嵐山・嵯峨野に残る恋と戦乱の記憶『平家物語』『太平記』ゆかりの寺を巡る
嵐山・嵯峨野は、京都でも屈指の人気観光地です。
しかしこの地には、華やかな景色とは別に『平家物語』や『太平記』に描かれた人々の記憶も残されています。
『平家物語』に関わるのは、平清盛と、その権勢に翻弄された女性たちです。
高倉天皇に愛された小督(こごう)、清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王(ぎおう)と仏御前(ほとけごぜん)、そして身分違いの恋に生きた横笛(よこぶえ)。
嵯峨野には、彼女たちの悲恋や出家にまつわる旧跡が点在しています。
一方の『太平記』に関わるのは、後醍醐天皇、足利尊氏、夢窓疎石、足利義詮、楠木正行、新田義貞といった南北朝時代の人々です。
天龍寺、臨川寺、宝筐院、滝口寺をめぐると、南北朝の争乱に生きた人々の足跡が見えてきます。
今回は、そんな嵐山・嵯峨野に残る二つの軍記物の舞台を訪ねます。
臨川寺(りんせんじ)
臨川寺(りんせんじ)は、後醍醐天皇の皇子・世良親王(ときよししんのう)の菩提を弔う寺院で、本堂背後東寄りに親王の御墓があります。
親王は亀山上皇の皇女昭慶門院に養育され、北畠親房や夢窓疎石(むそう そせき)が教育にあたり、英明の皇子としてその将来を嘱望されました。
つまり、後醍醐天皇が特に期待を寄せていた皇子であったわけです。
しかし、20歳代前半という若さで死去。
鎌倉幕府打倒の片腕にと、期待していた後醍醐天皇の失意は大きかったと想像されます。
夢窓疎石もこの寺で1351年(正平6年)に入寂しました。
開山堂に夢窓国師像を安置し、その床下蓮華形自然石の下に、国師の遺骸が納められているとされます。
琴聴橋(ことききばし)
琴聴橋(ことききばし)は、藤原信西の孫で高倉天皇の寵姫・小督(こごう)ゆかりの橋です。
この橋は、『平家物語』や謡曲『小督』で知られる故事にちなむもの。
高倉天皇の寵愛を一身に受けた小督は、平清盛に恨まれ逃れるように嵯峨野に隠れ住みました。
しかし彼女を諦めきれない天皇は、源仲国に命じて小督を探し求めます。
そして仲国はついに琴の調べによって小督の居場所をつきとめるのです。
そうして小督はいったん宮中に戻るものの、清盛により再び追放されました。
その後の彼女の消息は明らかではありませんが、剃髪して尼になり、隠棲の後亡くなったと伝わります。
小督塚(こごうづか)
小督塚(こごうづか)は、小督が隠棲した場所に建てられたとも、小督の墓とも伝えられる塚です。
小督隠棲の地は嵯峨野のほかに、東山の清閑寺や遠く九州(田川市)にも伝承地が残るなど、それぞれに墓とされるものが伝わっています。
天龍寺(てんりゅうじ)
天龍寺(てんりゅうじ)は、足利尊氏が夢窓疎石のすすめで、後醍醐天皇の菩提を弔うために建立した寺院です。
建武の新政を樹立した天皇に叛乱を起こした尊氏は、天皇を吉野に追いやりました。
しかし尊氏は、そのことを生涯悔いていたともいわれています。
寺内にある多宝殿は、後醍醐天皇の尊像を祀る祠堂で、中央に天皇の像、両側に歴代天皇の尊牌が祀られています。
天龍寺の建つ場所は亀山上皇が離宮を営んだ際、後醍醐天皇が学問所とした地でした。
多宝殿は、天皇の吉野行宮時代の紫宸殿の様式と伝えられます。
宝筐院(ほうきょういん)
宝筐院(ほうきょういん)は、白河天皇の勅願寺として創建、室町時代に入り黙庵周諭(もくあんしゅうゆ)に帰依した足利義詮(よしあきら)により伽藍が整えられます。
南朝方の楠木正行(正成の嫡男)も、黙庵に深く帰依していました。
そして四条畷の戦で正行が自害した際、黙庵によってその首級が宝筐院に手厚く葬られたのです。
義詮は自分が死んだら好敵手であり、敬慕する正行の側に葬るようにとの遺言を残していたと伝わります。
そして、1367年(貞治6年)に没すると、遺言に従い正行の墓の隣に葬られました。
正行と義詮は、ともに南北朝争乱の主役として対立した武将であるものの、ほぼ同年代です。
おそらくは建武の新政下では、立場を超えた交流があったとも考えられており、その縁が義詮の遺言につながったのかもしれません。
滝口寺(たきぐちでら)
滝口寺(たきぐちでら)は、法然の弟子・念仏房良鎮(ねんぶつぼう りょうちん)が開創した往生院の子院で、『平家物語』で語られる斎藤時頼と建礼門院の侍女・横笛の悲恋物語ゆかりの地です。
茅葺屋根のお堂の中に、現世では結ばれることがなかった二人の像が仲良く安置されています。
また『太平記』で、足利尊氏のライバルとして描かれる新田義貞の首塚と、義貞の寵愛を受けた勾当内侍の供養塔もあります。
後醍醐天皇の命を受け、越前で北朝に抗うものの武運つたなく戦死した義貞。
都に晒された義貞の首級を、勾当内侍(こうとうのないし)が密かに持ち出してここに埋め、その傍らに庵を結んだと伝えられています。
祇王寺(ぎおうじ)
今回の歴史散策では、天龍寺と並んで人気の寺院が祇王寺(ぎおうじ)です。
ここも滝口寺と同じく、往生院の旧跡とされます。
『平家物語』によると、平清盛の寵愛を受けた祇王が母と妹、さらには自らが清盛の寵愛を奪った仏御前(ほとけごぜん)の四人で念仏三昧の余生を送ったところとされます。
祇王と仏御前はともに白拍子で、現代でいうと歌って踊れるアイドルのような存在。
白拍子は、天皇や上皇、公家たちからもてはやされた当時の人気芸能者でした。
境内の片隅には、祇王らの墓と清盛の供養塔がつつましやかに残されています。
『平家物語』も『太平記』も、勝者だけでなく敗者や名もなき人々の人生を描いた物語です。
嵐山・嵯峨野に残る旧跡を訪ねると、物語のなかの武将や女人たちの喜びや悲しみが、今も風景の中に息づいているように感じられるでしょう。
※参考文献
京あゆみ研究会(高野晃彰)著 『京都ぶらり歴史探訪ガイド 今昔ウォーキング』メイツユニバーサルコンテンツ
文・写真:高野晃彰/校正:草の実堂編集部