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「マンガ作品にとって『わからない』は一番アウトなんです」──誰もがアツくなる自転車競技マンガの金字塔『弱虫ペダル』コミック100巻刊行記念! 渡辺 航先生ロングインタビュー【前編】

アニメイトタイムズ

写真:アニメイトタイムズ編集部

渡辺 航先生による漫画『弱虫ペダル』(『週刊少年チャンピオン』連載中)。TVアニメが第5期シリーズまで放送されているほか、劇場アニメ化に加え、ドラマ・舞台・実写映画など様々なメディアで展開されている人気作品です。

そんな『弱虫ペダル』のコミックス100巻が、2026年5月8日に遂に発売! 記念すべきその瞬間を祝して、アニメイトタイムズでは渡辺 航先生にロングインタビューを実施。前後編に分けて、先生のお話をたっぷりとお届けします。

前編では、コミックス100巻に到達した感想や『弱虫ペダル』を描き始めた経緯、そして先生のお気に入りエピソードを語っていただきました。

【写真】『弱虫ペダル』渡辺航 単行本100巻刊行記念インタビュー【前編】

「とにかく出し惜しみも後悔もしないように」

──2008年に連載開始の『弱虫ペダル』が遂に100巻を迎えます。率直なご感想をお聞かせください。

渡辺 航さん(以下、渡辺):100巻を目標にして描いてきたわけではなかったのですが、坂道くんが3年生になって、物語も3回目のインターハイの最中。その途中に節目が来たなという感覚です。

僕は毎週全力で描いています。例えば来週、編集長に連載終了を告げられてもいいように、とにかく出し惜しみも後悔もしないように描いていますが、80数巻あたりから「もしかしたら100巻に行くかも!?」と。3回目のインターハイが始まったのは90巻だったので「これはさすがに100巻行くな」と確信しました(笑)。

──スピンオフ作品の『弱虫ペダル SPARE BIKE』を加えたら、既に100巻超えしていましたね。

渡辺:そうですね。87巻あたりで、トータルで100巻にはなっていました。それでいえば『ドカベン』や『浦安鉄筋家族』、『刃牙』シリーズ、『ジョジョの奇妙な冒険』もトータル100巻行っているんじゃないかという問題はありますけど(笑)。振り返ると「すごい山を登ってきたな」という感覚はありましたが、常に前だけ見て、全力で走っているだけです。

──チャンピオンで、単行本が100巻に到達した作品は『弱虫ペダル』が初めてですよね。

秋田書店担当編集:「(シリーズを変えず)同一タイトルで」という条件だと、同じ秋田書店のレディースコミックスデラックスから刊行している『いのちの器』が4月に100巻を迎えましたが、少年チャンピオン・コミックスでは『弱虫ペダル』が初めてです。

渡辺:100巻超えている作品は20タイトルあるという話を聞いていますが、『ペダル』は22作品目になるんだ!?(笑)

──ここまで連載が続くと想像されていましたか?

渡辺:実は3話目を描いている途中で「自転車を描くのが面倒くさいから早く終わらないかな?」と思っていました(笑)。

──確かにキャラクターたちが乗る自転車のディテールが細かいですし、レースになったら大変そうですね。

渡辺:人間と自転車を合わせて、かつペダルを踏んでいる雰囲気や進んでいるニュアンスを表現するのが実は大変で。俗に「マンガと自転車は相性が悪い」と言われるくらい、難しいんです。

荷重を掛けて自転車が少し斜めになって、その反対側にまた荷重を掛けるという動作を人間は普通にやっていますが、それを絵として描いて動かすのは大変で難しい。でもさっきお話しした第3話の山を越えてみたら段々描きなれてきて「これなら描けるかな」と思えるようになりました。

──自転車の細かい描写に加えて、ロードレースの臨場感や迫力を表現する難しさから『弱虫ペダル』のような作品はほとんどありませんでした。その風穴を開けたのが渡辺先生だったのかなと。

