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〝創立80周年記念スペシャルシリーズ〟【俳優座の顔】とも言える90歳と85歳の現役俳優、川口敦子と中野誠也

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〝創立80周年記念スペシャルシリーズ〟【俳優座の顔】とも言える90歳と85歳の現役俳優、川口敦子と中野誠也

第2幕

INTERVIEW 川口敦子&中野誠也

撮影=福山楡青/ 取材・構成=二見屋良樹

▲近代演劇を牽引するリーダー格としての責務を負った俳優座で、俳優としての大切なすべてを教わりました。

川口敦子さんと中野誠也さん。共に俳優座に60年以上在団し、
現在も舞台に立ち続けるベテラン俳優である。
川口さんは2月には、創立80年記念の新作舞台『スターリン』への出演が控えている。
〝俳優座の顔〟とも言えるお二人に、
俳優という立場から見た劇団俳優座の魅力を語っていただいた。

 多くの新劇俳優たち同様、川口敦子さんも、中野誠也さんも劇団俳優座に所属しながら、数多くの映画やテレビドラマに出演している。お二人が出演していたドラマを幼少期から観てきた私にとっては、むしろ、映像作品での印象がなじみ深いと言ってもいいくらいだ。

◆近代演劇のリアリズムの芝居ができる俳優を育成した養成所

▲川口敦子は俳優座演劇研究所付属俳優養成所6期生で、同期には市原悦子、近藤洋介、阿部百合子、大山のぶ代らがいる。俳優座入団は1957年で、在団も67年目を迎える。

川口 新潟の長岡から大学進学で上京しましたが、何か満たされないものを感じていたんです。その当時、三越劇場では文学座、民藝、俳優座など、連続して新劇の公演を上演していました。その一つを観に行ったときに、新劇の研究生の人たちが、あまりにも生き生きとしていて、鬱屈していた私は、ああこういうふうになりたい、と思ったんですね。

──新劇が思想的にも解禁になって、演劇がまた盛んになり始めた頃である。川口は、新聞で劇団員を募集していた旗揚げしたばかりの小さな劇団<現代派>に参加することにした。

川口 演劇そのものにあこがれたというのではなかったんです。誘ってくれた友人は来なくて、結局私一人で参加したんです。お寺のお堂を借りて、夜だけ稽古をしているような状況でした。そこに集まったのが、後に文学座に入られた西本裕行さんとか、俳優座に入る山本清とか、聖心女子大学の教授になった哲学の細井雄介さんとか、今からすると多士済々と言える人たちでした。そこで、まだ学芸会にもならないような芝居を1本やったのが初めての芝居経験でした。半年ほどして、一緒に入った若者たちが本当に芝居がやりたければここにいたらダメだと言い出したんです。

──俳優座の募集を目にしたのは、そんな頃だった。

川口当時、養成所というのが評判になっていました。文学座を受ける人もいて、西本さんは文学座を受け、私は山本清と一緒に俳優座を受けたんです。システマティックに俳優を養成する場を初めて創ったのが、俳優座の養成所でした。その噂は耳に入ってきていましたが、私は6期生なので養成所が作られて6年経っていたんです。なぜか、どうしても俳優座じゃなればダメだと神がかり的に思ったんです。だから、当時20数倍なんていう難関でしたが、たとえ何百人応募者がいても私くらい俳優座に入りたいと思っている人はいないっていうくらいの勢いで受験しました。

▲中野誠也は58年養成所入所の10期生。62年に俳優座入団、在団63年目を迎える。

中野 同期生というと亡くなった方もすでに多く、その中でも同じ歳で、大学も同窓であり、同じ演劇専攻だった加藤剛とは、僕のほうが少し早く俳優座に入団しましたが、同期のようなつながりがありましたね。僕が入団した62年に、入団前の加藤剛が、いきなりテレビドラマ「人間の條件」の主役に抜擢されて有名になったときは、誇らしく思ったことを憶えています。学生時代の友人が同じ世界で、同時期に俳優として歩み出したということで、お互い俳優座の同期というつきあいでしたね。

