日本企業の人事慣行が抱える問題点
本記事では、組織人事の問題を考える。 前回は「ビジネスの能力とその問題」について提起した。今回は、筆者が問題の原因と考える人事慣行について説明したい。
なお、今回のテーマは様々な研究者によって議論されている。先行の議論を参考にしつつ、筆者は自らの見解を述べる(※1)。
年功序列に象徴される日本企業の人事慣行
日本企業の人事慣行について言及するが、その前に注釈をしておきたい。慣行といっても、高度経済成長期(1955年~1973年頃)以降の慣行である。
日本企業の特徴については、アベグレンの有名な「終身雇用」「年功序列」「企業内労働組合」などの言葉がある(※2)。これらは、高度経済成長期の特徴を説明している。大正後期や昭和初期は終身雇用どころではなく、労働争議が多発していた時期もある。また、1990年代にも整理解雇が多く見られた。
ただ、アベグレンが説明した「年功序列」は、今でも日本企業の人事に色濃く残っており、メディアでもしばしば取り上げられている。この年功序列とは、年齢ではなく入社順による序列で、他社での業績や能力発揮は重視されない。
終身雇用と年功序列は同趣旨だと考える。わかりやすい理由を取り上げると、賃金の増加がある。長期的に勤続する場合、賃金の増加がないと動機づけをしにくい。すると、勤続年数が長い従業員ほど給与が増加するようなしくみを設ける。勤続年数が長い社員を優先的に給与が高い職位に就け、結果として年功序列になる。
長期的な雇用の点からは、この考えかたには一定の合理性がある。ただ、狙いを見失うと、長期的に勤続すれば給与が上がるという短絡的な理解を生む。そして、入社順に基づく職位の序列が原則になる。
新卒一括採用も、年功序列と同趣旨だと言える。新卒一括採用も長く続いた考えかたである。現在では、中途採用数が新卒採用数を超えそうだという統計もあるが(※3)、中途採用の早期の管理職登用は少ない(※4)。若手を大量に採用し、育成しながら職位を上げるというしくみがまだ健在である。長期勤続による内部昇格に偏っているので、つまるところ年功序列である。
現在における日本企業の人事慣行は、入社順による年功序列だと言える。人事制度をジョブ型に移行させた企業も少なくないが、全体としては少数派である(※5)。
念のために言及するが、年功序列がいちがいに悪いわけではない。経験年数が増加すれば、技量や判断力が高まるというのは自然な考えかたである。経験効果という用語があり、累積生産による生産性向上を指す。業務の経験によって生産性が高まるという考えかたである。だから勤続年数の長さと賃金が相関するというのは合理的である。ただしそれには前提があり、職務内容が変わらないことだろう。
人事慣行の問題点
実際には、企業組織では職務が変わることがある。例えば異なる職種への転換、昇格などである。職種転換は職務が変わることが明白だ。昇格には大きなイベントが二つあり、一般の従業員から中間管理職への昇格、そして中間管理職から事業責任者以上の経営幹部への昇格である。
どちらも、それまでの職務から大きく変化する。中間管理職は、通常は組織論で言う機能の組織をマネジメントしなければならない。事業責任者以上は、通常は単数ないし複数の事業組織をマネジメントしなければならない。どちらも、昇格前の業務と担当範囲が大きく異なる。
中間管理職への昇格はまだよい。機能のなかでの昇格で、日頃接する上司から学べることも多い。しかし、事業責任者以上は担当範囲が飛躍的に拡大する。事業責任者以上が担当する範囲の大きさは前回に述べた。ビジネスの担当範囲を、ポーターのバリュー・チェーンの図に示したものである。多数の機能を束ねるので、一つの機能の担当とは内容が完全に異なる。
この、昇格による担当範囲の拡大が年功序列の最大の問題である。広い範囲の経験を持っていないのに、そして育成されていないのに、昇格によって担当することになるのだ。能力不足となりやすい。
