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映画『ジャズ・ロフト』|マンハッタンの倉庫ビルに“巨匠たち”が集う─貴重フィルム&テープで綴るドキュメンタリー

ARBAN

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偉大な写真家の“謎の行動”

写真家のユージン・スミスは二度、日本で死にかけた。アメリカの著名なカメラマンで、これほど日本と深い因縁を持つ人はいないだろう。

一度目は1945年、第二次世界大戦時の沖縄で。従軍記者として最前線に立ち、米『LIFE』誌などに写真を提供していた彼は、日本軍の榴弾を受け重傷を負い、およそ2年の療養生活を余儀なくされた。

二度目は1972年の千葉で。撮影中に暴行を受けて脊椎を損傷。右目も失明寸前の大怪我を負った。このとき彼は「水俣病」の実態を取材中で、チッソ五井工場を訪問した際に同社の従業員らに殴打された。

この2つの事件は、彼が写真家として最も評価された、いわばハイライトともいえる時期と重なっている。戦中から戦後にかけて彼が撮った写真は、著名なグラフ誌に掲載され、フォトエッセーと呼ばれる手法とともに彼の名声を世界的なものにした。一方、水俣病を題材にした写真集『MINAMATA』(1975)も世界中で大きな反響を呼んだ。彼は1971年から約3年間を水俣で過ごし、このエピソードをもとにジョニー・デップ主演で映画化もされている。

では、この2つの偉大なキャリアに挟まれた期間、つまり50年代半ばから60年代にかけて彼は何をやっていたのか? というと、ニューヨークの「ロフト」に籠もってジャズを撮(録)っていた。その記録をまとめたのが、ドキュメンタリー映画『ジャズ・ロフト』である。本作では、フォト・ジャーナリズム史でほとんど語られてこなかった “偉大な写真家の謎の行動” が詳らかにされる。さらに、モダンジャズ史においても公にされなかった数々のエピソードが語られている。

©︎2009 2015 The Heirs of W. Eugene Smith.

表現者たちの実験場

1957年、ユージン・スミスはそれまで住んでいた邸宅に家族を残し、マンハッタン・ミッドタウン6番街821番地にある雑居ビル(=ロフト)に住み始めた。廃屋同然のその建物にはミュージシャンたちが集まり、セッションの場となっていた。ニューヨークにはこのような「ロフト」がいくつも点在していたが、ここは特別だったという。

Self-portrait W. Eugene Smith (c) 1959 The Heirs of W. Eugene Smith.

当時、同じ建物に住んでいた音楽家のカーラ・ブレイが当時を振り返る。

そのロフトは生花の問屋街にあった。住居として使うのは違法だったから、事務所っぽくして仕事をしているように見せかけてた。昼間は書棚に服をしまって、夜は事務用品を片付けて生活してたのよ

彼女はのちにピアニスト/作曲家として大成するが、当時はまだ何者でもなかった。

ここを初めて訪れたのは17歳か18歳のとき。その頃の私はバードランド(ジャズクラブ)でタバコの売り子をしながら、いろんなバンドを聴いて音楽を学んでいた

ロフトには彼女のような若者たちが集い、のちに巨匠と謳われるスティーヴ・ライヒやチャック・イスラエルも出入りしていた。カーラとともに同い年の彼らは、本作中で「証言者」として登場し、あのときロフトで何が起きていたのかを語っている。そこは、若きミュージシャンの “学びの場”であり、中堅奏者の “実験と研鑽の場”でもあったという。また、さまざまな表現者が集う “サロン”としても機能。音楽家だけでなく、作家や俳優、画家たちがここを訪れ、あのサルバドール・ダリの姿もあった。

©︎ 2009 2015 The Heirs of W. Eugene Smith.