──高校生の頃から新劇の芝居を観始めていたという中野誠也。

中野 学生演劇を少しかじってもいて、その頃の演劇青年たちは、俳優座の芝居は一度は観ておかなければいけないと、みんなが思っていました。俳優座の劇場に来てみると、劇場としては小さいんですが、天井が高く奥行があり、演劇の深さ、人間の深さというものに、一瞬にして惹きつけるような演劇を見せられた思いでした。たとえばイプセンの『幽霊』に東山千栄子さんがいらしたり、当時売り出し中の仲代達矢さんが息子役として出ていたりといった俳優の演技、さらには僕なんかには理解が及ばない深い哲学というのか、ドラマを見せられて、これからはこういう芝居でなければいけないという感動を味わわせてくれたのが俳優座の舞台だったんです。

──日本の演劇文化の発展に向けてのリーダー格として俳優座は責任を負っていかなければならない義務をもった劇団ではなかったかと見受けていた、と中野は言う。

中野 千田是也さんや東山千栄子さんを中心としたリーダーの下に、ぜひとも所属したいと思って俳優座を受けたわけですが、40倍くらいの倍率でしたでしょうか。そして、今60数年を経て、俳優座に所属し続けていて間違いなかったと思っています。その間には、アングラを始めとする近代演劇を否定するような傾向というのは、こういう芸術の仕事には絶えずあったと思うんです。それは演劇に関わらず、絵画の世界でも、音楽の世界でもアンチ芸術というのは一つの力として存在していて、あるいは、自分たちの力で、今までの伝統とは違うもの、革新的なものに変化させていきたいというのは常にあって、もちろん今の時代でもそういう潮流は続いているのではないでしょうか。革新的なものが、芸術文化の裏にはいつも流れていると思います。俳優座も、そういう流れの一つとして生まれたのだと思います。

──川口もまた、俳優座に所属したことで、俳優としての多くを習得することができたと言う。

川口 千田先生が俳優座養成所を作られたことの目的として、その当時新しいとされた近代演劇のリアリズムの芝居ができる教養豊かで、身体的訓練も出来上がった人たちを近代俳優として育てあげようという考えをお持ちだったと思うんです。その考え方というのは、当時、私が演劇を志したときの新しいものとして、私の中にはずっと存在し続けています。演劇は素直に人間を表す、語るものとして、感覚的に今もずっと私の中に叩き込まれているんです。この俳優座のやり方も、俳優としての私たちの役目としてあっていいのだと思います。この劇団にいることは、芝居を続けていく上での根幹として私には大事なことだと思っています。人間を描くにあたって大切だと思えることを、私は俳優座で身につけることができたと思っています。

◆思い出深い『オセロ』と『メアリ スチュアート』

──中野誠也も川口敦子も実に数多くの作品に出演している。代表作はと問うこと自体が愚問なのかもしれない。

中野 60年以上俳優座で演じてきて、作品それぞれに思い入れがありますが、『リア王』や『オセロ』などヨーロッパの演劇が生んだ最高傑作を千田先生が演出をして、それにキャスティングされたということだけでも、その喜びは僕にとって今でも忘れられないことです。

──中野誠也は71年に上演された千田是也演出の『オセロ』ではイアーゴにキャスティングされている。オセロは仲代達矢、デズデモーナは河内桃子だった。

▲俳優座劇場を入ってすぐの左階段には、ギリシャ語のレリーフが飾られている。「汝は人間である。つねにそのことを自覚して忘れるな。」という、俳優座の矜持とも言える言葉が刻まれている。

──川口敦子は加藤剛が主演した86年の『門-わが愛』でのお米役で紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞している。

川口 あの役は実は代役で、私の役ではないのじゃないかと思っていたんです。気負わなかったところがよかったのでしょうか。舞台に一人で立っているシーンで、足を開いてだらしなくボーッと立っていて、そのとき、あら、私本当に何も考えないでボーッと立っている、と感じた瞬間があったんです。私の中から何かストーンと落ちる感じがして、そのとき私の外見や、役柄の一途さといった内面が、偶然、私自身と一致したのだと思います。それが賞につながったのかもしれません。でも、私の中で大事に思う作品は……。