渡辺:マンガ的な手法でいえば、例えばサッカーマンガではキャラクターがゴールに向かって走っているのか、または逆向きに走っているのかを表現するのは難しいんです。だからサッカー中継ではメインスタンド側とバックスタンド側の画角の入れ替えはなく、同じ方向の画角しかない。だから右と左で攻撃と防御が視聴者もわかるようになっています。

ロードレースはゴールの方向に真っすぐ進むだけで、主人公たちが走っている先にゴールがあるので、レース描写はわかりやすくなっています。そして実際のロードレースでも並走する人とコミュニケーションをとってしゃべることもあるので、自分が描いてみて感じたのはマンガに向いているかなと。自転車と人間を合わせて、読者の方が違和感なく、自転車のペダルを漕いでいるのを理解させられる絵が描ければ、マンガの題材に向いているなと思いました。

──レース中のひとコマを描くのは相当時間がかかるのではないでしょうか?

渡辺:僕も自転車に乗りますし、レースにも出場するので、「ここにこの部品がないのはウソだ」や「この部品は膝の向こう側に見えているはずなのに、見えないのはおかしい」という違和感がわかるんです。ロードレースの経験者ゆえに労力と時間がかかってしまうところはありますね(笑)。

──そうすると、担当編集の方からリテイクが出されるというよりも、ご自身で気付き修正することが多いのでしょうか。

渡辺:歴代、様々な担当編集の方がいらっしゃいましたが、絵で「ここがおかしいよ」と言われたことはありません。むしろ「絵は任せてください。僕がちゃんとやりますから」という感じでした。

新しく僕の担当編集になる方に、お願いしているルールがひとつだけあります。絶対に「自転車には乗らないでください」と。

──というと?

渡辺:例えば「体でぶつかり合うのは普通」という、ロードレースの常識を当然僕は理解しています。でもロードレースはマイナースポーツなので、読者の方のほとんどはわかっていないはずなんです。なので僕が当たり前だと思って描いたことに対して「このシーンの意味がわかりません」と言ってほしい。いわば常識ラインが欲しいんです。

ロードレースや自転車にハマってしまうと、持っている常識が僕のほうに近づいてきてしまうので困るんです。もちろん「基礎知識は知っていて問題ないけれど、ものすごくのめり込んだり、本格的に自転車を始めるのは我慢してください」「それをするなら担当をはずれてから楽しんでください」とお願いしています。

──ロードレースを知らない人たちも『弱虫ペダル』の世界にスムーズに入れた理由がわかりました。

渡辺:あと、一番最初の担当さんと決めたルールもありました。ママチャリ(カゴが前についている婦人用ミニサイクルから派生した軽快車)に乗っている人でもわかる自転車マンガにしましょうと。

自転車は奥が深いんです。だから掘り下げていくとおもしろいけど、そうすると多くの読者を置き去りにしてしまいます。自転車に限らず、詳しい人が「すごくおもしろい!」というマンガって、あまり広がっていかないと思うんです。普段ママチャリに乗って遊びに行ったり、買い物をしたり、通学・通勤したりしている人も「おもしろい」と思えるマンガを目指しています。

自転車マニアの方以外にも手にとっていただけるように、基本的にはスピードの数字も出していません。「何回転で、ギアがいくつか」がわかるとスピードも計算できるので、ギアの段数も描かないようにしています。

──時速の表記がノイズになってしまうこともある、と。

渡辺:時速30キロを速いと思う方もいらっしゃる一方で、車を運転する人は遅いと感じます。時速という概念は受け取る側によって、イメージが変わってしまうんです。伝えたいのは数字ではなく、速さ。だから僕は作品の中で観客に「速い!」とか「このスピードであの坂を登るのか!」と言わせるんです。それによって、スピードが上がっていることだけ伝わればいいなと。

──そこまで考えられているからこそ、ロードレース未経験の方たちも自転車やロードレースの専門用語や知識の難しさに脱落することなく、人間ドラマに感情移入できるのですね。

渡辺:ありがとうございます。ロードレースのことを好きになってほしいし、わかってほしいと思っているけれど、それはこの作品からロードレースにも興味を持って学んでくれればいいと思っています。

まずはエンターテイメントとして読んでもらう、楽しんでもらうことがマンガを描くにあたって最初にやらなくてはいけないこと。マンガ作品にとって「おもしろい」「つまらない」は読んでもらった上での感想ですが「わからない」は一番アウトなんです。理解不能なジャマ要素は極力排除して読んでもらえたら嬉しいですし、更に「おもしろい」と言ってもらえたら、もっと嬉しいですね。

「週刊連載ってライブなんだ」

──連載を長く続けていく秘訣はありますか?

