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読書楽しみ満100歳! 釜石・仙人の里で生活中の山﨑ミツさん 多くの祝福に「おしょすようだぁ」

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 釜石市甲子町の特別養護老人ホーム仙人の里(千葉敬施設長/長期利用66人、短期同14人)で生活中の山﨑ミツさんが20日、満100歳を迎えた。22日、施設内で祝う会が開かれ、出席した家族らとともに祝福を受けた。同施設利用者で100歳以上は山﨑さんを含め3人(最高齢103歳)となった。

 山﨑さんの100歳を祝う会は多くの利用者、職員が集まって行われ、長女の中北やす子さん(73、千葉県在住)ら娘3人も駆け付けた。千葉施設長は「満100歳、おめでとうございます。これからも変わらず、ミツさんらしく暮らしていただきたい」と祝福。住民登録のある大槌町から届いた平野公三町長の手紙を職員が読み上げ、千葉施設長が同町からの祝い金を山﨑さんに手渡した。施設からは祝いの花とバースデーケーキが贈られた。

大槌町からの100歳の祝い金を千葉施設長が贈呈した


施設や家族から祝いの花を贈られる山﨑ミツさん(上段)。利用者や職員も拍手でお祝い(下段)


 姉妹を代表し中北さんがあいさつ。「母は激動の時代を生き、父が病弱だったこともあり苦労も多かったと思うが、大らかで細かいことを気にしない性格。私たちも自由に育った」と感謝。「今は人生110年時代とのこと。まだまだ元気で長生きしてほしい」と願った。

 山﨑さんは1924(大正13)年1月20日生まれ。大槌町金沢出身で、8人きょうだいの2番目。戦後、25歳で釜石製鉄所に勤務していた同郷の夫(他界、享年82)と結婚し、3女を授かった。同市中妻、上中島町の社宅に暮らし、パート勤めもしながら家族の生活を支えた。和裁が得意で、仕立てを頼まれることも。100歳を祝う会で着用した着物も自分で縫い上げたもの。東日本大震災の津波被害に遭いながらも、奇跡的に無事だった一着だ。

母ミツさんのお祝いに駆け付けた(左から)長女中北やす子さん、次女小澤房子さん、三女山﨑由紀子さん


 若いころから読書が好きで、社宅では新聞3紙を購読した。新聞は隅から隅まで読み、漢字の知識も豊富。「読めない字を聞くとすぐに教えてくれた」(長女やす子さん)という。読書欲は今も尽きることはない。小説、雑誌、新聞…。施設職員が手渡すと自らページをめくり、文章を声に出して読むことも。祝う会後、居室に戻った山﨑さんは平野町長の祝い状も流れるように読み上げ、娘たちや職員を驚かせた。

平野公三町長の手紙を声に出して読む山﨑さん


 生活相談員の佐藤啓祐さん(38)によると、山﨑さんは2022年6月から同施設を利用。施設内は車いすを自分でこいで移動する。食事は好き嫌いなく食べ、おやつの“甘いもの”も大好き。「食べることが長生きの秘訣」と自ら話しているといい、この日の昼食では誕生祝いのケーキとカレーライスを平らげた。「体調も安定している。これからも(長寿の)記録を延ばし続けるのでは」と佐藤さん。

 たくさんのお祝いを受けた山﨑さんは「おしょす(恥ずかしいの意)ようだぁー。こんな格好(着物姿)も」と照れ笑い。「みんなのおかげでここまで生きてこられた」と話し、この日は何度も手を合わせ、感謝の気持ちを表した。孫は4人、やしゃごが2人いる。

100歳のバースデーケーキに手を合わせ喜びの表情!


 長女のやす子さん、次女の小澤房子さん(70、釜石市在住)、三女の山﨑由紀子さん(68、大槌町同)は「母はいつも『何とかなるさ』と明るく前向きだった。子どもから見る限り、悩んでいる姿は見たことがない。私たちものびのびと育てられた」と口をそろえる。やす子さんは古里を離れて45年―。「母親というのは、幾つになっても心の支え。自分の中に心配し思う人がいると、人間は頑張って生きていける」。コロナ禍で面会ができなかった期間はとても寂しい思いをしたという。

施設職員が向けたタブレットに、手を挙げて「はい、ポーズ!」


 13年前の震災津波で、大槌・桜木町の自宅は大規模半壊。山﨑さんは一緒に暮らしていた由紀子さんと裏山に避難し、命をつないだ。由紀子さんは避難所生活を続けながら、「早く帰りたい」という母の願いをかなえるべく自宅修繕に奔走。その間、房子さんが母を預かり、古里に帰れる日を待った。地元に暮らす2人は「コロナも乗り越え、元気に100歳を迎えられて感無量」と施設職員に深く感謝。「これからもできるだけ会いにきて、来年、再来年と誕生日をお祝いできれば」と願いを込めた。

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