中5曲が大村によるアレンジ。

河合奈保子 / スマイル・フォー・ミー(1981年)


「HIDEKI(=西城秀樹)の弟・妹募集オーディション」で優勝し、「大きな森の小さなお家」で1980年6月にデビューした河合奈保子。屈託のない明るい笑顔と受け答えでアイドルのお手本のようだった彼女は、「ヤング・ボーイ」「愛してます」「17才」と順調にヒットを連ねた後に、大村が初めてアレンジを担当したこの5枚目のシングルでアイドルポップスの頂点を窮めたといえるだろう。

翌1981年は竹内まりやの提供曲「けんかをやめて」で大人の恋愛ソングを歌い、続いて竹内が作詞・作曲を手がけた「Invitation」で大村の再登板となる。さらに1983年には筒美京平による激しめの楽曲「エスカレーション」で新路線が敷かれ、「UNバランス」「疑問符」「微風のメロディー」と続けて大村がアレンジを担当することとなった。

桜田淳子 / ミスティー(1981年)


1973年のデビュー以来、35枚目にあたる桜田淳子のシングルは、当時流行っていたテクノポップ調のアレンジ。ショッキングピンクのレオタードで歌い踊る姿が強く印象に残る。オリビア・ニュートンジョンがMVの中で着ていた服を桜田が気に入り、デザイナーにそのイメージが伝えられて出来上がったという斬新な衣装。それも手伝ってか、不思議な世界観が醸し出されていた。

大村が桜田のシングル曲を手がけたのは、中島みゆき作詞・作曲の「化粧」に続けて2作目だった。次のシングル「This is a "Boogie"」も続けて大村がアレンジを担当してさらなる新境地を拓くこととなる。

三田寛子 / ジャパニーズ・ガール(1982年)


1982年3月に「駈けてきた処女」で鮮烈な歌手デビューを果たした後、2ヶ月後に早くも出されたファーストアルバム『16カラットの瞳』より。その中で唯一、大村がアレンジを手がけた作品であった。三田がドラマ『2年B組仙八先生』で共演していたシンガーソングライター、川口雅代が作詞・作曲している。普段のゆっくりした喋りが歌になると一変し、感性の鋭さが発揮された。大村は2ndアルバム『メランコリー・カラー』でも、大滝詠一のカヴァー「恋はメレンゲ」のアレンジを手がけた。

田原俊彦 / シャワーな気分(1983年)


ダンスナンバーに最大の魅力を発揮する田原俊彦のレパートリーを象徴した、突き抜けて明るいサマーソング。通算14枚目のシングルとして1983年の夏を彩った。導入部分の印象的なリズムは、クイーンの「BACK CHAT」にヒントを得たとおぼしい。それまでほとんどの作品で船山基紀がアレンジを手がけていたが、前年に出されたシングルのカップリング曲「哀愁DIARY」で初めて大村がアレンジを担当することになったのだった。

本曲の後に出された、やはりシングルのカップリングナンバー、林哲司作曲による「憂嬢の物語」「ハートブレイク オン ステージ」は大村アレンジの隠れた佳曲である。

松田聖子 / SWEET MEMORIES(1983年)


アレンジャーとして名を馳せた大村が作曲も共に手がけた作品の中で最も有名かつ完成度の高い一曲。細野晴臣作曲、大村との共アレンジによる「ガラスの林檎」のカップリング曲としてリリースされた後、サントリービールのCMソングに起用されて人気が高まり、両A面シングルとなった。

松田聖子へは、彼女がブレイクしたセカンド・シングル「青い珊瑚礁」からアレンジを担当し、続くファーストアルバム『SQUALL』でもタイトル曲の「SQUALL」をはじめ、アルバム用に3曲をアレンジ。以降も彼女の主要曲を手がけてゆく。アルバムでは書き下ろしの曲もあったが、シングルでは本曲がはじめてだった。

岩崎良美 / オシャレにKiss me(1983年)


松田聖子や河合奈保子と同期にあたる岩崎良美は、80年代アイドルの先陣を切ったひとりとして脚光を浴びた。実力派の姉・岩崎宏美に勝るとも劣らない秀でた歌唱力で洗練されたポップスナンバーを次々に歌った。

大村は1983年に出された12枚目のシングル「恋ほど素敵なショーはない」からアレンジを手がけ、「ラストダンスには早過ぎる」「月の浜辺」、そして本曲で4作連続の登板となった。シティポップの送り手として再評価著しい山川恵津子の作曲。この時期の楽曲の洗練された素晴らしさは群を抜いている。

岡田有希子 / そよ風はペパーミント(1984年)


日本テレビ『スター誕生!』出身の岡田有希子は、竹内まりやが楽曲提供した「ファースト・デイト」で、1984年4月にキャニオンからデビュー。これはその際のカップリング曲で、大村は作曲も手がけている。

続くセカンドシングル「リトル・プリンセス」のアレンジは大村が手がけることになり、デビュー曲に続いての作詞・作曲となった竹内まりやの穏やかなポップワールドをより一層引き立てる役割を果たした。翌年にも「二人だけのセレモニー」のカップリング曲「PRIVATE RED」のアレンジを手がけている。

薬師丸ひろ子 / メイン・テーマ(1984年)


女優業と並行して歌手活動も展開してきた薬師丸ひろ子は、聡明な歌声が最大の魅力。他のアイドルとは一線を画したスタンスながらもヒット曲は多い。

来生たかおによるデビュー曲「セーラー服と機関銃」、大瀧詠一が書き下ろした「探偵物語」に続くシングル第3弾にあたるのが本曲。作詞は前作から続いての松本隆で、それまでと同様に主演映画の同名主題歌だった。作曲した南佳孝は、男性目線で歌われた、歌詞の一部が異なる「スタンダード・ナンバー」をシングルリリースし、共にヒットさせた。

小泉今日子 / 水のルージュ(1987年)


本人も出演したカネボウ化粧品のCM、'87春の口紅「AQUA ROUGE」のタイアップソング。小泉今日子の通算21枚目のシングルにあたる。主にシンセサイザーで表現された浮遊感漂うアレンジと、彼女の小悪魔的なヴォイスとが絶妙にマッチしている傑作だ。1985年の「魔女」以来1年半ぶりとなる松本隆と筒美京平のコンビによるシングルでチャート1位を獲得した。

2ヶ月後に出されたリミックス・ヴァージョン収録の12インチシングルもチャート4位に。同年リリースのアルバム『Phantasien』には土屋昌巳のアレンジによる "Berlin Version" が収録された。

―― その後、90年代も優れた作品を世に送り出し続けたわけだが、もしも2000年代以降も健在であればさらなる活躍を遂げていたことは間違いないだろう。いったいどんな作品を手がけていたのか興味は尽きない。しかし、既存の作品の検証についてもまだ充分とは言えないはず。大村雅朗の命が宿ったジャパニーズ・ポップスの遺産を、我々はもっと探究してゆかなければならないだろう。

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