雨の日に聴きたくなる「レイニーブルー」を歌った徳永英明は、その唯一無二の歌声で女性ヴォーカリストの楽曲をカヴァーし、原曲の魅力をさらに拡げた
気がつくと見かけなくなったものの一つに、「公衆電話」がある。1900年(明治33)に初めて上野駅と新橋駅構内の2カ所に設置され、その翌年には京橋に屋外用の公衆電話ボックスが建てられたという。
私が上京した80年代には喫茶店やレストランに赤やピンク、黄色といった色鮮やかな公衆電話が必ずあったし、緑の電話機が設置された電話ボックスも至る所にあった。
10円玉を握りしめ、深呼吸をして電話ボックスに入る。コインを積んでダイヤルを回すと呼び出し音がずいぶん続くのに相手は出ない。通じなかった不安で眠れなくなったこともあった。市内通話なら10円で3分間話せるのだが、旅先から電話をした時などは、あれよあれよという間にコインがカウントされてゆく。映画『男はつらいよ』の寅さんがサクラに度々公衆電話でかけるが、10円玉が足りず途中で切れてしまう。公衆電話にまつわる思い出は、昭和世代ならではのものだろう。
因みに公衆電話設置の最盛期は、1984年(昭和59)で約94万台も設置されていたようだ。しかし、85年に携帯電話が登場しその後スマートフォンが普及すると激減の一途である。
つい最近電話ボックスが目に入って来たのは冷たい雨が降る夜のことだった。イチョウの落ち葉が敷き詰められた路上に佇む電話ボックスを見て脳裏に過ったのが徳永英明の「レイニー ブルー」だった。リリースは1986年1月21日で、まさに公衆電話の最盛期に生まれた曲だったのだ。「雨」という天からの贈り物として生まれる物語は、心の琴線に触れる名曲が多い。人それぞれ、世代によっても違いがあるだろうが、レコード会社の「雨の日に聴きたい曲」のランキングで、「レイニーブルー」はかなり上位に入っている。リリースから30年以上経つのに色あせない。電話ボックスの電話機がダイヤル式というのが時代を感じさせるが、ハスキーで優しい独特の声質の徳永が迷う女心をさらっと歌い上げると、その情景が鮮明に浮かび引き込まれてしまう。強い決意で冷たい雨に打たれる主人公の幸福を願わずにいられない。
徳永英明は「レイニー ブルー」で彗星のごとく登場し、端正な顔立ちとスタイルでトレンディドラマにも出演していたと記憶しているが、彼の出発点を改めて知った。
福岡県柳川市に生まれたが、保険の営業マンだった父親の仕事の関係で小さい頃から引っ越しが多かった。「24歳までは好きなことをやれ25歳になったらブラブラしてはダメだ、そのあとは保険屋になれ」というのが、高校を卒業したが進路に迷っていた徳永にかけた言葉だという。中学生の頃聴いた井上陽水の「氷の世界」に衝撃を受け、音楽の道に進みたいと思うようになっていたが、それは漠然とした夢のようなもので、高校卒業後観光関係の専門学校に入学した。しかしすぐに辞めて、19歳の春に上京する。その後大阪時代の友人から、レコード・デビューの話を持ちかけられるが、実際は軽井沢でのひと夏のアルバイトだった。それではと、始めたのが故郷・柳川の〝アサリの干し物〟をメインにした珍味の販売だった。足を棒にして歩き回ったが契約はたった1件、青年実業家をめざすも1カ月半で挫折する。唯一軽井沢のアルバイト先で「レイニーブルー」の作詞の大木誠と知り合い、楽曲として完成しつつあった。音楽関係者の多いライブハウスや喫茶店でアルバイトしながらデモテープを渡すがなかなか目は出ない。歌手になる道の一つとして、俳優養成所のTBS緑山塾に入所したのは22歳のときだった。退所後は、尾崎豊もデビューライブを行ったロックの殿堂「新宿ルイード」で毎月ライブに出演した。チャンスが巡って来たのは85年8月の「第2回マリンブルー音楽祭」でグランプリを受賞してからだった。長い助走期間を経てシングル「レイニーブルー」とファーストアルバム『Girl』のリリースに漕ぎつけたのだ。紆余曲折を経て父との約束「25歳」の期限に間に合った。
それからの活躍は目覚ましい。4枚目のシングル「輝きながら」はアイドルの南野陽子が出演したフジカラーのCMソングになり大ヒット、オリコン4位を記録した。初の日本武道館コンサート、フジテレビ系ドラマ「悲しいほど好き!Mr.ダンディお嬢様に恋をする~」では初主演、そのほかサッカー番組の司会もする。自身の歌手としての活動や他の歌手にも楽曲を提供した。そんな過密スケジュールをこなす毎日、悪い生活習慣も相まって、歌っていて歌詞が出なくなるという異変が起こる。聞きなれない脳血管の難病「もやもや病」の発症だった。それでも1年10カ月ほどで「もやもや病」を克服し、レコード会社も移籍し活動を再開。よみうりランドで野外ライブ「赤い太陽の日」を開催するまでに元気になった。
徳永英明の仕事として触れておきたいのは、女性ヴォーカリストの曲をカヴァーしたアルバム『VOCALIST』が多くの人の支持されていることだ。1970年代から2010年代まで10年を1区切りとして、各アルバムに3、4曲を収録。日本レコード大賞編曲賞受賞の坂本昌之のアレンジで世界観が統一された「カヴァー曲」を一つのブランドにしたのである。「時代」(中島みゆき)、ハナミズキ(一青窈)、「駅」(竹内まりや)、「異邦人」(久保田早紀)、「シルエット・ロマンス」(大橋純子)、「秋桜」(山口百恵)などが『VOCALIST1』には収録されているが、徳永の癒しの声がエレガントで、大人のリスナーの心を痺れさせたのは言うまでもない。05年9月リリースの第一弾『VOCALIST』はアルバムチャート最高位5位、200週連続チャートインを果たした。これまで6枚の『VOCALST』をリリースし、NHK紅白歌合戦に連続10回出場しているが、10年はテレサテンの「時の流れに身をまかせ」、11年は中島みゆきの「時代」、12年は坂本九の「上を向いて歩こう」などカヴァー曲で出場している。
カヴァー曲を歌う徳永は、「リスペクトを込めて原曲に忠実に歌う」という姿勢だ。名曲を伝えるだけでなく、もっと人の心に届けようと、一曲一曲想いを込めた徳永の「カヴァー」は、原曲を知っている世代だけでなく新たな層にも拡がった。シリーズ統計500万枚突破も話題になった。しかし、近況では「過度の肉体疲労による過換気症候群」と診断されるなど、体調が芳しくないようだが、きっと新しいオリジナル曲、カヴァー曲で表舞台に登場するものと期待している。
徳永のカヴァーした小林明子の「恋におちて -Fall in Love-」にも、ダイヤル回して手を止めた女性が出てくる。ダイヤル式の電話は、〝昭和の遺物〟になってしまったが、「レイニーブルー」を聴きながら、公衆電話の思い出と一緒に初めて家に黒電話が入った日の喜びもよみがえってきた。
文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫 参考『半透明 徳永英明』著:佐伯明