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峰島こまき、私の新章のタイトルは「私はアイドルが好きだ」

Pop’n’Roll

峰島こまき、私の新章のタイトルは「私はアイドルが好きだ」

表現者として新たな活動に臨んでいる人物の現在地に迫るインタビュー連載「new chapter -私の新章-」。

第3回目に登場したのは、今春立ち上がった芸能プロダクション『NRC PRODUCTION』への所属を発表した峰島こまき。今春ナナランドを卒業し、芸能活動から離れていた峰島は、これから新しい環境で、どのような姿を魅せていこうと考えているのか。

峰島こまきが、これまでの活動と、タレントとしての新章への想いを語る。

・峰島こまきの写真 10枚

編集協力:竹内伸一

成長が見られるアイドルの典型だったのかな

――峰島さんのキャリアを振り返ると、やはりナナランドでの活動が大きかったと思うのですが、ナナランドで培ったご自身の強みはどういうものだと考えていますか?

峰島:
強み……取材で何度か聞かれたことがあるんですけど、自分の強みって全然わからなくて。何もない状態から6年かけてちょっとずつできることを増やしていった感じなので、自分で言うのはおかしいですけど、成長が見られるアイドルの典型だったのかなって思っています。最初は歌割りも台詞1個くらいしかなくて、ほぼ後ろの位置で踊っていたんです。期待ゼロの状態から、ちょっとずつできることを見つけて、最終的にセンターになったり、歌割りもたくさんいただけるようになったり、写真集を出させてもらったり……何ができたのかと言われると、よくわからないし、特にキャラがあったわけでもない。ただ、アイドルを全うしたとは思いますね。

――そんなふうに考えていたんですね。

峰島:
あっ、特典会は自分の強みかもしれません。人と話すのは好きなので。あとはレスとか。歌割りがなくて1番後ろでみんなと同じダンスをしているのって、メンバーとしてやるべきことの最低限のことだけをやっている感じじゃないですか。たくさん歌っている子に比べたら正直ヒマですし(笑)。歌っていないので、ファンの方の目にも入らないんですよ。最初は大きく踊って目を引こうと思って、ただただ暴れているようなダンスをしていたんですけど、それは見映えが悪いことに気づいて(笑)。改めて後ろでも見つけてもらうにはどうしたらいいか考えたんです。それで、自分のことをちょっとでも見てくれた人にレスをするようになりました。でも最初はレスの仕方がよくわからなくて(笑)。もともとアイドルがすごく好きなので、アイドルをたくさん観て研究しましたね。いろいろなアイドルさんのライブに行くようになって注目して観ていると、レスがわかりやすい子とわかりにくい子がいることに気がついたんです。

――当時、どんなグループを研究していたんですか?

峰島:
もともとわーすたさんが大好きで、自分がアイドルになる前は振りコピをしていたんです。わーすたさんはライブで撮影がOKなので、ファンの方が上げる写真をエゴサしたりもしてました(笑)。それから、ナナランドの前身グループ、dropにいた滝口ひかりちゃんが好きで、彼女の踊り方、歌い方をめっちゃ勉強しました。ゑんらを始めてからもちょこちょこ観に行っていましたね。

――そんなふうに意識が変わったのはいつ頃でしたか?

峰島:
ナナランドに入って1年くらいですね。

――そこからあれよあれよという感じで、気がつけば中心メンバーになって。写真集を出したりもしていましたけど、グラビアの仕事については、どう考えていたんですか? 2021年のTIFで開催された<水着でアイドル頂上決戦>では優勝しましたが。

