寓話に込められた希望──ヤマザキマリさんと読む『だれのせい?』【NHK100分de名著】
自らの「正義」を、勇気を持って見つめ直す――『だれのせい?』を、ヤマザキマリさんが解説
2026年3月のNHK『100分de名著』は「絵本スペシャル」。子どもから大人まで、世界の広がりを知り、人生の意味を深めるための絵本4作品を取り上げる、春の特別編です。評論家、漫画家、俳優、批評家として活躍する講師陣を迎えて、誰もにひらかれた絵本の魅力を味わいます。
この記事では、第2回で取り上げる『だれのせい?』について、ヤマザキマリさんによる解説のイントロダクションを公開します。
第2回「寓話に込められた希望――『だれのせい?』」より
優れた絵本の条件
『だれのせい?』は、イタリアの小さな出版社から二〇二二年に刊行された絵本です。作者のダビデ・カリさんは、スイス生まれでイタリア育ちの児童文学作家。絵はエストニア出身の絵本画家、レジーナ・ルック-トゥーンペレさんが描いています。
私がこの絵本を読んでまず感じたのは、絵が美しい、ということです。動物たちのかたちや表情にも、色彩にも、ひとつひとつ愛おしむような、レジーナさんの優しさと思い入れが込められているのが伝わってくるようで、眺めているだけで気持ちが癒されます。
絵本はまず絵が重要です。子どもは文字という記号から意味を理解するより先に、絵という視覚情報によって感情が動かされます。絵本や紙芝居は、おそらく子どもが生まれてからかなり最初の段階で出会う絵画でしょう。子どもの頃に、そうした絵本を通じてたくさんの色を知ることは、感受性や情緒を豊かにするためにもとても大切なことだと思います。そういう意味でも、この絵本に使われている色彩は、子どもたちが日常で目の当たりにする光景の細部に、多様な捉え方をもたらしてくれることでしょう。
物語も多面的な要素を秘めています。世界中のあらゆる環境に生きるあらゆる人の、それぞれに応じて作品をさまざまに受け取れる仕様になっている。これもまた、私にとっては良質な絵本の条件です。そしてこの絵本に綴られる言葉には押しつけがましさや威圧感がない。私は自己啓発的な、子どもへの教育的な色合いが露呈している絵本は苦手なのですが、この絵本にはそういった教訓臭さや啓蒙的要素は感じられません。子どもも大人も、時代も場所も関係なく、誰にでもさまざまなことを考えさせてくれる、“寓話”としての自由さが感じられます。
私は幼い頃から絵を描き、その絵に添える物語もつくって自分流の絵本に仕立てるのが好きでした。どれも、クマやウサギやキツネ、白鳥やカンガルーといった、動物たちばかりが出てくる物語です。だからでしょう、多くの動物が登場するこの絵本を見た時に、子ども時代の感性が再び呼び起こされた気がしました。
私は縁あって、この絵本を日本語に翻訳する機会に恵まれました。ご提案をいただき、最初にイタリア語版を手に取った時、イタリア語で読んでいるのに頭ではすらすらと日本語訳に変換されていくので、ああ、これはすぐにできる、と思ってお引き受けしたわけですが、あっという間に(第一稿はたった一日で)できてしまいました。登場する動物たちの「○○しておくれよ」といった話し口調は、子どもの時につくった物語と同じです。この絵本によって私は、未だに自分の中に子ども時代に熱中した絵本づくりの意欲が残っていることを実感しました。
原著のイタリア語は、親が子どもに読み聞かせる時によく用いられる、歌のように音楽的なリズムや響きに重きをおいています。口に出して読むと、スッと耳に入ってくるような文章です。ですから日本語でも、イタリア語と同じように、耳に入ってきやすいよう工夫しなくてはいけません。そこで今度は第一稿を精査して日本語のリズムやニュアンスを試行錯誤し、また動物の声色などが伝わるようにも努めました。
自分にとっての人生で最初の翻訳が、たくさんの動物たちが登場するこの美しい絵本だったことを、とてもうれしく思っています。
色彩の深さが知性も深める
私はイタリアで長い間油絵と美術史の勉強をしてきたので、先ほども述べたように、この絵本を手にした時、まずは絵の美しさに注目しました。
使われている画材は水彩とペンだということですが、どちらかといえば大人っぽい、やや淡くくすんだ発色が独特ですし、絵の具の滲み方も含め、レジーナさん独特の手法なのかもしれません。それから、特徴的なのは、輪郭線が描かれていない絵だということです。いわさきちひろさんなどもそうですが、輪郭線で縁取られない絵の特徴は、やはり柔らかさでしょう。よく見るとかすかに鉛筆の跡があるので、着彩したあとで下描きを消しているのだと思いますが、輪郭線があるのとないのとでは、物語の印象も変わるかもしれません。文字のリズム感と輪郭線のない柔らかいタッチとの響き合い、それがこの絵本の魅力だと思います。