未経験者をビジネスの担当者とする人事慣行が、日本の競争力が低いとされる状況の要因だと筆者は考える。
ビジネスの担当範囲に対する意識の低さ
筆者のような説明をすると、反論が予想される。若いころから実績を上げてきた、優秀な人材がビジネスを担当しているのだ、という反論である。そう主張したいことは理解する。だが、残念ながら、その実績と能力は機能の担当者としてのものだ。ビジネスの担当者としてのものではない。
ビジネスを担当する能力は、機能を担当する能力とは同じではない。ビジネスを担当した経験がないと必要な能力がわかりにくいし、担当範囲もわかりにくいだろう。昇格人事の評価者も、実はわからないという可能性がある。人は見たことや経験したことがないものを理解しにくいのだ。昇格人事の際に適切な評価が行われていないかもしれない。
ビジネスの担当に対する意識の低さを表す例を述べたい。
2010年代前半には、従業員がイノベーションを起こせないという議論をよく見かけた。2010年代後半には、生産性向上が公的に議論され、従業員の仕事のしかたが論点になった。この二つの例は、ビジネスの能力に対する意識の低さだと筆者は考える。
イノベーションは事業活動がないと起こしにくい。なぜなら、市場のような開けた場に投入されないものは社会に浸透しにくいからである。イノベーションの研究で高名なシュンペーターは、同趣旨のことを説明している(※6)。事業活動のためにはビジネスの能力が必要だから、イノベーションはビジネスが担当することで、機能が担当することではない。
生産性の向上も同様である。単に機能の生産性を向上しても、多数の機能を統括するビジネスの生産性にはつながりにくい。制約理論(TOC理論)と呼ばれる考えかたの通りである。ビジネスの生産性を向上させるためには、ビジネスの能力が必要である。
イノベーションと生産性向上のどちらもビジネスの担当範囲だが、機能を担当する従業員の問題として扱われた。このように、ビジネスの担当範囲について意識されていないことがある。
前回、事業のバリュー・チェーンを野球の打線に例えた。打者ひとりひとりが役割を果たし、得点することでチームは勝利する。打者はチームの戦いかたに沿って役割を果たすのであり、戦いかたを考えるのは打線を統括する監督の担当である。もし、野球の監督が「打者が戦いかたを提案しないからチームが勝てない」と発言したらどうなるか。おそらく解任されるだろう。しかし、日本企業では、戦いかたの発案を打者に依存することがよく見られる。
ビジネスの能力が低いとされる要因を整理する。人事慣行として入社順による年功序列が原則になっており、機能に関わる育成は行っても、ビジネスについての育成は考慮されていないことが少なくない。そして、ビジネスの経験がないまま、ビジネスの担当者として登用されているケースが多い。したがって、競争力を発揮するようなビジネスの能力を欠くことになる。
以前の記事で、デジタル技術を学ぶだけでは、DXは進まないと述べた。また、日本の競争力が低いと評価されることについて、IMDの説明に異議を唱えた。IMDの説明とは、生産性が低い従業員の解雇ができないから、日本企業は競争力が低いという説明である。趣旨をご理解いただけるだろうか。
次回は、ビジネスの能力の育成について述べたい。
※1 慶應ビジネススクールと一橋ビジネススクールのゼミ交流会資料(河野健士 2014)
筆者の修士論文(河野健士 2014)
※2 『日本の経営』 AbegglenJ.C. 1958 ダイヤモンド社
※3 『中途採用実態調査』 リクルートワークス研究所 2024
※4 『中途採用に係る現状等について』 厚生労働省職業安定局 2019
※5 『ジョブ型人事制度に関する企業実態調査』 パーソル総合研究所 2021
※6 『経済発展の理論』 SchumpeterJ.A. 1977 塩野谷祐一 他訳 岩波書店
執筆者:株式会社セレブレイン 河野 健士