峰島:
高校生の時に“グラビアをやりませんか?”ってお話をいただいたことがあったんですけど、断ったんです。“グラビアはやりたくないです”って、ずっと言っていました。でも、コロナが広まり出したくらいの時に、周りがグラビアをやり始めたんです。グループとしても、立ち位置的に自分が目立っていかなくちゃいけないと思っていたので、“これは私もやらなくちゃ”って思って始めたんですけど……グラビアはやっぱりスタイルがよくないと。私は身長もちっちゃいし、体格的にもグラビア向きではないので、最初の頃は“これ、誰が喜ぶの?”って思ってました(笑)。でも、ちょっとずつお話をいただけるようになって、ファンの方も頑張って宣伝してくださって。それに応えなくちゃっていう気持ちでずっと頑張っていました。今でも“何がいいんだろう?”とは思っていますけど(笑)。

――1st写真集『ふるさと』は素敵な写真集でしたよ。

峰島:
それは撮ってくださった方がすごかったんですよ。ホントに感謝しています。

峰島こまき

グループだけじゃなくてアイドルもやり切ったなって思っていました

――ゼロから始まって中心メンバーとなったナナランドを卒業しようと決めた理由は何だったんですか?

峰島:
体調ですね。かなり限界だったんです。当時は“自分でどうにかしなきゃ”っていうモードになっちゃって、誰にも言えなくて……。グラビアをやるようになったけど、自信がないからとにかく痩せなきゃって思って、ほぼ何も食べずにライブをしたり……。もう1つは、自分が目立つことによって、後輩たちが目立てなくなっているのかなって思ったんですよね。先輩が頑張りすぎると、後輩は前に出れなかったりするじゃないですか。自分もそんなふうに感じることもありましたし、それはよくないなって思っていたので、このへんで私はいなくなった方がいいのかもって。私がいなくなることで、目立つことができるメンバーもいるだろうし、グループの雰囲気も変わるだろうし。6年もいたので、自分はもうグループに尽くし切った、限界まで尽くしたっていう気持ちもあったので、ここでみんなにグループを受け渡して、私は撤退……じゃなくて卒業することに決めました。

――やり切ったという想いが強かったんですね。

峰島:
めっちゃやり切りました。それこそグループだけじゃなくてアイドルもやり切ったなって思っていましたね。

――卒業することについてメンバーにも相談しなかったんですよね?

峰島:
でも、匂わせてはいました。私、先輩に突然“何ヵ月後に卒業します”って言われて、すごくショックだったんです。全然心の整理ができなくて。それこそ彼女は歌割りも1番多かったし、真ん中にいるメンバーだったので。だから自分がいなくなる準備はしておかなくちゃって思ってて、メンバーの何人かには“次は私だよ、多分1~2年だよ”って言っていたんです。なので、みんなに直接“卒業します”って言った時には察してくれて、受け入れてくれてはいましたね。

――卒業もグループのことを考えて決めたんですね。

峰島:
グループが1番ですから。自分よりもグループが大事でした。

――グループを背負い込む覚悟が強すぎて、体調を崩してしまったのかもしれませんね。

峰島:
どうなんだろう(笑)。私、身体は強い人だったんですけど、突然だったんですよ。自分が真ん中に立って、個人仕事も一気に増えた瞬間から、体調も一気に悪くなってしまって。これは初めて話すんですけど、実は卒コンの時も高熱を出してしまって。インフルエンザでもコロナでもなかったので、当日は朝点滴をして無理やり熱を下げて。あの時は正直“もう限界でできないかも。最後のステージに立つことなく私のアイドル人生は終わるのかも”って思いました。

――でも、なんとかステージに立てるくらいには回復したんですね。

峰島:
そうですね。卒コンの時はアドレナリン全開でした(笑)。それで、卒業してからは1回も体調を崩していないんですよ。熱も出していないし、声も潰していない。自分でもびっくりしています(笑)。

峰島こまき
峰島こまき

必要としてもらえるのが私の中でのアイドル

――卒業のタイミングでは、美容のお仕事をしたいとおっしゃっていましたよね?