そしてこの絵本の動物たちの衣服ですが、それぞれの布の模様などの描き方も細かく丁寧で、主人公のクマが身につけている中世の鎖帷子(くさりかたびら)のような兵士の服も実にお洒落に描いてあります。落ち着いた色彩によって、絵本だからといって子ども騙しではない、大人でも楽しめる演出が感じられます。
そういえば私の母も、よくある子ども向けの色遣いのようなものが嫌いで、私に着せる服もいつもベージュやモーヴ系など微妙な中間色か、さもなくば紺や黒のような地味なものばかりでした。赤や青や黄色といったビビッドな色の服は一度も着せられたことがありません。それから画材にしても、小学校一年生の時に学校から配られたクレヨンは六色でしたが、「先生に何か言われてもいいから、これを使いなさい」と、三十六色のものを見つけてきてくれました。私がたとえば公園の樹木を指して「緑色がきれい」と言ったとすると「ああいうふうに、葉っぱがイキイキとしているのを萌葱色(もえぎいろ)というのよ」とか、家屋のレンガを指して「これは赤じゃなくて緋色(ひいろ)。覚えておきなさい」などと指摘をする人でした。色彩を音色のように細かく分類したくなるのは、音楽家という職業に依るものだったのかもしれません。
ヨーロッパには、子どもには子どもらしいこの色を、という価値観が日本ほど強くないように思います。繰り返しますが、こうした色の深みを子どもの時から知ることは、語彙を増やすのと同じく、知性を深めるきっかけになります。ですから、みんなが共有する色でいつも表現をするのではなく、「これは今日飲んだ紅茶の色に似ている」とか「昨日見た枯れた葉っぱの色に似ている」「庭に飛んできた蝶々の羽に似ている」とか、自分にしかわからない情報を持つ色の知覚と認識は大切です。色彩の豊かさは早いうちから経験しておくべき教養のひとつだと思います。
レジーナさんの絵は、そういう感覚をきちんと刺激し、触発してくれるのです。自然の描写でも、たとえば果物の艶の描き方にも、ひとつひとつ地球の産物としての慈しみが感じられるし、キノコひとつとっても、傘の裏側の襞の描写など、注意して見なければわからない細部にまで、妥協のない、丁寧かつ的確な画力が遺憾なく発揮されています。こちらもまた、子どもたちにとって印象的な描写だと思います。
自然科学にも意識をおいた描写も含むこうしたコンテンツは、若冲など日本の伝統絵画とも共通しています。レジーナさんの使う色彩についても、考えてみれば日本画の顔料にとても近いものを感じます。
デザイン的に切り取られた地面の描き方は、装飾的で半ば抽象的な表現ですが、ボッティチェリの『春』やレオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』を思わせます。地面にさまざまな植生を細かく描き込むディテールは、地球の生き物のいとなみの舞台である自然をしっかりフィーチャーする、ルネサンス絵画の手法を彷彿させます。
レジーナさんはイタリアではなく、出身国である旧ソ連時代のエストニアで美術を学んだ方だそうですが、エストニアはバルト三国の中でも言語的にはウラル語族に属し、むしろフィンランドに近い国です。北欧独特の静謐な神秘性と暗さがあって、「ムーミン」シリーズで有名なトーベ・ヤンソンなどとも、レジーナさんのセンスはどこか共通する雰囲気があるように感じます。
これがもし、華やかな色彩と躍動感に満ちた絵だったら、全く違う印象の物語になっていたことは間違いありません。この、光の反射を感じさせない、淡く繊細な色彩だからこそ、作者ダビデさんの綴る物語とマッチしています。
『100分de名著』テキストでは、『100万回生きたねこ』『だれのせい?』『ぼくのこえがきこえますか』『おおきな木』の絵本4作品を読み解きます。
講師
ヤマザキマリ
漫画家、文筆家、画家。1967年、東京都生まれ。日本女子大学国際文化学部国際文化学科特別招聘教員、東京造形大学客員教授。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。2010年『テルマエ・ロマエ』にてマンガ大賞2010受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2024年『プリニウス』(とり・みきとの共著)にて第28回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞。著書に『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)、『ムスコ物語』(幻冬舎文庫)、『扉の向う側』(マガジンハウス)など多数。現在、『続テルマエ・ロマエ』(集英社)を連載中。
※刊行時の情報です
◆「NHK100分de名著 「絵本スペシャル」2026年3月」より
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◆TOP画像:PantherMedia/イメージマート
◆講師プロフィール写真撮影:ノザワヒロミチ