渡辺:『ペダル』を描き始める前に週刊連載をしていて、毎週16ページ描いていましたが、「これ以上ページを多く描けないな」と思ったんです。だけど、週刊連載をしている友人にいろいろな話を聞いたら、「大事なことは入口と、見せ場とヒキだよ」とアドバイスをしてくれました。それを聞いて僕も「なるほど」と納得したんです。

『ペダル』の連載を始めるにあたっての編集さんとの話し合いで「18ページか20ページで」と提案してもらった時、少し弱気になってしまって18ページかなと思いました。でもその後「見せ場でどんと見開きを使えるのなら20ページのほうがいいかな」と思って、最終的に20ページでお願いしました。本当に20ページの連載ができるのかドキドキしましたが、描き始めてみたら意外とできたんですよね。

それまでは読み切りスタイルのマンガが一番美しいと思っていましたし、読み切り形式のマンガを描きたいという想いがありました。物語の最後にヒキがあって「次回をお楽しみに!」みたいなパターンはあまりやったことがありませんでしたが、『ペダル』で挑戦してみて「これはおもしろいな」と思いました。

──週刊連載ならではの感覚といいますか。

渡辺:テーマを提示し、みんなで解決していった最後に「これってどうなの?」と逆側に光を当て、「本当だね」と言わせるように引く。次にまたテーマをもんでいくと、別の問題が出てきて「どう解決しよう?」とみんなでワーワーやっていく……そんな展開もおもしろいなと思ったし「週刊連載ってライブなんだな」と思いました。

──熱くて、友情もあって、みんなで一丸となって勝利を目指すという少年マンガのお手本のような作品ですね。

渡辺:ありがとうございます。……某S社の某J誌のマンガ教室で、参考書にされているというウワサだけ聞きました(笑)。あくまでウワサですが。

──(笑)。連載が始まってからの反響はいかがでしたか?

渡辺:昔も今もイベントに行くと「先生のマンガを読んで、自転車を始めました」とよく声をかけられます。連載を始めて長くなるので、ロードレース界でも「野球をやっていましたが、このマンガを読んで自転車を始めました」と言ってシマノレーシング(※)の選手になった人もいます。

※世界中に自転車や部品を販売しているアウトドアメーカー。ロードレースチームも保有している。

渡辺:その選手は今、競輪養成所に入って、もうすぐ競輪選手になります。他にも「自転車を夫婦で楽しんでいます」「自転車関連で仲良くなった女の子と結婚します」など色々なエピソードが届きますね。

あと「鹿児島に住んでいたけれど、宇都宮で大きなレースがあると聞いた」「『ペダル』の世界を見たくなって宇都宮でレースを見た夜、ご飯を食べていたところで知り合った人と結婚して、今宇都宮に住んでいます」とか。本当に嬉しいですし、ありがたいなと思います。

──サッカーの世界でも名選手のメッシやネイマールなど『キャプテン翼』に憧れてサッカー選手になったように、『ペダル』を読んでいた方が、世界最高峰のロードレース「ツール・ド・フランス」に出場する日も遠くない気がします。

渡辺:そうなったら嬉しいですね。先日、取材で「ツール・ド・フランス」に行った時、18歳くらいのフランス人の男の子が、僕が着ていた坂道くんがプリントされたTシャツを見た瞬間「そのキャラクター、知ってるよ」と話しかけてくれて。「僕が作者なんだよ」と話したら最初は信じてもらえなかったけれど、丁寧に説明したら「すごいね! 僕はそのマンガを読んで自転車を始めたんだ」と。フランスにもちゃんと作品が届いていて、そう思ってくれる人がいるのかと思って嬉しかったです。その人がプロになってくれたらいいですね。

