宮益坂から金王坂へ【駅ぶら】06京王電鉄374 井の頭線05
※2024年1月撮影
トップ画像は渋谷宮益坂の真ん中辺り「渋谷郵便局前」信号。
筆者がサラリーマンでこの辺りをウロウロしていた1990年代前半、右側の音楽専門学校の建物は「城南電機」という家電量販店でした。(1998年宮路社長の急死後、1ヶ月で全店舗閉鎖、廃業は全国的なニュースになりました)
※2024年1月撮影
社長の宮路さんは、バラエティ番組などに登場するタレント的な有名人。テリー伊藤氏を一躍人気ディレクターに押し上げた「浅草橋ヤング洋品店」(テレビ東京)なんて知ってる人はもはや老人だけでしょうね。(笑)
ランチで歩いている時などに、社長のシンボルだった小豆色のロールス・ロイスが店舗の横に停まっていると「おっ、宮路社長いるねぇ」などと同僚と笑っていました。今は昔、です。
※2024年1月撮影
坂の上にも宮益坂の標識、
※2024年1月撮影
渋谷区教育委員会の説明は以下です。
「かつては、富士見坂、または渋谷新町とも呼ばれていました。この坂に沿う家並みを、途中の御嶽権現にあやかって、正徳3年(1713)から渋谷宮益町と改称しました。門前町として栄え、町奉行の支配下におかれました。」
宮益坂の上、青山通りを歩道橋で渡ります。この歩道橋の「金王坂」の文字に、ガムテープなどで「点」を加えて「金玉坂」にする悪戯をよく見かけました。(笑)
※2024年1月撮影
青山通りは、坂の下で六本木通りから分岐しています。国道246号線は、青山通りになって三宅坂にむかっていきます。
※2024年1月撮影
青山通り、奥は赤坂見附方面になります。
※2024年1月撮影
右側の「Gnoble」という看板のビルは、筆者が青学の学食にランチを食べに行っていた頃は「志賀昆虫普及社」という昆虫標本機材などの専門店でした。(現在店舗は品川区に移転)
※2024年1月撮影
虫好きの友人などに訊くと「虫業界の聖地」と言っていました。巨大な看板に「義眼」と書いてあったので「何で昆虫の専門店で義眼?」と不思議に思った筆者は、有る日思い切って店内に入って奥に座っていたご老人に尋ねた事があります。
その方が、ひょっとしたら初代の店主志賀夘助(しがうすけ)さんだったのかもしれません。
答えは「剥製用の義眼」でした。
「剥製用義眼」なんて東急ハンズにもないでしょう。たぶん店頭で販売していたのは「志賀昆虫普及社」だけだったのでは?(現在の志賀昆虫普及社では扱っていない様です)
「日本一の昆虫屋」(文春文庫)には志賀夘助さんと志賀昆虫普及社のことが詳しく書かれています。筆者は、特に虫好きではありませんがとても面白い本なのでオススメです。
※2024年1月撮影
金王坂から渋谷クロスタワーの方に入って来ました。というかこの近くに友人の事務所兼自宅があったので頻繁に来ていた頃は「東邦生命ビル」と呼んでいました。
※2024年1月撮影
渋谷の散歩、まだまだ続きます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)