通い慣れた道でした【駅ぶら】06京王電鉄382 井の頭線13
※2024年1月撮影
トップ画像、「井の頭線神泉駅」北口を出て北に歩きます。
筆者は学生時代からフランスの煙草“Gauloises(ゴロワーズ)”“Gitanes(ジタン)”を愛用していました。しかし1970年代これらの銘柄は普通の煙草屋さんでは売っていませんでした。
「東急百貨店本店」(2023年1月閉店)の1階にあった煙草屋さんに予約して“Gauloises(ゴロワーズ)”“Gitanes(ジタン)”が輸入されるタイミングで取り置きしてもらっていました。それで筆者は定期的に「東急百貨店本店」に通っていました。
人の多い「渋谷駅」ではなく、昼間は比較的すいている「神泉駅」付近からこのルートで「東急百貨店本店」に歩いていました。
※2024年1月撮影
1989年(平成元年)に“Bunkamura”がオープンしてからは、やはりこのルートで“ザ・ミュージアム”などを観に行ってました。最初がシャガールだったかな。ロートレックの版画、クノップフ、マン・レイ、ジャン・コクトー、フォロン、ウォーホール、エッシャー、フリーダ・カーロなどなど、キュレイションが素晴らしくアート好きには堪らない展示でした。ちなみに筆者の学生時代の専攻は西洋美術史。(笑)
・・・その様な事を思い出しながら歩いているとじきに「松濤文化村ストリート」に出ました。
※2024年1月撮影
「東急百貨店本店」は既に1年前に閉店しています。“Bunkamura”も休館中。それとは無関係に筆者はここを左に曲がります。
※2024年1月撮影
角にオシャレなガレット屋さんがあります。筆者は蕎麦好きですが、蕎麦粉の煎餅よりも、やっぱり日本蕎麦の方が良いなぁ。(笑)
※2024年1月撮影
渋谷でもこの辺りは人通りが少ないので散歩には好適です。
※2024年1月撮影
「渋谷区立鍋島松濤公園」です。実は、この近所に友人がいたのでこの公園にはよく来てました。
※2024年1月撮影
公園の入口。
※2024年1月撮影
渋谷区の「地名の由来」に「松濤」は次の様に書かれています。一部「鍋島松濤公園」入口にある渋谷区教育委員会の案内板の説明を補足しました。
「このあたりは、江戸時代、紀州徳川家の下屋敷でした。
明治初期、下屋敷の払い下げを受けた鍋島家では、ここで士族授産のために狭山茶を栽培し「松濤園」という茶園を開きました。「松濤」とは、茶の湯の釜のたぎる音を、松風と潮騒にたとえた雅号で、この銘の茶が生産されていました。松濤の名が地名になったのは、昭和3年(1928年)のことです。
鍋島松濤公園は、松濤園にあった湧水地の一画で、茶園廃止後鍋島家が大正13年(1924年)児童公園としての施設を作り「松濤遊園地」として公開したのが始まりです。それが昭和7年(1932年)東京市に寄付され、昭和9年(1934年)から渋谷区の管理に移されます。戦後渋谷区立の公園になりました。
かつての渋谷区内には、数多くの自然湧水池がありましたが、開発などにより著しく減少してしまいました。松濤公園の池は、数少ない湧水池として貴重であると同時に、池の周辺には昔ながらの面影が残されています。」
1月の寒い日でした。昼過ぎですが遊んでいる子供たちは居ません。右奥に隈研吾さんデザインの吉野杉の板材で囲まれた公衆トイレがあります。隈研吾さんは、2020年(実際は2021年)の東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場「国立競技場」をデザインした建築家。京王線の「高尾山口駅」も隈研吾デザインです。
※2024年1月撮影
すべり台に上って、湧水池を見ています。ありゃ、植木の剪定の工事をやっていますね。
※2024年1月撮影
次回は、桜の咲く「鍋島松濤公園」湧水池をご覧いただきます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)