──ありがとうございます。次にここまでの連載の中で、特にお気に入りのエピソードを教えてください。

渡辺:ひとつめはコミックス4巻。坂道くんが「ヒメッ!」と叫んで、今泉くんと勝負をしたシーンです。担当さんと打ち合わせをした時に「最終回を描いていいですか?」という話をしました。「坂道くんが今泉くんを抜いたらもう最終回じゃないかな」と。

マンガの文法的なところで言えば「ロードレースの強い人にはかなわなかったけれど、尊いものを得ました」という話にしてもいい。でも僕の中でそれはつまらないなと思ったし、夢がないなと感じたんです。坂道くんにはやっぱり勝ってほしいし、鳴子から根性注入をもらっているので勝ちたいなと。なので「どうやったら勝つかな」と考えながら描いていましたが「ヒメッ!」って叫んだ瞬間に「これは勝ってもいいだろう」と思ったんです。「これ、もう最終回じゃん!」って(笑)。

鳥山 明先生の『ドラゴンボール』で「最終回じゃないぞよ」「もうちっとだけ続くんじゃ」という伝説のセリフがありますが、僕もあのシーンを描いた時「もう少し続くんじゃよ的なヤツだな」と思いました。「もうすぐ終わるかもしれない」と思いながら描いていましたが、坂道くんが勝ったらまた次の扉が開いて、彼が進むべき道がどんどんできてきました。

「それはあなたが描いたものでしょ?」と言われるかもしれませんが、週刊連載はライブなんです。気持ちをのせて描いていたら坂道くんが「ヒメッ!」と叫んでくれたので、彼が自らの足で扉を開いたんだなと。彼の魂の叫びが、彼が好きだった「恋のヒメヒメぺったんこ」にすべて集約されて、それがドカンと出てきた。その時に「これは勝ってもいいだろう」と思えたし、僕自身も坂道くんが勝ってよかったと思いました。

──『弱虫ペダル』と同じく「週刊少年チャンピオン」で連載されていた名野球マンガ『ドカベン』を描かれていた水島新司先生も描いていたらキャラクターが構想とは違う行動をしていたと話されていたエピソードがありますね。

渡辺:水島先生がシーンの説明を求められて「キャラクターがやるんですよ」のようなことをおっしゃっていた記事を見て「そんなわけないよな」と思っていました(笑)。でも描いているとそういう現象が起きるんです。僕もそのスイッチを入れながら描いているところがあって。

キャラクターを動かしてみないとわからないし、担当編集の方と打ち合わせして「それ、いいですね!」と双方納得したのに上がってきたネームがまったく違うものになっていることもよくあります。僕も気持ちが入ってしまうので「こっちでやってみたいんですけど、いいですか」と。

コミックス5巻に掲載されている真波山岳が登場するシーンも、編集さんから「すごく悪いヤツにしてください」と言われたんです。僕も「そうですね」と承諾してから描き始めたのですが「坂道くんのライバルで、登りが好きなヤツに悪いヤツがいるわけないじゃん」という気持ちになって。完成した真波山岳は打ち合わせとは違うキャラクターになっていましたね。

──自転車をしている人間に悪い人はいないという芯の考えがあるのですね。

渡辺:僕はそう思っているし、イジメがある世界はすごく嫌なので。せめて自分のマンガの中だけはイジメのない世界にしたいという、ある意味、僕の理想の世界を描きたいという想いがあります。

それは、別にきれいな世界を描きたいというわけではないんですね。相手をうらやましいと思う気持ちもあるし、アイツを負かしたいという気持ちもある。ただ色々な人間の感情があるけれど、それを不条理な暴力に持っていってほしくないと願っているし、描きたくないと思っています。なので作品の中には盗人も悪いことをする人もいません。

