<消えた義母>突然の失踪!私への置き手紙には…「探さないでください」託された思い【まんが】
私(リョウコ)は、夫のレイジと娘のマナ(小4)との3人暮らし。夫の実家の敷地内にある離れに住んでいます。母屋に住んでいるのは会社役員の義父(55才)と専業主婦の義母(57才)、そして認知症の義祖母(80才)と義弟エイタくん(22才)。私は仕事をしていることもあり、義実家とあまり頻繁な交流はありません。とくに偉そうな義父が嫌で、なるべく関わらないように過ごしています。ただ私たちにいろいろ気を使ってくれる義母のことは常に気に掛けていました。
たまに義母がおかずを作って持ってきてくれます。「いつもすみません。ウチはウチで適当にやるので、どうか無理しないでくださいね」「最近お父さんは帰りが遅いし、おばあちゃんも何食べてもあんまり覚えていないみたいだし、エイタも……ね」
ときには義祖母がデイサービスへ行く日に、私から義母を誘って一緒にランチへ行ったりしていました。そんなある日……。休日の朝、私がポストに新聞を取りに行くと新聞と一緒に茶封筒が入っていたのです。封を開けて、私は驚きます。
義母はとても優しい人でした。けれどいつもどこか疲れたような、満たされていないような顔をしていました。きっと結婚生活に不満を抱いていたのでしょう。私は何度かランチをご一緒させてもらいながら、ときどき義母の胸の内を聞いていました。だから最後の手紙を私に託したのだと思います。 レイジとともに手紙を持って母屋へ行くと、義父は冷たく言い放ちました。 「あんな奴、知らん。俺に断りもなしに勝手に出ていきやがった。まぁ行くあてもないし、早々に音を上げて帰ってくるだろう」と。 しかし私は、手紙と記入済の離婚届から「もう二度とこの家には戻らない」という義母の強い意志を感じていたのでした。
呆れた義父「俺のメシは?」自分でやれ!娘も心配して「逃げようよ……」
義父は義母のスマホに何度も電話をしますが、電源が切られているのか繋がりません。妻がいなくなったというのに、高圧的な口調の義父。優しい義母はこれまで、認知症の義祖母や引きこもりの義弟の世話を一手に引き受けていたのです。
妻が自らの意思で出ていったというのに、自分の心配しかしていない義父。私を呼びつけて朝食の準備をさせようとしましたが、私はレイジとともに義実家をあとにしました。自宅に戻ると、マナが心配そうな顔をして待っていました。
きっと義母は「自分がいなくなったら、夫が追いかけてきて連れ戻そうとするはず」と考えていたのでしょう。だからこそあえて手紙に「探さないで」と記したのかもしれません。 「二度とこの家には戻らない」という義母の強い意志を感じました。 義母がいなくなったことに娘のマナはショックを受けたようで、私に「逃げよう」と提案してきます。 日中は仕事で家にいない私たちよりも、マナの方が義母の様子をよく見ていたのかもしれません。 娘の心を傷つけてまで、ここにいる必要がないことは分かっています。 けれど義母に「任せます」と言われた以上、私は任務を果たさないといけない……そう思うのでした。
【義母の気持ち】同居をはじめてから地獄の日々!離婚がよぎるも妊娠し……
私(サチコ)は会社役員の夫(トオル・55才)と姑(80才)、次男エイタ(22才)と4人で暮らしています。離れには長男のレイジ家族が住んでおり、孫のマナちゃんは目に入れても痛くないほど愛しい存在です。夫と結婚したのは今から30年以上も前。子宝にも恵まれ、専業主婦としてずっと家族を支えてきました。でも……確かに幸せな日々もあったはずなのに、もう思い出せません。私は何のためにこの家にいるのでしょうか……。
舅が亡くなったとき、私たちはそれまで住んでいた離れから母屋に移ることになりました。夫には「このまま離れにいたい」と伝えたのですが「決定事項だ」と押し切られました。姑と同居をはじめてからは本当に地獄のような日々でした。
私はもともと争いごとが嫌いな性格です。姑にはなにかと実家の母のことを持ち出され、それ以上言い返せずにいました。夫に言っても「俺の大切な親を悪者にするなんて、どれだけ卑怯な人間なんだ」と責められるだけ。離婚もよぎりましたが……。
姑も舅が生きていた頃は嫌味を言うこともありませんでした。それなのに舅が亡くなってからは夫に執着するようになり、私を悪者にしてばかり。何度も離婚が頭をよぎりましたが、実家の母に心配をかけたくなかったため、私は必死で耐えていたのです。 辛いことがあると、必ず私は母の顔を思い出します。この結婚を心から喜んでくれた母の期待を裏切ってはいけない。あることないこと吹聴されて、母までが嫌な思いをするのは耐えられない。そう思うと私は母にも相談できずにいました。 そんなとき妊娠が分かったのです。子どもが2人になれば、ますます離婚なんて簡単にできないでしょう。私は腹をくくって、子どもたちが成長するまでは絶対に耐えてみせると心に誓ったのでした。
