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聴覚ゼロの私が8年勤めたソニーを辞め、米国テキサスへ移住した話。長女は50万人に1人の骨の難病。

スタジオパーソル

牧野友香子さんは、生まれつき重度の聴覚障害があり、補聴器をつけても人の声がほとんど聞こえません。それでも、手話を使わずに声を出して会話をします。天真爛漫な明るさで、耳の聞こえる人と同じように話す姿に「本当に聞こえていないの?」と驚く人も多いはずです。それだけではなく、8年勤めたソニーを辞めて起業し、英語が分からない状態でアメリカに移住しました。

現在、難聴児とその家族を支援する株式会社デフサポの代表者として、自らの境遇をSNSで発信している牧野さん。

どのようにして声で会話することを身につけ、現在までのキャリアを歩んできたのでしょうか?安定したキャリアを捨てる際の、不安や葛藤についても伺いました。

入社2年目で結婚、3年目で出産。ライフステージが目まぐるしく変化した20代

——耳が聞こえない中で、ソニーの一般採用枠で就職するまでのことを教えてください。

私は就職するまで、ろう学校(聴覚障害児のための学校)ではなく、一般の幼稚園や学校・大学に通ってきました。いつも“聞こえないのは私一人”という環境だったので、手話に触れる機会がほとんどなかったんですよね。

物心ついた時には、相手の口の形を読み取って言葉を理解する「読唇術」を自然と身につけて、自分の声を使って話をしていました。

とはいえ、自分の発音が合っているかどうかが分からないので、流暢に話せるようになるには時間がかかったと思います。専門家に教わったり、家族や友達に「もう少し高く」「それ、ちょっと違うよ」などと教えてもらったりして、少しずつ修正しながら大人になりました。

日本では、ドラマなどの影響で「聞こえない人=手話」のイメージが根付いていると思いますが、私のように読唇術を使ったり、補聴器や人工内耳で声を聞き取ったりして、手話を使わずに話す聴覚障害者もたくさんいるんです。

小学生時代の牧野さん(写真中央)

就活では、食品や化粧品、広告業界など、さまざまな業界から柔軟性が高そうな企業を1社ずつ受けました。お堅い雰囲気は苦手だったし、物事を柔らかく考えることができる会社ではたらきたいと思ったんです。その中で一番「変わった人」が多そう!と感じたのがソニーでした。

というのも、他社ではスーツにネクタイをビシッと決めた面接官が多かったのに、ソニーではほとんどの人がノーネクタイで、中にはヒゲの生えた人もいて。

私、昔から「変わった人」が大好きなんです。だから部署希望も、そうした従業員の方たちと接することができそうな「人事」一択でした。実際は、本社で労務関係の仕事をすることが多かったので、従業員の方とお会いする機会はほとんどなかったのですが(笑)。

というか、私自身がすごく変だったんですよ。

——変だった?

入社1年目の時、ウェイクボードにハマっていて、朝イチで荒川で滑ってから品川本社に、麦わら帽子にサングラス、マキシワンピースにビーチサンダルで、ウェイクボード片手に出社したことがあるんです。今思うとだいぶおかしいですよね(笑)。

全然マナーがなっていなかったのに、先輩に言われたのは「友香子それで来たの?」と、「一つだけ言わなきゃならないところがある。ビーサンだけはダメ!」の二言だけ。部署のみんなもすごく笑ってくれて、その緩さと、ぶっ飛んだ私の行動も受け入れてくれる優しい社風が大好きで、だからこそ仕事も頑張れました。

新入社員の私に裁量性のある仕事をバンバン振ってくださって、自由にやらせてもらえたのもうれしかったですね。

「どうして私だけ、人生こんなにハードモードなの?」

——ソニー時代、耳が聞こえないからこそ失敗してしまった経験はありますか?

私はたくさんやらかしてきたので、どれを“失敗”と呼べばいいか難しいのですが、たとえば、声のボリューム調整が苦手なのでオフィスで必要以上に大きな声で喋ってしまったり、雑談が聞こえないので、上司に「この前のプロジェクトの話だけど、どうなった?」と言われて「えっ!?(何も聞いてない!)」と焦ったりすることもありました。

読唇術ができるから、雑談も分かると思われがちなんですけど、パソコンの画面を見ながらだと、雑談がされていること自体が分からない。周囲の方々もその発想が浮かばないから、「都度教えてほしい」と分かっていただくのに試行錯誤しましたね。

——大好きな会社ではたらきながらも、「起業したい」と思ったきっかけはなんだったのでしょうか。

23歳の時に夫と結婚して、私はソニーで、夫は自分で立ち上げたWebマーケティングの会社でバリバリはたらいていました。

転機は、26歳の時に長女を授かったこと。長女は、50万人に1人と言われる骨の難病でした。それまで、耳が聞こえなくても工夫して前向きに過ごしていたのに、子どもも難病だなんて、どうして私だけこんなに人生ハードモードなの?と神さまを恨みました。

特に辛かったのは、珍しい病気なので情報が少なくて、将来の見通しが立たなかったこと。そこで初めて気付いたんです。聴覚障害児の親御さんにも私のような思いをしている人がいるかもしれない、聴覚障害者として生きてきた私だからこそ、発信できる情報があるかもしれないって。

翌年、難病の長女でも通える保育園が見つかり、ソニーに復職するのと同時に、耳が聞こえない私の経験談を書いたブログを始めました。

すると、聴覚障害児の保護者の方々から大きな反響があって。中でも「子どもにどうやって言葉を教えたらいいのか分からない」という方が圧倒的に多かったので、28歳の時、まずは副業で、オンラインで難聴児の“ことば”を中心にサポートする「デフサポ」を立ち上げたんです。

聴覚障害のある子どもとその保護者のカウンセリングをする牧野さん。居住地問わず誰でも利用できるよう、普段はオンラインでサポートを行っている

でも、本業と、2歳差の子どもの育児とデフサポの両立は思いのほか大変で!2年間は睡眠2〜3時間が当たり前でしたね。これは、ソニーではたらきながらできることじゃない。退職して、起業する選択肢が浮かび始めました。

身近な上司や先輩が「やったほうがいい」と背中を押してくれた

——ソニーを辞める決断をされた時、迷いや不安はありませんでしたか?