こんな世の中ですから、マンガの中くらいは理想の世界に入りたいじゃないですか。だから苦しいこともあるし、大変な努力をしなくてはいけないけれど、それがちゃんと報われるように。『ペダル』でいえば、闘いたい相手と闘えるような状態を作ってあげたいなと思っています。

その結果、みんな良い人になっています。御堂筋くんも何を考えているのかわからないヒールポジションですが、彼がやっていることは悪いことではないんですよね。すごく頑張り屋さんで、勝利に真っすぐなだけなんです。今泉くんに「お母さん、ミニバイクで事故ったらしいよ」というような時折ウソはつきますが(笑)、レースの最中なので、彼の発言を信じるか、信じないかはあなた次第ですという演出で描いています。

──そうして魅力的なキャラクターになっていく、と。

渡辺:そうですね。……御堂筋といえば、9巻での登場は編集さんとの打ち合わせで「完璧サイボーグ人間みたいな人にしましょう」という話をしていたんですよ。でも描いてみたら「ハコガクぶっ潰します」という人が出てきて、段々とおもしろくなってきました。

この週刊連載というライブの中で、とても大事にしているのが「悪ふざけ」なんです。

──「悪ふざけ」ですか?

渡辺:「のってきて、こちらの方向に行きそうな時にブレーキをかけるなよ」という意味ですね。例えば御堂筋を描いてみておもしろいなと思ったので、一旦ブレーキをかけずに描き切ってみました。編集さんに見せて、結果として「違う」と言われて僕も納得すればキャラクターを変えます。御堂筋はその典型的なキャラクターで描いて動き出したら「強いキャラが出てきたな」と思って、おもしろくなってどんどん描いていきました。

──御堂筋の圧倒的な強さに絶望感さえ感じていました。

渡辺:たくさんの読者の皆さんにも同じように言ってもらえます(笑)。そこまで強いキャラクターと思ってもらえるのは嬉しいです。

「ティーブレイクしてたんだよ!!」誕生秘話──「どうひっくり返せるのか考えました」

──あとふたつ、お気に入りのシーンを挙げるとしたらどこでしょう。

渡辺:随分絞りますね(笑)。そうすると、12巻の巻島と東堂のクライマー対決です。ちょうど100話あたりで決着が着く予定でしたが「100話に主人公が登場しなくても大丈夫かな?」と心配だったんです。

でも巻島と東堂が本気の闘いをしているので、これを縮小するのは違うなと。「そろそろ100話なんだよな……」と思いながら描きつつ「ヤバい! 100話に主人公が出てこないわ」と(笑)。結局、3年生のハイタッチで終わりました。

──作品としてはメモリアルな瞬間ではあったものの、ですね。

渡辺:もちろん「これはダメでしょ!」と僕も思いましたよ(笑)。でも二人の戦いをしっかり描かないわけにはいきませんから。でも100話が掲載された後、読者の方から「よかったです」という声をたくさんいただいたので、二人の闘いを描き切ってよかったと思いました。

あとひとつは……15巻の新開さんが御堂筋にバキュンポーズを決めたシーンもそうですし、18巻の御堂筋のお母さんのエピソードもそう。39巻で手嶋が勝利目前だったのに、真波の自転車のチェーンの修理が終わるのまで待っていて「ティーブレイクしてたんだよ」と言ったシーンもお気に入りです。

32巻の杉元と鏑木の激しいバトル、そして終わった後の杉元の涙もそうですね。ゴールした時に杉元が「勝ったよね」と確認したらみんなが難しい表情をしている後ろで、鏑木が「よっしゃ!」と喜びをあらわにしていて。その時に自分が敗れたのを知って、毅然とした表情で「しかたないね。これがルールだから」と言いながらクールダウンしに行って、誰もいないところで号泣する……。このシーンは描いている僕も、何とも言えない気持ちになりました。

2年生なのに1年生とレースすること自体、特別対応だったのに、そこまでしても残れなくて。人前で涙を見せないのは最後のプライドでした。僕もそうだし、読者の方もそうだと思いますが、世の中には表彰台に上がったことがなかったり、レギュラーになれなかった人が多いと思います。レギュラーに選ばれなかった悔しさを表現できたので、好きなシーンです。

──やっぱり好きなシーンは絞り切れませんね。

渡辺:ここで真波と手嶋の対決について、もう少し話していいですか?

