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【コラム】「日本政府観光局バンコク事務所長の頃 ~所長として取り組んだことのまとめ①」元新潟県副知事・中国運輸局長 益田浩

にいがた経済新聞

益田浩

はじめに

4月です。広島では、昨年より6日遅く、3月25日に桜が開花し、4月3日に満開となりました。新潟はもう少し先ですね。通勤時に観ていた信濃川やすらぎ堤の桜並木が懐かしいです。

懐かしいと言えば、3月26日に開催されたJR西日本・芸備線再構築協議会の模様が朝のNHK全国ニュースなどで放映されています。私が議長を務め、記者会見もしたのですが、新潟からも観たよとの連絡がありました。思い出してもらえれば幸甚です。

新年度になり、私は平成3年に当時の運輸省に入省したので、勤続33年になりました。通常、2年前後で人事異動となり、海外や霞ヶ関以外で勤務したり、業務内容も変わったりするので、その度に気持ちもリセットされます。

30年を超えて働いているという実感はあまりありませんが、所属先は運輸省から国土交通省に変わり、日本は世界第2位の経済大国から第4位まで下がりました。強い日本を引き継げなかったことには忸怩たる思いがします。

就職活動をした平成2年は、まだバブル経済の余波が残り、国家公務員の人気も年々下がっていました。某都市銀行を訪問した際、採用担当者から「日本は民間に任せておけば大丈夫、国家公務員の仕事は無くなるし、日経平均もすぐに4万円を超える」と言われたことを覚えています。もう退職されていると思いますが、どういう銀行員生活を送られたのか、気になります。日経平均4万円超えは30年を経て実現しましたね。まだ携帯電話も無い頃で、今から考えれば、アポイントを取るのも大変だったはずです。就職活動の面接では、パソコンがまだ一般的では無い時代で、ワープロを打てますと自己アピールしていました。

この4月2日の中国運輸局の入局式では、新入職員に対して局長として訓辞を述べる立場になりましたが、正直、精神年齢はさほど成熟したとの自覚も無く、これからも同じような感覚で過ごしていくのだろうなと思っています。

スポーツシーズンの到来

春から、本格的なスポーツシーズンになります。3月31日現在、サッカJ1リーグでは、サンフェレッチェ広島が5位、アルビレックス新潟が7位となっています。両チームとも、今後、優勝争いに食い込んで欲しいです。

今シーズンは広島に素晴らしいサッカースタジアム・エディオンピースウィング広島ができましたので、6月26日に予定される新潟・広島戦は是非、観に行きたいです。中国運輸局から歩いて行けます。

野球はプロ野球の2軍に参加したオイシックス新潟アルビレックスBCが気になりますが、3月21日の西武戦で記念すべき初勝利を挙げ、3月31日現在、10試合で2勝7敗1分、イ・リーグの最下位となりました。徐々にプロ野球の雰囲気に慣れてくるに連れ、順位を上げてくれると期待しています。広島カープは、横浜ベイスターズとの開幕戦で1勝2敗となりました。新潟県魚沼市出身の韮澤雄也選手はオープン戦での成績が振るわず、2軍からのシーズン開幕です。今シーズンの奮起を願います。
なお、下の画像は、シーズン直前、松井一實広島市長にエディオンピースウィング広島を御案内していただいた時のものです。

エディオンピースウィング広島にて、松井一實広島市長と

日本政府観光局(JNTO)バンコク事務所長として取り組んだこと

さて、JNTOバンコク事務所長時代の連載が予想以上に長くなりました。今回と次回で振り返りを終わりにしたいと思います。

今年1月から2月にかけての訪日タイ人数は、JNTOの統計によると、2019年同月比で4.2%減と苦戦しています。全世界でみると、2019年同月比3.4%増となっており、タイの訪日市場の動向が気がかりです。

あらためてになりますが、私はタイにあるJNTOバンコク事務所長として、2010年2月から2013年6月まで赴任しており、訪日タイ人数は2009年に17万7541人だったのが、2014年には65万7,570人となりました。約3.7倍となっています。

既に述べたように、タイの政治騒乱や大洪水、日本の東日本大震災など激動にもまれていましたが、基本的にはタイの訪日市場が大きく伸びていく潮流の中に身を置いていました。

タイの経済発展に伴い、タイの中所得層でも訪日旅行に手が届くようになったこと、そして、日本国政府の英断による数次に渡る査証(ビザ)の緩和措置(2012年6月の数次ビザの導入、2013年7月の滞在15日以内のビザ免除)が大きな効果を挙げたことは論を待ちませんが、JNTOバンコク事務所の取組も訪日市場の拡大に少なからず功を奏したものと自負しています。

以下、今月と来月で、JNTOバンコク事務所での仕事のやり方を振り返りながら、具体的な施策の展開を紹介していきたいと思います。

私はタイに赴任するまで、タイには仕事と観光で一度ずつ訪問した程度の知識しかありませんでした。赴任の際、バンコクでは醤油が手に入らないかもしれないと、ただでさえ満杯のスーツケースに醤油を忍ばせたり(バンコクは大都会で、日系スーパーが複数あり、醤油は地場のスーパーでも売っていました)、道端に牛がいるインドと同じように、タイでは道端に象がいるのだろうと思い込んでいたり(タイの道路は車で一杯でした)、という有様で、タイの訪日市場の知識はもちろん皆無です。