──と川口が挙げたのは、83年に上演されたシラーの『メアリ スチュアート』のエリザベス役だった。

川口 演出の千田先生が、川口はこういうのがいいんだよ、と選んでくださったらしいのですが、それはもう(栗原)小巻さんが演じたメアリ役よりいい役だと感じました。千田先生のご指導の中での大事な作品になっていて、当時の劇評でも誉めていただいたようです。でも、こんないい役をまたやりたいなと思いつつ、芝居を台無しにしてしまったかしら、と毎回反省しきりです。

──演劇賞ということで言えば、川口は97年の念願の井上ひさし作品『マンザナ、わが町』で読売演劇大賞優秀女優賞を受賞している。中野もまた、2001年に、日欧舞台芸術交流会の『ヴェニスの商人』のシャイロック役が評価され読売演劇大賞優秀男優賞を受賞している。ヨーロッパの各都市での上演後、俳優座劇場で凱旋公演として上演されたもので、中野は羽織袴の和装のシャイロックで登場。シャイロックの哀しみみたいなものが伝わってくる芝居だった。シャイロック以来、悪役のイメージが強くなったと中野は苦笑するが、俳優座以外の舞台でも、大きな評価を受けている二人である。

◆演出家・中野誠也と俳優・川口敦子の仲のいい喧嘩

中野誠也は演出家としても多くの作品を手がけている。初演出は、自身も俳優として出演した2007年の『リビエールの夏の祭り』だった。川口も出演している。

中野 決して演出家志望ということではないのですが、若き日に、友人の俳優たちや、松竹の大船撮影所で木下惠介監督のチーフ助監督をやっている人だとかと撮影の帰りに一杯ひっかけているときに、演劇や映画について語り合った中で、演出の世界にも興味が出てきたということですね。『リビエールの夏の祭り』というのは、フランス映画の『かくも長き不在』が下敷きになっていて、それを日本を舞台に書き直した芝居で、川口さんの役は、最愛の夫の戦地からの帰りをただひたすら待ち続けることに青春の日々を費やした女性で、待ち続けることの情熱をたっぷりと演じていただいた想い出深い作品です。

川口 中野さんは本当に夢中になる人で、稽古の最中にしょっちゅう喧嘩していました。でも、私たち仲がいいから言いたいことを言い合うという喧嘩で、喧嘩が始まるとスタッフたちが、また始まったという感じで稽古場の外に出てしばらく休憩してるんですよ。

中野 稽古が終わって地下鉄で一緒に帰るんですが、僕が「アコさん(敦子さん)、これも運命だから我慢して」なんて言って笑い合っているんです。

川口 役者もやりながらの演出でしょ、二人で芝居しながら盛り上がっているときに、途中で突然演出家の眼になって、これだめだな、なんて言い出すので、私が怒っちゃうんです。

── 呼び方もいつしか川口さんからアコさんに変わり、演劇発展に青春の日々を過ごしてきた長年の同志のような絆を感じさせられた。

◆今までの演劇とはまったく違う性格を秘めた新作『スターリン』

──川口敦子は2月9日に初日を迎える本邦初演の新作舞台『スターリン』の出演が控えている。気鋭の演出家3名による同一戯曲一挙上演という意欲的な試みの舞台で、川口が出演するのは二人芝居という演出になっている。

「独裁者スターリンという存在について、彼が革命を興してソビエトを創りあげたという事実は残っていても、その心情については、誰も本当には書いていないのではないかと。だから、この作品も神秘的なベールにくるまれていて、善人、悪人という単純にはくくれない、スターリンという人物のエゴイズムだけでない、人間というものの複雑さというものをぶちまけているような芝居ではないかと。今回の演出家は若いですから、俳優の立場としては演出家のセンスと、演劇に対する情熱を信頼して、若さの力に期待して、どんな演劇をみせてくれるのかを楽しみにしているんです。どちらが正しい、どちらが間違っているというような〝演劇としての正義〟というものはないので、演出家三者三様の解釈が見ものですね」と、非常に難しい作品だと言う中野。