真波を手嶋がどう倒すのかという話で、坂道くんが、勝負が終わった後に倒れる手嶋さんを受け止めて助けるのですが、あのシーンは最初なかったんです。

最初の構想では、手嶋さんが頑張っているところに坂道くんが追いついてきて「変わります!」と言って、坂道VS真波の闘いが始まるはずでした。なので後ろから坂道が追いかけてくる展開でしたが、手嶋がすごく頑張っていたから、ここで坂道とスイッチするのは違うなと。手嶋さんに闘ってほしいという気持ちになったんです。そして考えたのが手嶋さんが真波にどう肉薄するか……ギリギリの勝負にならないとおもしろくないですから、真波の圧倒的な強さと手嶋が圧倒的に弱いという状態をどうひっくり返せるのか考えました。

真波が常に「手嶋さんも頑張るじゃないですか?」という感じで、手嶋をずっと安く値踏みしながら闘っていましたが、ここまで使ってこなかったメカトラ(メカニック・トラブル)のエピソードを描き合わせることができるなと思い浮かびました。

渡辺:実際のロードレース「ツール・ド・フランス」でも、トップ同士のギリギリの戦いの時にメカトラがあったのに、前を走っている人は気付かなかったのかという論争もよくある話です。メカトラがあった時、前を走っている人が待ってあげるのが正しいけど、気付かなかったら行ってもいいという不文律があります。手嶋は全力だったから気付かなかったのでそのまま行けるけれど、観客の「振り返るなよ」の言葉に反応してしまい、真波のメカトラを知ってしまう……。手嶋は足を止めて、真波がレースに復帰するのを待ちます。だいぶ遅れてやってきた真波から「何やっていたんですか?」と尋ねられた手嶋が「天気がよかったからティーブレイクしてたんだよ」と返す。

このエピソードが『週刊少年チャンピオン』に掲載された後、秋本(治)先生(『こちら葛飾区亀有公園前派出所』など執筆)に集英社のパーティへ招いていただいて、帰りのタクシーでご一緒させていただきました。そこで「手嶋の『ティーブレイクしてたんだよ』ってよかったね」と言っていただいて。心の中で「読んでくれているんですか!?」という驚きと喜びがありました。秋本先生の娘さんが『弱虫ペダル』が好きで読んでくださっているそうで、その影響もあるかもしれませんが、秋本先生からほめていただいた瞬間、動揺しながら「ありがとうございます!」とお礼をしたのを覚えています。

勝負が決した後、真波からの「何であの時、止まってくれたんですか?」という質問に「俺は自転車が好きだからな」と言って手嶋は倒れるけれど、坂道のヘルメットが道路の向こうから見えてきて、坂道が受け止めて「一緒に走りましょう」と助ける。「坂道を走らせておいてよかったな」と思いながら描きました(笑)。

──手嶋と真波の名勝負にはそんな秘話もあったのですね。

渡辺:もちろん最初に流れや結論を考えますが、キャラクターが裏切って、もっと良いシーンになってくれました。

キャラが裏切るという意味では、その前の鏑木と銅橋のスプリント対決も最初は鏑木が勝つと思っていました。そう思いながら描いていたら箱根学園の人たちが「銅橋さん!」と熱い声援を送っているんです。それほど部員に愛されて、努力もしているヤツが勝たなくてどうする?と思って、銅橋が勝ちました(笑)。

逆に鏑木はあの勝負に負けて、総北の補給係の人たちに「見てたぞ」と言ってもらえる。彼の覚醒のチャンスになったと思って、いいエピソードが描けたなという手応えを感じました。

渡辺:あとはですね……まだまだ止まらないな(笑)。

94巻、3回目のインターハイの1日目──(後編へ続く)

【インタビュー:永井和幸】

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