ロフトに現れた大柄な男

そんなロフトに篭りながら、ユージンは4階にある自室の窓から、通りを行き交う人々を撮り続けた。まるで定点観測のように。そして陽が落ちると、カメラのレンズは建物内に向けられ、夜な夜な繰り広げられるジャムセッションを撮った。こちらはまるで盗撮のように。

彼はいつも目立たないように潜んでいた。ジャズミュージシャンはカメラが苦手だからね。彼は決して邪魔をせず気配を消していたんだ。その場に溶け込んで、誰もまったく意識しなかったと思うよ

作中でそう語るのはピアニストのフレディ・レッドだ。やがてユージンは写真を撮るだけでなく、彼らの演奏を録音し始める。ロフトで行われるセッションを録るために、建物中に配線し、ときには天井に穴を開けて上階の部屋にマイクを仕込んだ。さらに彼は、テレビやラジオの音声、電話、住人との会話など、あらゆる「音」を録り続けた。

こうして彼は8年間で、およそ4000時間に及ぶ録音と、40万枚の写真を残した。その素材は本作中でふんだんに使用され、当時のスミスを知る関係者の証言とともに開陳される。その写真や録音物はときに “とんでもない出来事”も記録されている。あの日のことを、作曲家のカーマン・ムーアが語る。

ある日、ロフトでのレッスンを終えて帰ろうとしていると、そこに大柄な男が現れた。彼は、セロニアス・モンクだった

当時、絶頂期にあったセロニアス・モンクは、ある大作をつくり上げるために、このロフトで3週間のリハーサルと打ち合わせを行っている。その全てを、ユージンは録音した。

Photo by W. Eugene Smith 1959 (c) The Heirs of W. Eugene Smith.

本作にはモンク以外にも多くのジャズ・ジャイアンツたちが登場し、そんな大物たちに教えを乞う若手ミュージシャンたちの姿も記録されている。これと同様、ロフトには著名な写真家たちも訪れた。他ならぬユージン・スミス自身が、モンク級の大物だったからである。高校を卒業したばかりのラリー・クラークがユージンに面会を求め、若き日のダイアン・アーバスも自作の寸評をもらうためロフトを訪れた。また、あのアンリ・カルティエ=ブレッソンが会いに来たこともある。

ジャズ史と写真史の裏面

写真の愛好家であれば、前出の巨匠たちのエピソードには興味を惹かれるはずだ。また本作では、ユージン・スミスの暗室作業やプリント・テクニック、代表作として知られる「楽園への歩み」の撮影秘話なども開示され、これは非常に興味深い。加えて、ピッツバーグを撮影したあの有名な作品群が、じつは「仕事としては大失敗だった」ことも。

彼は行政から請け負った仕事としてピッツバーグの撮影を行うも、完遂することができなかった。ちなみに当時のピッツバーグは深刻な大気汚染に見舞われ、住民の肺炎死亡率は全米最高の数値。そんな工業都市の姿が水俣と重なり、彼は日本でリベンジしたのではないかと想像してしまう。

©︎ 2009 2015 The Heirs of W. Eugene Smith.

一方、ジャズファンにとって興味深いのは、いわゆる “モダンジャズの正史”であまり触れられることのなかった人間関係とその実態。そして1959年のセロニアス・モンク作品がどんな経緯で作られたのか。さらには50年代当時の先端的なジャズ奏者たちが、裏舞台ともいえるロフトでどんなことを行なっていたのか。これを写真と音と会話で確認できるのは、ジャズ愛好家にとって僥倖である。

ユージン・スミスの写真は、あまりに鮮やかな「陰影の対比」が特徴だ。そんな彼の作風になぞらえるように、本作『ジャズ・ロフト』もまた、彼の人生の明部と暗部をはっきりと見せている。そして、ロフトの出来事をファインダー越しに捉えたスミスの眼差しは、そのまま本作を観る我々の視界に置換される。まるで時空を超えて、あのロフトを覗き見しているような興奮を味わえるのは、本作の大きな魅力の一つだろう。

『ジャズ・ロフト』
●10月15日(金)よりBunkamura ル・シネマほか全国順次公開
●配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム
●公式サイト :https://jazzloft-movie.jp/

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