【取材レポート】雁木通りで盲目の旅芸人、高田瞽女の「門付け」(瞽女唄)の再現(新潟県上越市)
高田の雁木通りで、瞽女唄を歌い歩く高田瞽女に扮した瞽女姿の一行
NPO法人高田瞽女(ごぜ)の文化を保存・発信する会が2月8日、新潟県上越市高田地区の雁木通りで、恒例イベントの「高田瞽女ふたたび」を行った。昔から盲目の旅芸人、高田瞽女一行が冬の期間、高田の人たちの玄関先などで角巻と瞽女笠姿で三味線演奏と瞽女唄を披露する「門付け」を行っていたことから、この日もその再現イベントを行ったもの。
ここ数日は高田のまちも大雪となり、門付けイベント開催も危ぶまれたが、雪も若干落ち着き晴れ間が見える中、今年も雁木通りなどの5か所で門付けが実施され、瞽女唄継承者の三味線を弾く月岡祐紀子さんを先頭に、公募などで選ばれた3人も瞽女に扮し、前の瞽女につかまりながら、雁木通りを歌い歩き続けた。このイベントには多くの観光客や写真愛好家らが詰め掛けた。
高田小町からスタートした瞽女一行は、5か所のそれぞれの町家の雁木下の玄関などでは三味線に合わせて門付け唄などを歌い歩き、門付けを行った各家々で歓待を受けていた。このイベントに県外からやって来たという女子高校生は「高田瞽女のことを学んでおり、今日は生で見聞き出来て嬉しかったし、改めて瞽女の想いを深く感ずることが出来た」と話していた。
高田瞽女は生まれつきや戦後の食糧事情の中、栄養失調などで止むを得ず盲目となってしまった少女が、くじけず生涯生き抜いていくため、三味線や唄による芸を学び、涙ぐましい覚悟と苦闘の中で、旅芸人として生計を立てていた。三味線の芸を覚えることはもちろん、悔しさや苦悩もあったであろう、でも一人の人間として“心の成長”を遂げたに違いない。
高田瞽女の歴史は、江戸前期から昭和39年ころまでの400年続き、ピーク時の明治中頃には約90人がいたという。上越地域だけでなく県内各地の農山村を回り、盲目の旅芸人として三味線と瞽女唄で瞽女文化を歌い伝えていった。瞽女の歴史を発信する拠点が高田雁木通りにある「瞽女ミュージアム高田」である。また岩下志麻主演の映画「はなれ瞽女おりん」が有名だ。
なお、地元高田でも撮影された盲目女性の少女期を描いた映画「ふみこの海」(原作・高田の故市川信夫さん)の上映は18年前の2007年10月だが、原作者の父が高田瞽女の研究者でもあり、市川さんは高田瞽女との触れ合いを通して1989年にこの本を出版した。なお、昨年11月10日には近藤明男監督を招いて、上越市本町の高田世界館で映画の上映とトークイベントも行われた。
文・撮影 竜哲樹(にいがた経済新聞社顧問)