すごく迷いました、やっぱり。一緒にはたらくメンバーに恵まれていたし、何よりソニーが大好きだったんですよ。

実は私、自分が出産するまで子どもが好き!というわけじゃなかったんです。結婚した時も、子どもはいたらかわいいだろうし、いなかったらいなかったで、ソニーでキャリアを積みながら夫婦で海外を旅しまくろう!と思っていました。

だから、入社3年目に同期の中で一番早く産休を取った時、「今後のキャリアはどうなるんだろう……」という不安がすごくあったし、辞めて起業する時も、子どもが2人いるのに安定した職業を手放していいのかな?お金がなくなったらどうしよう?と不安でした。聴覚障害のある子どもの数は限られているので、マーケットサイズ的にも、デフサポでお金を稼ぐのは難しいと分かっていたからです。

でも、6人の上司や先輩、同期に相談したら、全員が「退職して、やりたいことをやったほうがいい」と言ってくれたんです。上司が「来年から副業が解禁になるし、ソニーに副業で来てくれてもいいよ」と提案してくれたり、みんなが「いつでも戻ってきなよ」と背中を押してくれて。

——安定したキャリアを手放すとなると反対する人も多そうですが、背中を押してくれたのですね。

「人事の仕事は代わりが利くけど、デフサポは誰にでもできることじゃない。友香子にしかできないんだから、やったほうがいい」とみんなに言われました。

私が「お金がなくなって、ご飯が食べられなくなったらどうするの?」と弱音を吐いたら、「そんなん、私の家に来ればいいよ」とか、「困ったら連絡しておいで。お金貸すから」って。信頼するメンバー全員がそうした意見だったから、吹っ切れて一歩踏み出せたんです。

退職日って普通、花束をもらうじゃないですか。私、花束じゃなくて封筒だったんですよ。「ビール券か何かかな?」と開けてみたら、現金で。親しいメンバー同士で、「生活に困ったらこれを使ってね」とカンパしてくれたんです。

起業してすぐのお金がない時期に、講演に呼んでくれたのもソニーでした。

牧野さんが「マインドチェンジ」をテーマに講演する様子(写真は他社での講演)

——「ソニーに戻れるかもしれない」というセーフティーネットがあったから、一歩踏み出せたのでしょうか?

うーん……結局私は、セーフティーネットがなかったとしても、悩みながらも絶対起業していたと思います。デフサポで私を信頼して付いてきてくれている保護者の方たちを、放っておけなかったと思うから。

自分の人生を歩みたいから、ロールモデルはいない

——2022年にアメリカに移住されるなど、次々と大きな挑戦をされている牧野さん。ロールモデルにしている人はいるのですか?

私、人のことをロールモデルにしたことがないんです。

私の場合は、耳が聞こえない上に一般の学校や企業に所属してきたから、お手本にする人を探すのも難しい。だから、耳が聞こえないこともひっくるめて「自分が自分で良かったな」って思えるような選択をしてきました。

——自分が自分で良かった、と思える選択?

「その選択、明日死んでも後悔しない?」って自分に問いかけた時に、「後悔しない!やらないほうが後悔する!」と思える選択です。そうやって行動してきたのが本当に自分らしいと思うし、ナルシストかもしれないんですけど、そんな自分が大好き。

それと大切にしてきたのは、「やりたい!」と思ったことに制限をかけないようにすること。諦めるのって、結構簡単じゃないですか。「子どもが小さいし」とか、「仕事が忙しいし」とか。私は、それはやらないって決めています。やってみて失敗したのなら、それはそれで笑い話じゃないですか。

私、人生で一番落ち込んだのが、長女の難病が分かった時なんです。それ以上に落ち込む経験はこの先そうそうないと思うし、病気のように自力ではどうにもできないことと違って、キャリアは自分で決められる。経営者になってからは、失敗しても「自分が選んだこと」に対する失敗だから、会社員時代に比べて落ち込むことも減りました。

それに、ソニー時代ももちろん楽しかったけれど、今の環境はもっとぶっ飛んでいて面白い!耳が聞こえない、英語も分からないのにアメリカに移住した私のことを面白がってくれる人がたくさんいて、その人たちがまた面白い人を紹介してくれて、どんどん人の輪がつながっていっているんです。チャレンジしたからこそ、得られた出会いだと思います。

デフサポでサポートしている日本の保護者の方々にも、移住前と変わらずオンラインでサポートを続けています。

現在は、家族でアメリカのテキサス州に暮らしている。アメリカに移住するまでの経緯は、牧野さんの著書『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』(KADOKAWA)に詳しく描かれている

——アメリカでは、今後どんなことにチャレンジしたいですか?

英語がまったくできないままアメリカに来たので、まずは英語の読唇術を身につけて、長期的な目標として、英語で会話ができるようになりたいですね。

SNSでも、私が100日間英語にチャレンジする様子を配信しているので、ぜひ応援してもらえたらうれしいです。

(文:原由希奈 写真提供:牧野友香子さん)

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