峰島:
美容学校に10月から通うつもりで準備していたんですけど、1つ悔いが残っているものがあったんです。それで10月までに事態が好転しなかったら、その夢はきっぱり諦めよう、そんな話をお母さんとしていました。

――そう思っていたらNRC PRODUCTIONとの出会いがあったんですね。

峰島:
はい、知人からご紹介いただきました。

――やり残したものというのは何だったんですか?

峰島:
大きな会場……LINE CUBE SHIBUYAとか、豊洲PITではライブをやらせてもらえたんですけど、コロナ禍で人数制限があったんです。完売したけど、今やってみたら多分違うと思うんですよ。だから私は本当の満員の景色を見たことがほぼないんですよね。卒コンの時、自分で手紙を書いたんですけど、そこには“(日本)武道館に立ちたかった”って書いたんです。でも、その部分だけが読めなくて。本当に思っていることを言えないというのは、やっぱり悔いが残っているってことなのかなと思うようになって……それに、今はアイドルも変わってきて、夢を見させてくれるアイドルがいっぱいいるじゃないですか。レコード大賞に出たり、武道館に立ったりしているのを見ると、やっぱりいいなって思ってしまうんです。それって悔いが残っているからだと思うんですよね。

――それだけ芸能活動に対する想いが強かったんでしょうね。

峰島:
卒業して1ヵ月くらいはもう“今の生活、最高!”みたいな感じでした(笑)。でも4月の後半くらいになると、やっぱりアイドルのXを見て、みんなが活動しているのを確認しちゃうし、卒コンのアーカイブを観ていたりすると、やっぱり“ああしたい、こうしたい”っていうのが出てきちゃうんです。卒コンも埋めたかったけど埋められなかった悔しさがあったりして……。

――峰島さんは、自身のアイドル像をどう考えていますか?

峰島:
やめてみてめっちゃ感じたことは、自分がいることによってすごく頑張れたり、力になっていたり、笑顔になれたり……卒業ライブではみんなが泣いてくれたり、そんなふうに必要とされているってすごいことだなって。それって普通はあんまりないですよね。私は体調もよくなかったり、配信とかではファンの方に“私、これは嫌だ”とか本音を言っちゃうタイプなので、あんまりアイドルアイドルしていなかったと思うんですけど、それでもみんなのそばにいたい、1人ひとりにちゃんと向き合いたいっていう想いでやっていました。なんていうか、心に寄り添えるような存在になりたいと思っていましたね。ウマく言えないですけど、必要としてもらえるのが私の中でのアイドルだと思います。

――アイドルってファンの方を生き生きとした顔にしますよね。日常生活ではそれぞれに大変なこともあるはずですけど、現場ではニコニコしていて。それができるのがアイドルの力だと思います。

峰島:
私、ここ2~3年はほかのアイドルのライブを観に行けなかったんですよ。うらやましいっていう気持ちになってしまったり、私はこうはなれないなって考え込んだりしてしまって。

――ものすごくアイドルが好きだったのに?

峰島:
そうなんです。でも卒業していろいろなアイドルのライブにまた行けるようになったんです。それこそナナランドのライブにも行きました。フロアの後ろから観ているとファンの人の顔が見れないんですよね。ステージからファンの人の顔を見れるって、アイドルの特権なんだと思いました。ナナランドのライブを観ながら、やっていた時はライブ自体単純に楽しかったけど、私が楽しかったのはみんなの顔を見てたからなんだなって気がついて、アイドルってすごくいいなって思ったんですよね。

――現在の事務所に入ることを相談したのは、やはりお母さんですか?

峰島:
そうですね。それとナナランドのメンバーには話をしました、数人ですけどね。(百瀬)ひよりにはけっこう早い段階で。

――メンバーとは変わらず仲がいいんですね。

峰島:
そうですね。ひよりは、この前も3日連続で泊まりにきました(笑)。

――(笑)。メンバーのみなさんはどんな反応でした?