「私が演じるのは男の役なんですよね。本来は男優の役として書かれていて、他の2組とも男優が演じるんです。それが、演出家の考えで、私が演じることになったんです」

──果たして、川口がいかなる男役を演じてみせるのか、見逃すわけにはいかない。

 さらに中野は、「今までやってきた、観てきた演劇とはまったく違う性格を秘めている作品で、ぼくらが千田先生から学んだチェーホフとかゴーリキといった近代演劇では、たとえば東山千栄子が出ていたら、東山千栄子の役は必ずいい役、そういうふうに言ってもかまわないくらいにチェーホフの演劇なんていうのは構成されている。だけど、この芝居は、誰が誰でどうなっているというのが非常に錯綜していて、アコさんは、膨大なセリフを憶えるのが大変だとお察ししています」とも。

 膨大なセリフに取り組んでいる川口は「この芝居はスターリンとサーゲリ二人のディスカッション・ドラマだと思うんです。ですから基本的に言葉のやりとりだけなんですよね、舞台上で。だから、セリフを憶えなければやれないということなんです。5幕あります。舞台は怖いです。経験を重ねていろんなことがわかるようになって、ますます怖くなってきているような気がします」

 さて、二人のベテラン俳優たちの新たな抱負とはどういったものだろうか。

川口これが最後の舞台になるかもしれない、齢を重ねたからというのではなく、舞台に立つ覚悟といったことなのですが、毎回そんな気持でいつつ、この先も次の作品に出演する機会があればと、俳優であるかぎり思い続けていくことでしょうね。

中野アコさんとはもう何十年もの付き合いで何度も同じ舞台に立っていますが、また、舞台で相手役として共演するという幸せな機会が訪れることを望んでいます。

 俳優に年齢を訊ねるのは無粋かもしれない。あえて紹介すると川口敦子さん90歳、中野誠也さん85歳。年齢は単に数字という記号かもしれない。だが、この二人の数字は勲章に思えてくる。二人の言葉からは、今でも、演劇の道を志した若き演劇青年当時の、あの青春の日々と変わらず、芝居への熱い思いが響いてくる。

「俳優座」の名前に込められた、


近代俳優術の確立という志


文=杉山 弘


企画協力・写真&画像提供:劇団俳優座

 劇団俳優座は2024年2月に創立80周年を迎える。戦争と思想弾圧で傷ついた演劇の復興に大きな役割を果たし、数多くの俳優や劇作家、演出家を輩出した歴史ある老舗劇団の一つであり、重厚な社会派作品をはじめ、生活感あふれる軽妙な喜劇から前衛的な実験作まで、現代劇上演の先頭に立って演劇界を牽引するリーダー的な存在として戦後演劇史に輝かしい成果を残してきた。

▲劇団俳優座の創立者である青山杉作(左)と千田是也(右)。青山は俳優座結成第1回作品『検察官』で、千田と共同演出・共演以来、演出、演技の両方で活躍する。写真は1954年4月20日に俳優座劇場が開場する前の同年1月に撮影されたもの。青山は、45年12月26日の戦後初の新劇合同公演では『桜の園』の演出を手がけた。俳優としても、黒澤明監督『醜聞』や溝口健二監督『雨月物語』などの映画に出演している。劇場入口すぐの右階段には、千田是也と、創立者の一人である東山千栄子のブロンズ像が飾られている。さらに、〝新劇の父〟と呼ばれた劇作家・演出家の小山内薫、築地小劇場を拠点に新劇運動を興した演出家の土方与志、小説家・劇作家・俳人の久保田万太郎、舞台美術家・美術監督で<伊藤熹朔賞>に名を残す、千田是也の兄である伊藤熹朔、千田是也の写真が額装して飾られている。新劇界の先人たちへのリスペクトであろう。

◆受け継いだ築地小劇場のDNA◆

 日本演劇史の視点から見ると、江戸時代に大衆芸術として発展したものの、明治期になっても芝居と言えば「歌舞伎」を指していた。文明開化と共に西欧から流入した近代演劇の影響を受けた「新劇」が大きな花を咲かせるのは、1924(大正13)年に誕生した築地小劇場以降になる。築地小劇場では小山内薫や土方与志を中心に、戯曲を尊重し、調和を重視したアンサンブルの芝居の上演に主眼を置き、29年の解散までの6年間で84回計117本に及ぶ国内外の現代劇を上演している。この築地小劇場のDNAを色濃く受け継いだのが、戦時中に結成された俳優座だ。10人の創立メンバーのうち、青山杉作は築地小劇場で22本を演出し、研究生一期生だった千田是也は第1回公演『海戦』(24)から舞台に立ち、二期生の東山千栄子、岸輝子、村瀬幸子もメンバーに名を連ねている。千田は「俳優にとって納得のいく仕方で芝居を上演する機会を持ちたい」と近代俳優術の確立の必要性を説き、リアリズム演劇を基礎から作り直そうと志した。その思いがそのまま劇団名となり、劇団の方向性ともなった。

