祝・三日月龍宮城駅開業 「3つの『3』」と「小湊鐵道誕生秘話」で〝新駅〟のアナザーストーリー(千葉県木更津市)
2024年の夏休みに鉄道ファンの話題を呼びそうなのが「三日月龍宮城駅」。名前は駅でも、列車は来ません。2024年7月12日、千葉県木更津市の龍宮城スパホテル三日月に誕生した、「鉄道のアミューズメントパーク」がその正体です。
三日月龍宮城駅には、いすみ鉄道(い鉄)を引退した「いすみ206型気動車」の実車を展示。ホテルには小湊鐵道、い鉄、銚子電気鉄道(銚電)という千葉県のローカル鉄道3社(小湊はバスも)のグッズ類をインテリアにあしらった、5室のコンセプトルームもオープンしました。
龍宮城駅や特別ルーム、オープニングセレモニーは、本サイトのニュースで紹介されました。ここでは「三日月龍宮城駅アナザーストーリー」と題し、「龍宮城駅をめぐる3つの3」、「ホテル三日月と小湊鐵道の数奇な関係」の2つのテーマで、〝ホテルの新駅〟にエールを送りたいと思います。
3世代共通の話題、それが「鉄道」
前半は「龍宮城駅をめぐる3つの3」。トップは「3世代の3」です。
三日月龍宮城駅やコンセプトルームをオープンしたのは、木更津市に本社を置くホテル三日月です。小高芳宗社長は、オープニングセレモニーでこうあいさつしました。
「日本人の寿命は延び続け、〝人生百年時代〟がやって来ます。そうした時に親子3世代や4世代で楽しめるものと考えたら、そこに鉄道がありました(大意)」。
祖父・祖母と孫が一緒に宿泊して全員が楽しめる、時代を超えた共通の話題、それが「鉄道」です。
ここで思い出したのが、2024年6月に就任した、静岡県の大井川鐵道の鳥塚亮社長の会見。「3世代ファミリーが一つになれるもの。それが鉄道で、そこに鉄道の存在価値があります(大意)」。
ターゲットはファミリー・グループ客
ホテル界の名門・ホテル三日月。現在のホテルは内房の木更津と栃木県鬼怒川(日光市)、ベトナム第3の都市・ダナンです。木更津のホテルは、2000年に日帰り温泉施設として誕生。2年後の2002年に宿泊施設が加わりました。
龍宮城スパホテル三日月は客室数253室。従来の大型ホテルは、主に団体客がターゲットでしたが、現在の主流はファミリー・グループ客。スパやレストランに加え、家族で楽しめる客室があれば「鬼に金棒」。コンセプトルームは、2023年に第1弾の「キッズルーム」と「ベビールーム」が誕生。好評を受けた第2弾が、「鉄道/バスルーム」です。
ホテルとローカル3社がWinWinの関係
2つ目は、タッグを組んだ小湊鐵道、い鉄、銚電。千葉のローカル鉄道3社の「3」です。3社の共通項が「厳しい経営環境」なのはさておき、各社観光誘致に力を入れます。
小湊鉄道は、JR東日本から譲受されたキハ40形気動車への代替わりが進みますが、JR北海道の協力を得て「天北」や「利尻」といった宗谷線急行を再現した「観光急行」を全席指定で運行します。
い鉄や銚電は本サイトで披露させていただいた通り、観光列車で人気を集めます。
ホテル三日月が狙うのは、鉄道ファンの宿泊需要開拓。3社は系列ホテルを持っていません。しかし初日は小湊、ホテル三日月に泊まって2日目はい鉄といったツアーを組めば、満足度も経済効果も高まります。これぞホテル三日月と3社のWinWinの関係です。
湾形からホテル名のインスピレーション
3つ目の「3」は、ホテル名・三日月の「三」。ホテルのルーツ、勝浦ホテル三日月(勝浦市)は勝浦湾に面し、湾は三日月形。「三日月湾」の異名もあります。
湾口幅約1.7キロ、奥行き約1.6キロ、景勝地として知られます。創業の地に、今も愛されるネーミングのインスピレーションを得た点に先見の明がありました。
五井から小湊を目指した「小湊鐵道」
ここから、後段の小湊鐵道誕生秘話。小湊鉄道線は五井~上総中野間39.1キロで、五井でJR内房線、上総中野でいすみ鉄道に接続します。会社設立は大正年間の1917年。五井~小湊間の鉄道建設による房総半島内陸部の地域振興が目的で、ゴールの外房・小湊を社名に冠しました。
第一期開業は1925年の五井~里見間で、創業から8年も要したのは資金調達が思うに任せなかったため。東京の安田財閥に出資を要請し、資本金の6割以上は安田一族の出資金でした。
五井~上総中野間の全通は1928年。その後、国鉄木原線(現在のい鉄)が開業したこともあり小湊延伸構想は消滅、現在にいたります。
車両は初期はSLけん引客車。その後、ガソリンカーからディーゼルカー(気動車)に移ります。当初は電化構想があり、開業時の客車6両は電車に改造できる構造でした。戦時中に京成グループ入りします。
1961年にデビューし、2020年のキハ40形登場まで主力として活躍したのがキハ200形。1963年と翌年夏には国鉄内房線気動車に連結されて千葉駅に乗り入れ。千葉~五井~養老渓谷を乗り換えなしで結びました。
旅館・三日月亭の経営者が立ち上げた小湊鐵道
ここで本コラムの資料調査で見つかったホテル三日月と小湊鐵道の意外な関係。明治末期の1910年、鉄道は現在のように房総半島を一周していませんでした。
この年、房総乗合馬車が勝浦~鴨川間で馬車営業を開始しました。房総乗合馬車はやがて乗合バス事業に進出して1919年、三日月自動車に改組されましたが、両社の経営陣に名を連ねたのが小高鶴治。勝浦の旅館・三日月亭の経営者で、旅館はホテル三日月のルーツです。
小高は三日月自動車の経営から手を引きますが、その三日月自動車は1943年の戦時統合で袖ケ浦自動車に移管。元々が小湊グループだった袖ケ浦自動車は戦後の1947年、小湊鐵道に統合されます。
創業時からたどれば房総乗合馬車は三日月自動車、袖ケ浦自動車を経て小湊鐵道のバス部門に。つまり小高が創業に携わった、ホテル三日月と小湊鐵道の両社は1世紀余の時を経て、再びパートナーシップを結ぶことになった次第です。
龍宮城駅のオープニングセレモニーで、小湊鐵道の石川晋平社長は、「東京湾アクアライン経由で東京方面と結ぶ高速バスは、年間255万人ほどにご利用いただいています。従来は房総発東京方面への通勤通学需要が中心でしたが、今後は首都圏各地からお客さまを呼び込みたいと思います」とアピール。
三日月龍宮城駅を呼び水にした、ホテルと鉄道・バスの異業種コラボの成果に期待したいと思います。
なお、本コラムの一部は佐藤信之交通環境整備ネットワーク相談役の「昭和初期における乗合自動車業と鉄軌道業」(交通史研究・1990年)を参考にしました。
記事:上里夏生