峰島:
ナナランドはご存知だと思いますけど、全員卒業することになったんですよね。そんな中で、先に卒業してしまった私がまた芸能活動を始めるって言ったら、嫌な思いをする子や納得のいかない子も多分いると思うんです。だからこそ、すぐに伝えた方がいいかなと思って。“やりたいと思っているんだよね”って話をしたら、“すごくいいじゃん”みたいな感じで、私の前だからかもしれないですけど、そう言ってくれました。何より1番喜んでくれたのが両親なんです。もともとナナランドも、母が“アイドルやりなさい”みたいな感じで始めたんです。私はどちらかというと“母っ子”というか。その反面、父と連絡を取ることがあんまりなくて。でも、卒業した時に父から突然電話がかかってきて。“ステージに立っている姿がすごく好きだった”って言ってくれたんです。父からそういう話をされたことがなかったので驚きました。父は“勉強しなさい”“就職しなさい”みたいな感じで、その方が父としては嬉しいんだろうなって思っていたんです。安定した生活を送ってほしいんだろうなって。だから、父のその言葉はすごく驚いたし、響きました。新しい事務所でやるかもしれないってなった時には、珍しく私から父に電話をして“決まりそう”っていう話をしました。そうしたらすごく喜んでくれて嬉しかったです。母には、いろいろなところからお話をいただくたびに相談していたんですよ。そうしたら“絶対ここがいい”って言ってました。絶対、根拠はないと思うんですけど(笑)。

峰島こまき

もう1回挑戦してみたいという想いもあります

――峰島さんは、なぜNRC PRODUCTIONに決めたんですか?

峰島:
今の事務所は新しくスタートする会社で、社長さんと話をした時に、これから作り上げようとしているものが、自分には合っているかもと思ったんです。自分が思い描いているものや、やりたいことが、ここならできるかもって。なんていうか、大人の方と一緒に歩んでいく感じがすごく見えたんですよね。それがすごくいいなと思いました。

――お話をうかがっていると、峰島さんは、共同作業だったり、誰かと一緒に何かを作り上げるのが好きみたいですね。

峰島:
好きですね。1人じゃ何もできないんです。でもアイドルって基本はそうですよね。大人の方がいないとできないことが多い。それと、自分がグループの先頭に立った時に、自分は先頭に向いてないなって気づいたんです。先頭に立ってついてこいって言うんじゃなくて、みんなで歩んでいくっていうのが自分には向いているやり方だなって。

――一緒に進んでいけるものを感じたんですね。新しい環境になって、これからどんな目標を立てていますか?

峰島:
ナナランドの時は個人で写真集を出したいっていうのが1番の目標で、ありがたいことにそれは叶えることができたので、そこから大きな目標は立ててこなかったんですよ。6年やっていれば、自分の実力もある程度わかるじゃないですか。でも、新しい事務所に移って、いろいろ話をしていると、ちょっとずつ新しい想いが芽生えてきますよね。まずは静岡。私は静岡出身で、写真集も静岡で撮らせてもらいましたし、何度も静岡でライブをやらせてもらいました。静岡はすごく大事にしてきたので、静岡でお仕事ができたらいいなって思っています。それと『ラヴィット!』に出たいです。母が大好きなんですよ。これが今1番叶えたい目標かも(笑)。

――ものすごく具体的な目標があるじゃないですか(笑)。

峰島:
そうですね(笑)。でも、自分が大きくならないと出られないので頑張ります。私が『ラヴィット!』に出たら、お母さん、喜ぶだろうなあ。

――素晴らしい目標だと思います。

峰島:
卒業した時にはもうアイドルやりきったと思っていました。だから、“やっぱりもう1回アイドルをやりたい”なんて軽々しく言えるものではありません。でも、もう1回挑戦してみたいという想いもあります……やめてみて、ファンのみなさんの笑顔の大切さに改めて気づきましたし、おかげさまで体調もよくなりました。

――元気になってよかったです。それでは、最後にスタートしました峰島さんの新章のタイトルを教えてもらえますか?

峰島:
「私はアイドルが好きだ」です!

峰島こまき

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