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今日を美しく明日はもっと美しく ~『111年目の中原淳一展』に寄せて~

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今日を美しく明日はもっと美しく ~『111年目の中原淳一展』に寄せて~

文=太田 治子

母のそばにはいつも月刊誌『ひまわり』があった。表紙の少女の大きな瞳が私に向いていた。昭和の時代、未婚の母と幼子の私、困窮の果ての居候生活…、それでも今日を美しく生きよう、明日はもっと美しく、と中原淳一の言葉に励まされて母とともに歩んでいた。生誕111年、母と中原淳一は同い年だった。

▲「ひまわり夏休み手帖」(『ひまわり』第4巻第8号付録) 1950年 © JUNICHI NAKAHARA/HIMAWARIYA
中原淳一は、前年に創刊した『それいゆ』に続き、昭和22年1月号の創刊号から27年2月号まで67冊の『ひまわり』を刊行した。戦後間もない時期で日本中が豊かではなかったが、全国の少女たちを照らすべく中原は表紙を描いた。

◇母の小説が『ひまわり』に載った

 11月末の或る日の夕暮れ、私は横浜駅の地下通路を、東口にある「そごう美術館」に向かって、一人歩いていた。『111年目の中原淳一展』をみたかった。それにしても、111年目とは、どういうことだろう。何やら、意味深いことに思われた。ふと、40年も前に空の上へいった母の言葉を思い出した。

「中原淳一さんと私は、同じ大正2年生まれなのよ」
 母は、そう嬉しそうに話した。中原さんが昭和22年から昭和27年にかけて刊行した月刊誌『ひまわり』に、母は恐らく2回にわたり少女小説を発表していた。
「私の小説が、『ひまわり』に載ったのよ」

▲吉屋信子、川端康成、村岡花子、北畠八穂、菊田一夫、サトウハチローといった執筆陣に加え、高畠華宵、長沢節、岡部冬彦らの挿絵もあった。読み物以外では、名画鑑賞、名曲紹介、映画・読書案内に海外通信、料理や手芸、グラビアや社会時評など、厳しい時代にあっても少女たちに広い視野をもって欲しいと願った中原の思いが盛り込まれていた。投稿のコーナーもあり、考えて書く、それをプロの先生にみてもらう企画もあった。撮影:コモレバ編集部

 母がそういったのを、私は確かに記憶している。私がもの心つくか、つかないかのころだったと思う。母と私は、神奈川県葉山の母の弟に当たる叔父の家の離れで居候生活を送っていた。『ひまわり』が廃刊される直前の、昭和27年あたりのことになる筈である。幼い私は、『ひまわり』の表紙の大きな目の少女の顔を、はっきりと覚えていた。その明るい少女の顔と雑誌のタイトルの『ひまわり』はとてもぴったりしていると、幼心に考えた。私はどの絵本のお姫様の顔よりも、『ひまわり』の少女の顔を素敵だと思った。『ひまわり』の雑誌を抱き締めて、母と葉山の海へでかけた。当時の葉山の海はきらきらと輝いていて、表紙の少女の愛らしさにとても似合っているように感じられた。
「この少女は、ママに似ているね」
 砂浜に二人で腰かけながら、私はそういった。母も、とても目が大きかった。
「私は、こんなに可愛くないわ」
 母そういった後で、
「これからも『ひまわり』に書かせていただけるといいのだけれど」
 そのようにポツリといった。大病まもなかった母は、お金がなかった。居候生活を続けながら、少女小説を書いていきたいと思っていた。夢みる夢子さんのまま「未婚の母」として私を生み、〝刀折れ矢尽きる〟の状態で葉山の弟の家にたどりついた母は、まもなく『ひまわり』が廃刊になるなどということは、いささかも気付かずにいたに違いなかった。

◇昭和の少女たちの夢を叶えてくれた

『111年目の中原淳一展』の会場に入ると、いつもの中原さんの言葉が短冊で吊り下げられていることに気付いた。

「日本中の人が、昨日より今日の方が少しでも美しくなったとしたら日本は昨日より今日の方が美しい国になるわけです。そして、今日よりも明日がもっと美しくなれたら、日本中はまたずっと、素晴らしい、美しい国になるでしょう」

「いつも明るい微笑みをたたえている人でありたい。それはきっと人の心を和ませ豊かな気持ちで包み、したがって愛されもする結果にもつながるのだ」

▲中原のイメージの一つに「リボン」がある。少女の絵には短い髪でも長い髪でもきりっと美しくリボンを結んでいるからだ。そんな「リボン」と「ひまわり」を浴衣地にし、『それいゆ』では通信販売もあった。今見ても新鮮なデザインだ。撮影:コモレバ編集部

 今日よりも明日がもっと美しくなれたらという日本の少女たちの夢を、中原さんはしっかりと受け止めて、表紙画やファッションを考えていたことが、会場に展示された、ゆかた、インテリアなどから、とても暖かく伝わってくるのだった。ひまわりの藍地のゆかたをみていると、夏にそれを着て歩いている少女の姿が浮かんできた。1956年の製作のものだという。『ひまわり』刊行後に、『ジュニアそれいゆ』が刊行されていた。ぜいたくな着物よりも、少女にはゆかたが似合うと中原さんは思われていたようである。ゆかたには、夢はすぐ間近にある、今日が美しく、明日はもっと美しくなれるという中原さんの願いが込められていた。

