【国立新美術館の「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」】21世紀をまたぐ22年、日本の現代美術はどんなだったか。ベルナール・ビュフェ美術館所蔵品も展示
静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。今回は東京都港区の国立新美術館で12月8日まで開催中の企画展「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」を題材に。
去る10月23日付静岡新聞「時評」でアートプロデューサーの山口裕美さんが書いていた展覧会だ。国立新美術館と、2024年3月に協働キュレーションの調印式を行った香港の美術館「M+」の2館の学芸員が力を合わせて構成している。
タイトルにある、1989年から2010年までの22年間が何を意味するのか、足を運ぶまで理解していなかった。カタログの説明によると「21世紀をまたぐ前後10年」とのことだが、ここで「1990年」を起点にしなかったのは、どうやら「1989年=平成元年」であるから、ということのようだ。
展示をたどると、この1989年という年に大きな意味があることが分かる。昭和天皇の崩御、ベルリンの壁崩壊、中国の天安門事件、冷戦終結…。みんな1989年に起こった出来事であり、全ては以後の20年間の変革や混乱の予兆であった。
「時代のプリズム」展は、世界中が新たなフェーズに入る中で、その波が日本の現代美術にどう影響を与えてきたのかを考察する。遠いところにあった現代美術が、私たちの生活のすぐ近くに入り込んで来る様子がうかがえる。一つ一つの作品は独立した発想に基づくものだが、時系列で並んだ作品群が連関しているように感じられる。アーティストたちが常に、すでにあるものの更新、刷新を目指していたことがよく分かる。
個人的に一番刺激的だったのは、島袋道浩さんの「ヘペンチスタのペネイラ・エ・ソンニャドールにタコの作品のリミックスをお願いした」(2006年)だ。閉じられた空間の大スクリーンに二つの映像を同時に流す作品で、左は島袋さんの過去作品「そしてタコに東京観光を贈ることにした」(2000年)と「自分で作ったタコ壺でタコを捕る」(2003年)、右はブラジルの路上で歌う、「ヘペンチスタ」(吟遊詩人)の2人組。
ヘペンチスタの二人はタンバリンに合わせて映像の内容を説明するが、言葉の通じない彼らは誤解に誤解を重ねる。島袋さんを「タコを捕る漁師」と紹介し、「彼はタコをつかまえて人に見せる仕事してるんや」(なぜか関西弁の字幕が付く)、「死んだタコ見て彼は泣いた」などと適当なことを言う。歌う。これが抱腹絶倒。ヘペンチスタの二人は至って真面目な顔をして、さも自分だけが知っているかのように、映像を語って聞かせる。
ここには美しい「誤訳」や「誤解」が詰まっている。言語は情報を正確に伝えるためのツールだが、それが機能不全に陥ったとき、人間はどうするか。それでも目の前のことを理解しようとする。この作品は人間同士のコミュニケーションの豊かさを逆説的に示している。
(は)
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■国立新美術館「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」
住所:東京都港区六本木7-22-2
開館:午前10時~午後6時(火曜休館)
観覧料金(当日):一般2000円、大学生1000円 、高校生500円
会期:12月 8日(月)まで