逃げ場ナシ!姑と夫からの罵声に耐え「ガマンガマン!」
レイジが中学生、エイタが5才の頃に、実家の母が亡くなりました。心配をかけたくない一心で、最後まで母に本当のことは言えませんでした。母はきっと、私が幸せだと思って亡くなったに違いありません。しかし悲しみに暮れる私に姑は……。
「この家から逃げたい」何度もそう思いました。けれど頼れる実家もない、きょうだいもいない、職もない。そんな状況で子どもを2人抱えて家を出たところで、生きていくことはできないでしょう。そうして耐え続けてきたのですが……。
子どもたちを連れて、この家から出ていきたいと何度思ったことでしょう。でも、できなかった。経済力に不安があり、子どもたちに苦労をさせてしまうことが目に見えていたからです。だから夫に分かってもらえなくても、姑に何を言われても、母が亡くなって孤独を感じても、私は必死で耐えてきました。 そして社会人になったレイジは無事に巣立っていき、あとはエイタだけ……。そんなふうに思っていたところに、エイタが不登校になってしまったのです。部屋に引きこもり、頑なに学校に行こうとしないエイタ。夫も姑もすべてを私のせいにして、罵声を浴びせてくるようになったのでした。
ツラい生活に灯った光!やさしいお嫁さんに本音がポロリ
エイタが部屋から出てこない以上、私がこの家を離れることはできません。今のエイタには、心を回復するための時間が必要なんだ……。私は姑の介護をしながら、夫からの罵声に耐えていました。レイジはそんな私をいつも心配してくれました。
孫のマナちゃんの成長は、私を癒してくれました。リョウコさんは私とは違い、仕事に一生懸命で子育ても頑張っていてキラキラ輝いています。姑がデイサービスで不在の日、リョウコさんはときどき私を美味しいランチに誘ってくれました。
姑は認知症になり、介護が必要な状況になりました。私は夫に言われるがまま姑の介護をしながら、エイタが立ち上がる日を待っていました。そんな日々に届いた明るい話題が、レイジの結婚だったのでした。 リョウコさんは明るく聡明な人。何かにつけて私を心配してくれ、孫のマナちゃんが生まれても育児と仕事を両立して頑張っています。この家に嫁いだ同じ「嫁」という立場なのに、どうしてここまで私と違うのだろう……。リョウコさんと話をしていると私の心は軽くなります。私はこれまで誰にも言えなかった本音を、思わず口にしていたのでした。
「自分の思うように生きてほしい」お嫁さんからの励まし
「お義母さんの人生は、お義母さんだけのものですよ?」力強く語ってくれるリョウコさん。彼女はとても信頼できる女性です。レイジが結婚して戻ってきてくれたことで、味方が増えたようで心強く感じていました。しかし、そんなある日……。
引き出しの奥に手を入れてみると、写真や手紙、そして小さな子どもが描いたと思われる絵など……。 「おとうさん、だいすき」と夫の似顔絵を描いているのは、レイジでもエイタでもありません。全身の血の気が引いていくのが分かりました。
リョウコさんの言葉は、いつも私を安心させてくれました。でも私にはこの家を出ていく勇気がありません。エイタのことや姑のことを言い訳にしているけれど、結局は自分ひとりで出ていくのが怖かったんだと思います。出ていきたいけど出ていけない、それが私の現状でした。 しかしそんななか大事件が起こるのです。なんと夫が不倫をしていたことが発覚。写真や手紙の内容、そして子どもの成長具合を見るかぎり、おそらく10年近く同じ女性と不倫をしているのでしょう。このことを夫に確かめないと……そう思ったのでした。
不倫!隠し子まで!「ひとりなら生きていける」私の決意
次第にぶつけようのない怒りがふつふつと湧いてきておさまりません。砕けたガラスを見つめながら、今まで耐え続けてきたことが走馬灯のようにめぐり、涙が止まりませんでした。怒りに満ちた涙の先で、ふとリョウコさんの言葉が頭をよぎります。
心残りなのは、認知症の姑と引きこもりのエイタのこと。姑の世話をどうするのか、エイタがこれからひとりで生きていけるか……。レイジ一家には迷惑をかけてしまうかもしれません。しかし私はリョウコさんの力強い瞳を思い出します。
夫の不倫が分かってからの自分の行動は早かったです。迷いが一気に晴れて、「出て行く」以外の選択肢はありませんでした。私はずっと思っていたことを、はじめて実践したのです。何で今まで行動できなかったんだろうと思うほどです。 もう慰謝料とかそんなものはどうでもよくて、ただただ二度とこの家には戻ってきたくなかった。きっと私がいなくなっても、リョウコさんなら何とかしてくれるはず。彼女にすべてを託しました。リョウコさん、ごめんなさい……。でもきっとあなたならできるはずです。どうか……どうか探さないでください……。私はポストに向かって一礼すると、二度と戻ることはなかったのでした。
【私の気持ち】押し付けじゃない!苦労してきた義母が「任せます」込められた思いは?
