タブレット純 壮絶イジメ「ズボンを脱がされ常に標的」 子ども時代を救った特技のモノマネ
歌手・お笑いタレントのタブレット純さんのインタビュー第2回/全3回。不登校に迷う子どもと親へ。タブレット純さんが子ども時代にあったイジメとそのときを救った特技のモノマネについて。
【画像】小中学生時代のタブレット純さん不登校の子ども(小中学生)は約35万人、2024年1年間で自殺した子ども(小中高生)は529人(ともに文部科学省2024年度調べ)。悩みを抱えた子どもが多くいることがわかります。小中学校とずっとイジメにあっていたというのは、歌手でお笑い芸人のタブレット純さん。そのころの出来事と、当時を振り返り今改めて思うことを伺いました。
笑われることでイジメを乗り切ることができた
今思えばなんですけど、ぼくが激しいイジメを受けていた時期をどうにか乗り切れたのは、笑われることが救いになっていたかもしれません。昭和歌謡という趣味の世界があったことも大きな救いになりましたけど、「笑い」も自分を支えてくれました。
通っていた中学は、けっこう荒れ方がひどいというか、ほぼ全員が不良になるんです。刺青入れてる同級生がいたり先輩はみんな暴走族だったりみたいなところでした。1学年下にはイジメで自殺した子もいて、ワイドショーにも取り上げられてましたね。
そんな中でイジメのターゲットにされました。小学校時代は仲が良かった友だちも、中学になったらいつの間にかイジメる側のグループにいるんです。それはけっこうつらかったかな。あっちはあっちで、自分を守るためだったのかもしれませんけど。
陰でイヤなことをされるというより、クラスのみんなの前でいきなりズボンを脱がされるとか、バスの中でイタズラされるとか、ドッキリ的な標的にされることが多かったですね。
屈辱的な状況ではあるんですけど、笑われることで救われていたところもあります。むしろ、どうリアクションすればもっと笑ってもらえるか考えていたりもしました。
我ながらどうかしてますよね。ギリギリのところで自分を守っていたのかもしれない。たぶん本能的に、半端に反抗したらもっとイジメられるだろうと感じていたんでしょうね。にらんだりしたところで、火に油を注ぐだけだろうなって。
実際、ほかのクラスでイジメられていた人は、しばしばそういう反抗的な態度を取って、余計にイジメがエスカレートしていました。どっちが正しいとか間違ってるとか、そういう話じゃないですけど。
幼少期から昭和歌謡をこよなく愛し、中古レコードのコレクターとしても有名なタブレット純さん。 写真:日下部真紀、撮影協力:ラジオ日本
イジメていた人に「大物になるよ」と言われた
笑われることに救いを求めていたのは、あきらめというのとはちょっと違うかな。イジメを憎んで人を憎まずというか、自分をイジメている相手にやり返したいという気持ちはなかったんですよね。
どうしてイジメをするんだろうとか、なぜ自分がターゲットなんだろうとかを考えても仕方ない。人間なんてみんなヘンなんだ、思春期の世代なんてどっか頭がおかしいんだ、生きるっていうのはつらいことなんだと、どこか達観してたのかもしれません。
頭がおかしいといえば、こんな不思議なこともありました。中学校時代に自分をすごくイジメ続けて、いちばんの天敵みたいな存在だった人が、卒業間際に急に優しくなって「これまで悪かったな。俺のこと恨んでるだろ」なんて謝ってきたんです。技術家庭の時間に、そっと近づいてきて作業を手伝ってくれたりもして。
正直、その人が死んでくれたらと思ったことが何度もあったんですけど、謝られて全部どうでもよくなって、すごく泣いちゃったんです。向こうとしては無意識に罪悪感を薄めたかったのかもしれない。そう考えると泣いてる場合じゃないんですけどね。
卒業間際に謝ってきた人はもうひとりいて、二人ともぼくに同じことを言ったんです。「お前は将来、絶対大物になるよ」って。なんでそんなこと言われたのか、そこも不思議なんです。イジメられていてもずっとヘラヘラしてたからかな。
せめてもの罪滅ぼしに、ホメておこうと思ったのかもしれません。「絶対大物になる」と言われたことが自信になったとか、その後の支えになったとか、そういうことはぜんぜんないんですけど。
小学生のころのタブレット純さん。 写真提供:トルバ
ただ、自分の場合、イジメられた経験が今につながっているという部分は、確実にありますね。どんな経験もプラスになるみたいな無責任なことを言うつもりはないんですけど、ぼくがイジメられたのはある種の宿命だったのかなと思ってます。
とくに理由もなく、気が付いたらイジメる側じゃなくてイジメられる側にいた。誰もができるわけじゃない経験をしたからこそ、理不尽を受け止める切なさとか、味方がいない孤独感とか、わかることがたくさんあった気はします。けっして強がりとかじゃなくて。
今、こうやって人に笑ってもらう仕事をしているのは、自然にそっちのほうに導かれていったと感じています。大げさに言うと、自分の使命だったのかもしれない。今つらい状況にある人が、ぼくのモノマネやおしゃべりで笑って少しでも救われた気持ちになってくれたら、とってもうれしいですね。
モノマネが「役割」を与えてくれた
モノマネに目覚めたのも、中学のころです。学校の先生の口調とかをまねて、いちばん近い人にこっそり披露したら、かなり似てるってホメられました。その人に促されて自分をイジメていた不良グループの人たちの前でやったら、大ウケしたんです。だんだんレパートリーが増えていって、全部の教科の先生のモノマネができるようになりました。
以前にタレントの松村邦洋さんがテレビか何かでおっしゃっていたんですけど、中学で不良グループにイジメられていたけど、やっぱりモノマネができることでちょっと地位が上がったそうです。ぼくの場合は地位が上がったとは思わなかったですけど、笑ってもらうという役割が見つかったみたいな感じはありましたね。
中学生時代のタブレット純さん。 写真提供:トルバ
ぼくの場合は、たまたまモノマネという“特技”に助けられました。ただ、イジメがなくなったわけじゃないので、水の中でもがいているところを助けられたというより、しがみつくロープが見つかったぐらいですね。でも、そのロープはとても心強かったです。
昔からテレビのお笑い番組も大好きで、とんねるずさんや竹中直人さんを見て、笑いのツボが似ている兄といっしょに腹がよじれるぐらい笑っていました。笑われるにせよ笑うにせよ、ぼくは「笑い」に救われたんです。もともと「昭和歌謡」という趣味の世界もあったから、苦しい状況をどうにか乗り切ることができました。
今まさにイジメで苦しんでいる人も、ほかの何かで苦しんでいる人も、ぜひ自分がしがみつける「ロープ」を見つけてください。歌でも絵でもスポーツでも映画でもアイドルでも、得意なことや好きなものが何かありますよね。「興味がある」ぐらいでもいい。それがあなたを救ってくれるロープになるんじゃないかと、ぼくは思います。
取材・文/石原壮一郎
タブレット純はどのように誕生したかを綴る初の自伝。発売即重版に。『ムクの祈り タブレット純自伝』(著:タブレット純/リトル・モア)