▲ベルトルト・ブレヒトの戯曲で、ブレヒトの真の代表作とも言われる『肝っ玉おっ母とその子供たち』は、1966年に俳優座で初演の幕を開けた。新聞各紙の劇評でも「強烈に訴える幕切れ」「正統派上演が魅力」「見ごたえある」と好評で、主演の岸輝子は芸術祭奨励賞を受賞し、代表作となった。岸輝子もまた、劇団創立メンバーの一人である。訳と演出は千田是也が手がけた。戦場と戦争を手玉に取り、たくましく生きて行く庶民の代表のような肝っ玉おっ母だが、戦争で子供たちを失う大きな代償を払いながらも、ついに戦争の本質を理解することはなかった。絶賛に応えるべく、67年には国立劇場小劇場にて再演された。浜田寅彦、滝田裕介、近藤洋介、田中邦衛、中野誠也、山本圭、新克利、河原崎次郎、中村美代子、中村たつ、大塚道子らも出演。今にしてみれば、何とも豪華なキャスティングである。また、71年には中村たつが肝っ玉おっ母を演じ、紀伊國屋演劇賞を受賞している。栗原小巻は、2000年に同役を演じており、まさに俳優座の芝居である。88年には、<無名塾>公演で〝肝っ玉〟と仇名されるアンナを演じたのは仲代達矢だった。写真は右から、岸輝子、中野誠也、大塚道子、新克利。

 本格的な公演活動は終戦直後の1946年3月で、第1回公演ゴーゴリ『検察官』では青山が演出し、小沢栄太郎と東山が市長夫妻を演じている。眞船豊『中橋公館』(46)や『孤雁』(49)に東野英治郎が主演し、久保栄『火山灰地(第一部)』(48)、モリエール『女房学校』(50)、ストリンドベリ『令嬢ジュリー』『白鳥姫』(同)、チェーホフ『桜の園』(51)、シェイクスピア『ウィンザーの陽気な女房たち』(52)などの創作劇、翻訳劇に、創立メンバーを中心に、信欣三、永井智雄、浜田寅彦、木村功、松本克平、中村美代子、大塚道子、東恵美子、初井言栄、岩崎加根子、関弘子らが舞台に立った。本公演のほか、地方公演、創作劇研究会、こども劇場を企画し、51年には15公演444回で観客数34万8557人の記録も残っている。