着任後、ゼロから勉強しなければと、事務所スタッフに「どの旅行事業者が訪日旅行を最も販売しているのか」と質問すると明確な回答がありません。どうやらしっかりとしたデータが無いのです。私はタイから帰国後、中小企業診断士の資格を取得したくらい、マーケティングには興味があったため、まずは現状把握、顧客とニーズを把握することから始めていきました。

着任前、バンコク事務所は、所長を含めて日本人スタッフ2人とタイ人スタッフ3人(うち正職員2人)の計5人の体制で、正直、事務所の内部管理とJNTO本部から指示された業務をこなすことで精一杯でした。訪日旅行を取り扱う現地の旅行事業者との接点は、事務所を訪問してくる旅行事業者に限られており、プロモーション予算もこれらの接点がある旅行事業者に重点的に配分されていました。実際のところ、事務所を訪問する旅行事業者が訪日旅行の取扱い大手かどうかは、分からないのです。

これまで、バンコク事務所の所長は、代々、JNTOプロパーの方が務めており、現在に至るまで、国土交通省出身の所長は私だけです。JNTO本部も不安に思ったのか(笑)、私の着任の際、次長として日本人スタッフがもう1人増えることになり、内部管理に余裕ができたため、週1回程度、旅行事業者への訪問を行う新たな取組を始めました。それもスタッフ任せではなく、所長自らが訪問して、相手方の社長クラスから、自社の紹介、取り扱う訪日旅行の訪問先、価格帯、顧客層、販売量、事務所への要望などをヒアリングしていきます。

この会社訪問のやり方は、私の元上司である一見・現三重県知事が国土交通省勤務時、「智恵の托鉢」と称して、所管の会社を訪問して意見交換していたことを真似ており、私が新潟県副知事の頃も実践していました。

通常、訪問を受けた経営者の方々は「わざわざよく来てくれた」と歓迎してくれ、機嫌が良いと、創業時の苦労や会社への思いを語ってもらえます。何より、こちら側から会社に出向くことで、会社やスタッフの普段の様子も伺えます。

タイでも同じように、こちらから旅行事業者を訪問してみると、予想した以上に大いに歓迎されました。こうやって足で稼いだ情報を蓄積しつつ、旅行商品の即売会的な側面を持つ大型旅行フェアでの各社毎の訪日旅行商品の販売実績の報告などと突合させて、訪日旅行の取扱いが多い旅行事業者を独自にリストアップしました。リストをまとめた後は、リストにある旅行事業者を対象に日本へのファムトリップや訪日旅行商品の共同広告などのプロモーション予算を重点的に配分しました。

また、成長しているタイの訪日市場の情報を求めるために、日本から多くの地方自治体や観光関連事業者の方々が事務所を来訪されましたが、これらの地方自治体や観光事業者等に対しても、リストにある旅行事業者を訪問するよう推薦しました。

このリストアップ作業は毎年行い、常に訪日旅行に強い旅行事業者とWIN-WINの関係になるよう、心がけていましたが、ダメ押しとして、2010年にJNTOバンコク事務所が創設50周年を迎えたことを半ば口実として、「Japan Tourism Award in Thailand」という表彰制度を設け、訪日旅行の販売数が多い旅行事業者や訪日旅行に貢献した個人・団体を表彰することとしました。受賞者には会社のカウンターに置ける表彰楯とパンフレットに掲載できるロゴマークも副賞で渡し、受賞者が差別化できるよう配慮しました。受賞した旅行事業者等は、次も表彰されるよう頑張ろうと、張り切ってくれます。

第1回目の表彰式は限られた予算の中で、せめてものおもてなしをすべく、私と妻は和服で、子供達は浴衣を着るなど、家族総出で表彰式を盛り上げたことを懐かしく思い出します。第2回表彰式以降は、在バンコク日本大使館の協力を得て、表彰会場をホテルから日本国大使公邸に移し、JNTO所長賞を日本国大使から授与してもらいました。今でも続いてるのかな。

当時、国土交通省から日本国大使館に出向していた書記官との連係プレーがなせる力業でした。懐かしい思い出に浸りそうなので、今回はここまでとします。

益田浩

昭和61年3月私立修道高等学校卒業、平成3年3月東京大学法学部卒業。国家公務員Ⅰ種(法律)合格。平成3年4月運輸省採用。平成9年7月運輸省大臣官房人事課付(英国ケンブリッジ大学留学国際関係論)、平成27年7月自動車局自動車情報課長、28年6月大臣官房参事官(税制担当)などを経て、29年7月新潟県副知事。令和2年7月内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)、内閣官房東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局企画・推進統括官、令和4年6月国土交通省中国運輸局長。

【前回記事】

「日本政府観光局バンコク事務所長の頃 ~タイの大洪水が終わる」元新潟県副知事・中国運輸局長 益田浩(2024年3月5日)

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