▲表紙原画(『ジュニアそれいゆ』第6号) 1955年 © JUNICHI NAKAHARA/HIMAWARIYA
『ジュニアそれいゆ』は、昭和28年3月~昭和35年10月刊行に刊行された。パリで磨きのかかった中原の感性が遺憾なく発揮され、よりモダンな誌面になっている。ジュニアがよい大人になるために、中原は少女たちにメッセージを送りつづけた。「若草物語」「赤毛のアン」「椿姫」など世界の名作を絵物語で取り上げた。

 アップリケが施されたフレアースカートも展示されていた。やはり、ゆかたと同じころのものである。そのころには、私も小学校に入学していた。知り合いの年上のお姉さんから、果物がアップリケされたフレアースカートを、お下がりでいただいた。可愛くて、とても嬉しかった。アップリケには、長く着ていたものの破れを隠すという利点もあるようである。それが一寸したアイデアで、夢のあるスカートに変身してしまうのだった。そうやって、昭和20年代の少女たちに夢を与えていた仕事が、昭和30年代の少女たちにもしっかりとつながれていたこともわかった。

▲《パッチワークのフレアスカート》 1955年 撮影:岡田昌紘 ディレクション:Gottingham © JUNICHI NAKAHARA/HIMAWARIYA
ハギレも無駄にせず、さまざまな布を縫い合わせたオンリーワンのスカートに。白いブラウスと合わせ、可憐な少女によく似合ったことだろう。

◇今でも色褪せない『それいゆ』のファッション

 その中でも、やはり中原さんデザインのワンピースやブラウスのエレガントな雰囲気に、読者はひきつけられたのではないだろうか。展示されていたどのワンピースも、少しも古さを感じさせなかった。その中で是非着たいと思う服があった。1951年から52年にかけて長く滞在したパリでの生活から、インスピレーションを得たデザインのような気がした。

▲『それいゆ』1954年秋号 表紙 (左)と 表紙原画(『それいゆ』第39号 6月号) 1956年 © JUNICHI NAKAHARA/HIMAWARIYA
『それいゆ』は、1946年(昭和21)8月に発刊。まだ東京中が焼け野原に近いころだ。戦後すべてが貧困で夢を忘れた女性たちが、それを補えるような雑誌を作りたいと中原は考えた。読者が読んでいるうちに、いつの間にか本当の意味で美しい暮らしを知り、優しく賢い女性になっていくことを目指して誕生した。内容はお化粧や髪型、ファッションのこと、楽しく無駄なく生活するための工夫や恋愛、結婚、家族、生きる姿勢など現代の女性誌の内容に通ずるものだった。

 雑誌『それいゆ』のコーナーに、私はうっとりした。『ひまわり』とほぼ同時代の戦後まもないころに創刊された『それいゆ』は、昭和35年の廃刊迄、日本女性のファッション中心にインテリア、手芸などさまざまなジャンルに美しい波紋を投げかけてきたという。

「いいお洋服ね」
 中原さんと同じようにパリにあこがれていた母の声が、そのワンピースの背後から聞こえてくる心地がした。

▲《SOLEIL PATTERN》(『それいゆ』第25号口絵原画) 1953年 © JUNICHI NAKAHARA/HIMAWARIYA
中原のスタイル画は、西洋風の顔立ちをしたモデルにさまざまな衣装をまとわせ、その衣服のイメージは細部にいたるまで明快に描かれている。

「あなたの家に美しいカーテンがゆれて、清潔なテーブルクロスが部屋をいろどっているかどうか、そんな部屋に住んでいるかどうかで、あなたには目に見えない雰囲気が身について、美しい印象を人にあたえるのだということも知っていて下さい」   中原淳一(会場に吊るされた短冊の言葉より)

太田 治子(おおた はるこ)
神奈川県小田原市生まれ。明治学院大学文学部卒業。76~ 79年NHK「日曜美術館」の初代司会アシスタントを務める。86年『心映えの記』で第一回坪田譲治文学賞を受賞。著書に『夢さめみれば一日本近代洋画の父・浅井忠』(朝日新聞出版)、『湘南幻想美術館~湘南の名画から紡ぐストーリー』(かまくら春秋社)他多数。

INFORMATION

▲中原淳一 © JUNICHI NAKAHARA/HIMAWARIYA
1913年(大正2)、香川県生まれ。幼少期より絵や造型に興味をしめし、18歳の時趣味で作ったフランス人形が認められ、東京の百貨店で個展を開催。それがきっかけで雑誌『少女の友』でデビューし、一躍人気画家となる。戦後は、女性に夢と希望を与え、賢く美しい女性になって欲しいと、自ら雑誌『それいゆ』『ひまわり』『ジュニアそれいゆ』を創刊する。編集長としてのみならず、イラストレーター、ファッションデザイナー、人形作家、プロデューサー、ヘアメイクアーティスト、スタイリスト、インテリアデザイナーなどマルチな才能を発揮する。1950年代後半、絶頂期に病に倒れ、10年以上の療養生活を経て、1970年(昭和45)『女の部屋』を創刊したが5号で廃刊。1975年(昭和50)『中原淳一画集』を刊行。1983年(昭和58)に永眠。

『111年目の中原淳一展』


会期:2023年11月18日(土)~2024年1月10日(水)
会場:そごう美術館
(横浜市西区高島2-18-1 そごう横浜店6階)
時間:10:00~20:00 (入館は閉館の30分前まで)
12月31日(日)、1月1日(月・祝)は18:00閉館 
*そごう横浜店の営業時間に準じ、変更になる場合がある。
休館:会期中無休
入館料:一般1400円、大学・高校生1200円、中学生以下無料
お問い合わせ:045-465-5515
【そごう美術館 公式サイト】https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/

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