▲加藤剛自身が提案したという1982年の『波-わが愛』(写真左)の上演。83年には『門-わが愛』(写真右)を、86年には『心-わが愛』を上演した。『心-わが愛』の演技では文化庁芸術祭賞を受賞している。そして、91年には〝わが愛三部作〟を一挙上演し、紀伊國屋演劇賞個人賞と芸術選奨文部大臣賞を受賞した。『波』は山本有三の原作、『門』は夏目漱石の『三四郎』『それから』に続く前期三部作の最後の作品であり、『心』も漱石の『こころ』が原作である。加藤剛は、この三作で、俳優座に日本近代文学路線を敷いた。『波-わが愛』は78年に、『門-わが愛』は73年に、TBS系列の金曜ドラマ枠で放送され、いずれも加藤剛が主演している。『波-わが愛』には秋吉久美子、桃井かおり、倍賞千恵子らが共演し、『門-わが愛』には星由里子、山崎努、山内明、荒木道子、神山繫、そして俳優座の岩崎加根子、永井智雄も出演していた。〝わが愛〟シリーズでもそうだが、加藤剛という俳優は、画面や舞台に品格をもたらす凛とした存在として、多くの人々に認識されていると思う。高校時代にチェーホフの戯曲を読んで俳優を志したという加藤は、早稲田大学4年のときに20倍の難関を突破して、61年に卒業と同時に12期生として養成所に入所し、13期生として終了時の同期生には、石立鉄男、横内正、細川俊之、佐藤友美らがいる。64年に俳優座に入団し、『ハムレット』の傍役で初舞台を踏む。65年には安部公房作、千田是也演出の『お前にも罪がある』の主役に抜擢され、2時間出ずっぱりの連続演技で魅せた。映像でも62年のテレビドラマ「人間の條件」の主役をはじめ、ドラマ「大岡越前」、NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」「獅子の時代」、「剣客商売」、5時間半を超える3夜連続の大型時代劇で石田三成を演じ、余人をもって代えがたい演技と好評を得た「関ヶ原」、映画『上意討ち 拝領妻始末』、『戦争と人間』シリーズ、『忍ぶ川』、『砂の器』、『新・喜びも悲しみも幾歳月』など実に多くの作品で印象深い演技を見せている。2001年には俳優座創立55周年記念作品映画『伊能忠敬 子午線の夢』で、伊能忠敬を99年の舞台版に続いて演じている。また、2枚の写真に写る川口敦子は、83年『門-わが愛』のお米役で、紀伊國屋演劇賞の個人賞を受賞している。2018年に亡くなった加藤剛を偲ぶお別れ会では、俳優座代表として挨拶をした岩崎加根子は「正義感が極めて強く、個性的で、あくまで純粋に演劇を追求していく俳優でございました」と偲び、「(加藤の)退場は、俳優座にとりましても大きな痛手でございますが、故人の美徳を損なうことなく全力を挙げ劇団の発展に尽力いたす所存でございます」と語った。

◆劇団、俳優養成所、劇場の三本柱◆

 これらの公演活動に加え、49年には演劇研究所付属俳優養成所を開設して若手演劇人の育成にも本格的に着手し、16期生が最後となった67年の閉鎖までに約600人を演劇界に送り出した。さらに、演劇研究所の建設のために確保していた六本木の土地を使って、活動の拠点となる劇場建設にも積極的に打って出る。50年代は日本映画の黄金期でもあり、プロの演劇人は映画界から引っ張りだこで、東野や小沢、千田をはじめ劇団員はギャラの70%を収めて劇場建設に邁進した。その苦労もあって54年4月に客席数400の俳優座劇場が誕生。現代劇を上演する自前の専用劇場の誕生は、45年の東京大空襲で焼失した築地小劇場以来のことだった。こけら落とし公演はギリシャ悲劇『女の平和』を青山の演出で上演し、100人近い出演者が舞台に立って賑やかな船出を飾った。

▲アントン・チェーホフの戯曲で、『かもめ』『三人姉妹』『桜の園』と共にチェーホフの四大戯曲と呼ばれる『ワーニャ伯父さん』。年老いた大学教授の田舎の領地を舞台に、教授がこの土地を売りに出すことで引き起こされる騒動を描いている。写真は1969年に『ワーニャ伯父』のタイトルで上演された舞台で、ワーニャを近藤洋介、教授の娘で伯父のワーニャと共に領地の経営に勤しむソーニャを佐藤オリエが演じている。その他にも、ソーニャが思いを寄せる医師アーストロフに中野誠也、教授の若く美しく聡明な後妻エレーナに大塚道子が出演している。63年版では、ワーニャを平幹二朗、ソーニャを大塚道子、アーストロフを中谷一郎、エレーナを木村俊恵という配役だった。老大学教授を演じたのは、いずれも松本克平。近藤洋介は54年に養成所第6期生として入所し、57年に座員に昇格している。NHKの人気ドラマだった「事件記者」をはじめ、多くのテレビドラマ、映画、俳優座内外の舞台で活躍している。佐藤オリエは、彫刻家の佐藤忠良を父にもち、61年に高校卒業後、養成所に入所、64に俳優座の座員となり、76年に退団している。栗原小巻と共に俳優座若手女優として、評価を得ていた。66年のテレビドラマ「若者たち」で人気者となり、テレビ版「男はつらいよ」、映画版シリーズ第2作『続 男はつらいよ』で、マドンナ・坪内夏子を演じている。91年には舞台『薔薇の花束の秘密』で、紀伊國屋演劇賞個人賞、文化庁芸術祭賞を受賞している。