ある日、義母は私宛の手紙を残して姿を消したのです。私は義母のために何ができるのでしょう。
義母は自分が介護で苦労をしてきた人です。私たちが義実家の離れに住むことが決まったときも「本当にいいの?」と何度も確認してきたのです。「別に離れに住まなくても、他にもマンションとかあるでしょ。そっちの方がいいんじゃない?」
レイジはずっと義母のことを見守り、義母が自分の足で立ち上がる日を待ち望んでいたのです。そして義母がいなくなってから数日。夫が頻繁に駆り出されていましたが、手が回らなくなったのでしょう。とうとう私が義父から呼び出されました。
出ていった義母から連絡が入ることはありませんでした。今どこで何をしているのかもわかりません。義母がいなくなった義実家では特に、認知症の義祖母の世話が大変だったようです。夫も駆り出されていましたがなかなか仕事との両立は難しかったようで、とうとう義父から「話がある」と私が呼び出されてしまいます。 義父の話の内容は、おおかた予想がついています。義祖母の介護のことでしょう。 しかし義母が最後の手紙に託した「おばあちゃんとエイタのことは任せます」という言葉は、私に介護をしてくれという話だったのでしょうか? 義母の人柄を考えれば、私はそういう意味ではないだろうと思っています。
義祖母の介護を強要する義父へ「お断りします」今までの思いぶちまけろ
義父は私たちに母屋へ引っ越し、義祖母の介護やエイタくんの世話をするよう言ってきました。しかし私は義父の言葉をさえぎるように、「施設に入ってもらいます」と返します。義母がいなくなってから、私はいろいろ調べて資料を揃えていたのです。
「おばあちゃんの面倒を見る義務は嫁にはありません。もっと言うなら、エイタくんの世話をする義務なんてもっとありません。やらないといけないのは、あなたです」私が義父に向かって言うと、レイジがその先の言葉を続けます。
案の定、義父は義母が今までしていたことをすべて私に押し付けてきたのでした。断れなくて我慢しつづけた義母。その選択がどうだったかを私が判断することはできません。けれど私のことを心配して「逃げよう」と言ってくれる娘のためにも、私は逃げる必要がないことを示したかったのです。 義父は、凝り固まった考えを感情的に押し付けてきます。こんな愚かな人をおそれる必要はありません。私は冷静に、自分たちが置かれている状況や今後の対策について話します。一方でレイジは昔から父親に思うところがあったようで、これまでの想いが溢れてきたかのように訴えかけていました。
夫「母さんは父さんのことを捨てたんだよ」呆然とする義父……無能すぎ
義母はこれまで子どもを守るために最善を考えて行動してきたのでしょう。私は責めることはできないし、する資格もありません。しかしようやく義母は気付いたのです。これからの人生、自分ひとりだけだったらどうにでもなるということに……。
レイジは義父にきっぱりと言い放ちました。「母さんは……ここから『逃げた』んじゃない。父さんのことを『捨てた』んだよ」呆然としている義父をのこし、私たちは義実家を後にしました。マナは出て行った義母のことを心配しています。
義父は呆然としていました。「妻は逃げ出した、根性ナシだ」くらいに思っていて、まさか自分が捨てられたとは微塵も感じていなかったのでしょう。現実を突きつけられて見えてきたものは、義母がいなければ今の生活を維持することすらできない自分の力量だったのかもしれません。 しかし今さら義父が後悔しても義母は戻ってこないし、以前の生活は二度と手に入りません。夫いわく「父さんが反省することはない」とのことですが、これからの寂しい老後に、じわじわボディーブローのように自分のやったことのしっぺ返しを実感すればいいでしょう。 逃げる勇気も、逃げずにしっかり言うべきことを言う勇気も、両方マナに見せられてよかったと思います。明日さっそく、役所に義母の離婚届を提出しに行くつもりです。
私たち家族は新居へ!信頼もお金も家族も……すべてを失った義父は……?
その後、レイジは義実家に行っては義父と話し合いをしていたそうです。義祖母を施設に入居させ、不倫相手からは慰謝料を請求され……。偉そうにふんぞり返って「金ならある」と豪語していた義父は、なにもかも失うことになるようです。
エイタくんも少しずつ動きはじめたようです。「何か動かないと自分の現状を打破できないって……何となく思ったんじゃないかな。母さんの姿を見てさ」そして今、私たちはここから引っ越しをするため家を購入する計画を立てています。
最終的に義父には家族も信頼もお金も、何ひとつ残りませんでした。義祖母が長生きすればするほど施設の費用がかさむため、ブツブツ文句を言っているそうです。義祖母自身も、施設には誰もお見舞いに来ず、最愛の息子には長生きすることを疎まれながら生きる……そんな余生を過ごすことになってしまったようです。 義母からまだ連絡はありません。義父が一方的にスマホも解約してしまったので、私たちから連絡をする術は断たれてしまいました。でも元気でいてくれているなら、それでいい。もし連絡があれば、笑顔で出迎えよう。そう思っています。