小林亮太・渡邉蒼・山田健登・島太星らがイキイキと躍動し、双子の数奇な運命を描き出す 『ブラッド・ブラザーズ』稽古場レポート
1983年にイギリスで初演が行われると、魅力的なストーリー展開と楽曲、時代や国を超えて届くテーマが評価され、ウエストエンドやブロードウェイ、ドイツ、オーストラリア、韓国などで上演されてきたミュージカル『ブラッド・ブラザーズ』。日本においても1991年から繰り返し上演されてきた本作が、東宝製作としては16年ぶりに上演される。
小林亮太/渡邉蒼(Wキャスト)、山田健登/島太星(Wキャスト)が運命に翻弄される双子を演じ、小向なる、秋沢健太朗、東山義久、戸井勝海、瀬奈じゅん、安蘭けいと実力派キャストが勢揃いしている。開幕に向けて、小林・山田ペア、渡邉・島ペアそれぞれの稽古場取材を行った。
悲劇的な運命に翻弄されるミッキーとエディという双子を描いている本作。作中では彼らの誕生から成長・独り立ちまでの年月が経つが、セット転換がないシンプルな作りとなっており、芝居に集中できると感じた。照明や衣裳が加わった時にどう見えるのかも楽しみだ。
冒頭、アンサンブルキャストが道を行き交う姿から、哀愁や不穏な空気、緊張感が伝わってくる。そこに登場し、軽やかに語り出すナレーター(東山義久)の異質な雰囲気にグッと心を掴まれた。ナレーターに誘われ、双子の人生を振り返るようにして物語が始まるのだが、東山は観客と物語を繋ぐ場面、登場人物として物語に溶け込む場面の切り替えでも笑いを誘い、出てくるたびにワクワクさせてくれる。楽曲においても聞かせどころが多く、キャッチーなナンバーは帰り道で口ずさみたくなってしまう。フレンチロックミュージカル『赤と黒』で東山が演じたジェロニモやミュージカル『エリザベート』に登場するルキーニのような、怪しい魅力のあるキャラクターだ。
また、製作発表で演出の日澤(雄介)から「全く違う二作を作っているような印象」と言われていた小林・山田の「こばやま」ペアと、渡邉・島の「あおしま」ペア。同じ台本と演出、双子以外は同じキャスト陣でもアプローチが違うとここまで受ける印象が変わるのかと驚かされる。一幕で描かれる子供時代を比較すると、こばやまはあどけなさがあるミッキーとエディ、あおしまはパワフルなミッキーとエディだと感じた。
小林が演じるミッキーは、ガキ大将の兄・サミー(秋沢健太朗)に近付こうと一生懸命悪ぶっているが本当は繊細な少年といった雰囲気。山田演じるエディは常ににこにこしており、好奇心のままに行動するようなどこか危うい雰囲気がある。根底に似たものがあると感じさせるため「もし逆の立場だったら」という想像がしやすく、大人になっていくミッキーの苦悩やラストの悲劇に納得感があった。
渡邉が演じるミッキーは元気いっぱいで、母やエディを前に背伸びをしているやんちゃな少年という印象。島が演じるエディはおっとりとした態度から育ちの良さや素直さが見てとれる。こちらの双子はお互いにないものを持っているから惹かれるのだろうと感じさせつつ、ふとした瞬間の表情や空気感がよく似ている。一瞬で親友になるのもうなずけるリアリティがあり、「子供ってそうだよね」という微笑ましい気持ちになった。
ミュージカルでありながら双子の歌唱はそれほど多くないのだが、そのぶん美しいメロディとハーモニーが印象深い。四人とも多感な少年時代の心の揺れなどを繊細に表現しており、聞き応えは充分だ。
二幕では学生時代を経て大人になっていく双子の姿が描かれており、子供の頃は無視していられた家庭環境の格差、恋愛、仕事、さまざまな事情が重なって生じる決定的な溝といったシビアな部分が見えてくる。一幕と二幕のギャップ、双子の関係性が変化していく緊張感など、最後まで目が離せない。細かな部分の芝居が各ペアで異なっているため、こばやま・あおしまペアを見比べるのも楽しいだろうと感じた。
そんな双子と共に成長していくリンダ(小向なる)は、明るく正義感の強い少女。恐らくジョンストン家と似たような境遇の家庭で育っていると思うのだが、おてんばな面もありつつ優しくまっすぐに成長する彼女を見ていると、双子を襲う「運命」が恨めしくなる。
そして、作中一の問題児であるサミーの暴れっぷりは見ていて爽快なほど。憎たらしい存在でもあるのだが、秋沢がミッキーをはじめとする周囲の人々を力いっぱい振り回す様子につい笑ってしまう。「キッズゲーム」で子供たちが見せる元気や想像力、残酷さも見どころと言えるだろう。
双子の実母であるミセス・ジョンストン(安蘭けい)、エディを貰い受けたミセス・ライオンズ(瀬奈じゅん)もまた、本作の主役と言っていいだろう。子供を持つことへの思い、母親としての愛情をどうやって子供に示し、どう育てるか。二人の考え方や生き方の違いが、物語全体に大きな影響を与えている。例えば、双子の片方を譲り受けるという思いつきから具体的な方法を考え、実行した後も内外に情報が漏れないよう注意を払うミセス・ライオンズに対し、ミセス・ジョンストンはその場の勢いで了承してすぐ後悔する。エディと引き離されそうになったミセス・ジョンストンが、事実が明るみになって警察に捕まることよりも「生き別れの双子の不吉な言い伝え」を恐れて断念することなどからも、二人の母親の気質や生まれ育った環境の差が感じられた。
ミッキーとエディが一緒に悪さをした時の周囲からの扱いの違いなど、階級社会における貧困層への態度や視線も生々しい。とはいえ、ミセス・ジョンストンがツケの踏み倒しを繰り返していたり、サミーが何度も悪さをしていたりするため、警官が貧困を理由に不当な差別をしているとも言い切れない。どうにかして負のループを断ち切ることはできないのか、もし自分や周囲が彼らの立場だったとして、どうしたら抜け出せるのか考えさせられる。
ミセス・ジョンストンの選択によって悲劇的な結末を迎えることになるが、ミッキーやエディに向ける慈愛に満ちた表情、二人を心配し、守ろうとする親心は本物。一方で、中々子供に恵まれなかったミセス・ライオンズの苦悩、エディを本当の子供として育てようという覚悟や愛情にも嘘はない。事実を知らないとはいえ、ミスター・ライオンズ(戸井勝海)もエディに対してまっすぐ向き合って愛情を注いでいる。
ミッキーとエディ、母親たち、リンダやサミー、ミスター・ライオンズ、もしくはジョンストン家と関わる街の人々……誰に共感するかによって、本作から受ける印象が大きく変わるのではないだろうか。
階級社会の物語であり、家族の関係性やジェンダーに時代を感じる部分はあるものの、どこか身近に感じられる本作。普遍的なテーマが込められた作品から何を受け取ることができるか、ぜひ劇場に足を運んで確かめてほしい。
本作は2026年3月9日(月)から4月2日(木)まで、シアタークリエにて上演。4月10日(金)から12日(日)には大阪・サンケイホールブリーゼでも公演が行われる。
取材・文=吉田沙奈