 劇団、養成所、劇場。創立からわずか10年で三本柱を手にした俳優座の歩みは、戦後の現代劇の歩みそのもので、千田をはじめ、青山、小沢、田中千禾夫らそうそうたる演出家の下、俳優の個性を生かした舞台表現で現代演劇の基礎を固め、新時代の到来に若者が呼応する形で人気俳優も次々と生まれていく。田中千禾夫『千鳥』(59)、鶴屋南北『東海道四谷怪談』(64)、ゲーテ『ファウスト』(65)などの平幹二朗、安部公房『幽霊はここにいる』(58)や『巨人伝説』(60)の田中邦衛、シェイクスピア『十二夜』(59)、トルストイ『アンナ・カレーニナ』(60)の河内桃子、ブレヒト『セチュアンの善人』(60)や『三文オペラ』(62)の市原悦子、小山祐士『黄色い波』(61)、チェーホフ『かもめ』(74)の中野誠也、シェイクスピア『ハムレット』(64)、『オセロ』(70)、『リチャード三世』(74)で仲代達矢が躍動したほか、シェイクスピア『ハムレット』(71)、トルストイ『戦争と平和』(73)の山本圭、田中千禾夫『マリアの首』(73)の佐藤オリエ、シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』(77)、イプセン『野鴨』(78)の加藤剛、チェーホフ『三人姉妹』(68)、ブレヒト『コーカサスの白墨の輪』(80)の栗原小巻、シラー『メアリ・スチュアート』(83)の川口敦子、と枚挙にいとまがない。

▲劇団の創立者の一人である東野英治郎は、戦中から映画にも出演し、実に330本以上の作品に出演している。『用心棒』『秋刀魚の味』『白い巨塔』『キューポラのある街』『夜の河』『あじさいの歌』『社長シリーズ』『クレージー映画シリーズ』『続 男はつらいよ』『獄門島』など、映画各社で、黒澤明、小津安二郎、山本薩夫、浦山桐郎、山田洋次、市川崑など巨匠、名匠と呼ばれる監督たちに起用されている。また、テレビドラマでは「水戸黄門」の初代黄門様としてお茶の間の人気者となり、多くの人々にとっては映像作品での印象が強いかもしれない。だが、東野英治郎はそもそも舞台人である。1964年の舞台、幸田露伴作、千田是也演出の『有福詩人』、田中千禾夫作・演出の『教育』ではテアトロン賞を、68年の田中千禾夫作・演出の『あらいはくせき』では紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞している。72年には千田是也演出の『リア王』に主演し、三姉妹のゴネリルに大塚道子、リーガンに岩崎加根子、コーディリアに山口果林という配役だった。その他にも、中谷一郎、中野誠也、加藤剛、新克利らも出演していた。

◆80周年「伝統と革新の共生」を理念に◆

 その一方で、巨大になった劇団ならではの悩みも多く、俳優座劇場や地方での公演には限りがあり、なかなか活躍の場を得られない若い演劇人たちは俳優座を飛び出し、新しい劇団を旗揚げしていく。青年座をはじめ、仲間、新人会(現:朋友)、三期会(同:東京演劇アンサンブル)などが誕生したほか、佐藤信や斉藤憐、串田和美、吉田日出子らの養成所出身者で結成された自由劇場は「アングラ演劇」と呼ばれる新しい演劇運動を起こしていく。その中で94年の「座・新劇」公演が忘れられない。木下順二『風浪』、秋元松代『村岡伊平治伝』、宮本研『美しきものの伝説』と、新劇の財産的演目3本を5劇団が合同して上演した。骨太のドラマ、簡潔で無駄のない美しいせりふ、エネルギッシュな俳優の演技は、「これぞ、新劇」の力量を示す濃い内容で、当時のトップランナーだった蜷川幸雄や野田秀樹が演出した舞台に勝るとも劣らない演劇の魅力を解き放った。

