墨田区京島で長屋を残す大家の真意とは? 「現代版の長屋を作ってみたい」
戦前から残る長屋が、都内で最も多いといわれる京島エリア。一体どんな人がかかわっているのか。話を聞かせてくれたのは、長屋を所有する1人の大家さん。「うちはちょっと変わっているから……」とのことだけど、どういうこと!?
お話を伺った人……深井輝久さん(右)
墨田区押上生まれ。地元で不動産投資、賃貸事業を営む4代目。この部屋は、お隣に座るラファエル・バルボアさん(左)に2020年から貸している七軒長屋の一室で、設計事務所とアートギャラリーになっている。
「なぜ残しているの?」って不思議がられる
明治通りに沿う壁のような七軒長屋。深井輝久さんが管理する物件の1つだ。「うちの物件はこの長屋のように、幹線道路に面した表側が中心なんです。経済効率を考えれば、普通なら高いビルを建てる場所だから、不動産屋からは『なぜ残しているの?』って不思議がられるんですよ」と、深井さんは苦笑する。
第二次世界大戦の空襲を免れた京島エリアは、戦前生まれの長屋も残る長屋密集地帯。関東大震災後の人口増加に伴い一気に増えたという。実は、それらを建てた大工というのがなんと深井さんの曽祖父。新潟県の長岡から大工衆を引き連れ上京し“越後三人男”の筆頭と称された人物で、大工仕事で地道に稼ぎながら土地を買い、不動産賃貸業を始めたとか。
「大工なのに大家? と珍しがられます。“表”の土地にこだわったのも曽祖父なんです。昔からの地主さんは“中側”の土地を広く持っていたので、うちは後発としていろいろ考えたのでしょう」
深井さんの長屋は1階で商いをし、2階に住む商店長屋が多く、完成当初から借り続ける住人がほとんど。
「『16歳で嫁に来て70年ずっとここ。あと少しだから居させて』なんて言われたらむげにはできません」
だが、近年は高齢で亡くなる人が増えた。建物も貸すのをためらうほど築古物件が目につくように。そこで、壊すことを考えている物件は定期借家という期限付きの契約にして「修繕はかなり必要だが、それでよければ相場より安く貸します」と、2010年より借り手をひっそりと募集。まず手を挙げたのは芸術家だった。
「私は長屋が特に好きというわけではないのですが、街づくりに関してはおぼろげに考えてきました。他所と同じビルだらけになるのはこの街には似合わない、街の個性が出るにはどうすればいいか……。その矢先、アーティストの方がアトリエ兼住居として入居してくれた。これは面白くなりそうだ! と街の活性化に期待が膨らみました」
自由にいじれること、作品作りに便利な土間があること、2階をシェアして住めることがアーティストには魅力だったそう。最近では学生も借りているのだとか。
「複数の大学の工学部の学生が集まってラボを作ったり、起業チャレンジの場として店を持ちたい人に1カ月ごとに貸し出したりする学生もいたり。今度、古着屋を始める学生6人組もいるんです」
借り主と何度も顔を合わせて話し合い、月々の家賃も集金するか直接持参してもらうケースが多いので「借り手と大家さんの距離がこんなに近いのは初めて」と不動産屋に驚かれるという深井さん。そんな“ちょっと変わった大家さん”が今、長屋の街について願うこととは?
「難しいですねえ。表通りの長屋を残すのはもはや現実的ではないと思っています。でも、なるべくなら街並みに残ってほしい。長屋の形状は住居としては今や適さないかもしれませんが、人が集まる場や商売には適していると思うんです。横とのつながりでコラボしたり、いろんなものが生み出されるんじゃないかと。それぞれの人が交わり共創できる建物として、現代版の長屋を作ってみたいです。それが京島らしさかもしれないですね」
取材・文=下里康子 撮影=高野尚人
『散歩の達人』2025年8月号より