 この94年には半世紀にわたって代表を務めた巨星・千田是也が他界する。若手演出家の伸び悩みや演劇の多様化で劇団は曲り角にたたされたが、本公演と並行して稽古場を使った「ラボ公演」で実験的な芝居を試み、演技研究生の募集を再開して活動を再活性化させた。今世紀に入り、演出の眞鍋卓嗣がトルストイの『ある馬の物語』(2011)や劇作家・横山拓也とコンビを組んだ『首のないカマキリ』(18)、『雉はじめて鳴く』(20)、『猫、獅子になる』(22)などで高い舞台成果を残したほか、俳優の森一が「修復的司法」を題材にしたオーストラリア演劇の『面と向かって』(21)、『対話』(23)を演出して新生面を切り開くなど、意欲的な創作劇、翻訳劇の上演で活気を取り戻し、2022年には第56回紀伊國屋演劇賞の団体賞受賞へと結びつけた。

▲ゲーテと並ぶドイツ古典主義の代表者である詩人・劇作家・思想家のフリードリヒ・フォン・シラー。ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の原詞でも知られる。『メアリ スチュアート』は劇作家としてのシラーの作品で、83年に俳優座での舞台は、シラーの正統派作品として上演された。演出は千田是也で、メアリ・スチュアートを栗原小巻が、エリザベスを川口敦子が演じた。小澤栄太郎が客演としてバーリィ伯爵を演じ、創立者の一人村瀬幸子も出演している。写真上の中央はエリザベスの重たい衣装に身を包んだ川口敦子。写真下は右から栗原小巻、川口敦子、小笠原良知、武内亨。

 創立80周年の記念公演は「伝統と革新の共生」を基本理念に15公演19作品(23年4月~26年3月)がラインアップされている。イプセン『野鴨』、ブレヒト『セチュアンの善人』などの近代劇から、瀬戸山美咲、桑原裕子、長田育恵の新作まで、多彩なラインアップとなっている。中でも24年2月に上演する『スターリン』は、落合真奈美、村雲龍一、中村圭吾の若手演出家3人が競作する刺激的な企画だ。俳優座100周年に向けての大いなる助走が始まろうとしている。

すぎやま ひろむ
1957年、静岡市生まれ。81年に読売新聞社入社。芸能部記者、文化部デスクとして30年間にわたり演劇情報や劇評の執筆、読売演劇大賞の運営などを担当。2017年に読売新聞社を退社し演劇ジャーナリストとして「読売新聞」「テアトロ」「join」などで原稿を執筆。公益社団法人・日本劇団協議会常務理事。読売演劇大賞、ハヤカワ「悲劇喜劇」賞、日本照明家協会賞の選考委員、共著に『芸談』(朋興社)、『唱歌・童謡ものがたり』(岩波書店)など。

劇団俳優座 創立80周年 LINE UP

2024年2月10日に創立80周年を迎える劇団俳優座。80周年の前後3年間(2023年4月~2026年3月)を創立記念事業として、〝~伝統と革新の共生~〟を基本理念に15公演19作品の新作の上演が始まっている。これまでの作品の再演で全国巡演も実施されている。今後の上演予定スケジュールをご紹介しよう

『スターリン』

新進気鋭の演出家3名による競作。同一戯曲を異なる演出・俳優で一挙上演!

舞台は1952年末から53年初頭のモスクワから32キロ離れた独裁者スターリンの別荘。齢70を越える老スターリンはいまだ意気軒高で、権力の妄執に囚われている。モスクワでは、老ユダヤ人役者サーゲリがリア王を演じている。リア王で自分を揶揄していると勘繰ったスターリンは、サーゲリを別荘に呼びつける。リア王を演じてサーゲリの真意を突き止めようとするスターリン。道化となってスターリンの虚像と実像を暴くサーゲリ。独裁国家だったチリからドイツに亡命した作者が、独裁者とはなにかを問う渾身の劇が始まる。

脚本:ガストン・サルヴァトーレ
翻訳&ドラマトゥルク:酒寄進一
演出:落合真奈美+出演:巻島康一、島英臣、山本順子、馬場太史、釜木美緒、山田貢央、長井優希
演出:村雲龍一+出演:斉藤淳、小田伸泰、丸本琢郎、井口敬太、あり紗 他
演出:中村圭吾+出演:川口敦子、森 一、小島颯太
公演劇場:俳優座スタジオ(5F)
公演期間: 2024年2月9日(金)~16日(金)

〔問〕劇団俳優座 03-3470-2888(10:30~18:30土日祝除く)

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