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アンパンマンの生みの親!やなせたかし~土佐の偉人コラム「歴史のなかの土佐人たち」~

ぐるぐるこうち


RKCラジオで毎週火曜日午後5:15から放送中の「歴史のなかの土佐人たち」

高知に縁のある武将や政治家、実業家、学者、作家などの偉人、有名人は、どんな人物だったのか?諸説ありますが、伝記や言い伝えを元に短くまとめたプロフィール、そして意外と知られていないエピソードなども交えて毎回一人ずつ紹介しています。

ぐるぐるこうちでは、放送には入りきらずカットした部分も含めて紹介します!

『内気だった少年時代 辛い戦争経験がアンパンマン誕生のきっかけに』


今回ご紹介するのは「やなせたかし」

<写真提供 (公財)やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団>

アンパンマンなどの作者で知られる「やなせたかし」は1919年、大正8年2月6日生まれ。現在の香美市香北町出身です。本名は柳瀬嵩。「嵩(たかし)」という名前は新聞記者だった父親が中国の河南省にある山「嵩山<すうざん>」の漢字から取ったもので、2歳年下の弟は「海」にちなんで千尋(ちひろ)と名付けられました。

4歳の時に、父が中国・厦門(アモイ)に単身赴任するのに伴い、母と弟と一緒に、両親の故郷・香北町へ移住します。
5歳の頃に父親が赴任先で急死すると弟の千尋は、子どものいなかった伯父夫婦の元へ。伯父夫婦は現在の南国市で暮らしており、嵩も小学校低学年の時に母が再婚すると、弟の暮らす伯父の家に身を寄せることになります。

小学校に入学すると成績はトップクラス。運動は苦手だったようですが、絵と作文が得意だったと回想しています。しかし、高学年になると成績は低迷し優等生から一転、劣等生に。シャイで内気だった嵩は、明るく社交的で文武両道、容姿端麗だった弟に対して強いコンプレックスがあった、とのちに自伝の中で語っています。

嵩はその後、現在の高知追手前高校、さらに東京高等工芸学校へ進学。卒業後は東京で就職しますが、すぐに軍隊への招集命令を受け、5年間の兵役生活を送ります。一方、いまの京都大学法学部に通っていた弟の千尋は海軍の特攻隊である「回天」に志願。千尋が任務遂行前に輸送船ごと撃沈され、フィリピン海沖で戦死したと知らされたのは、終戦後、嵩が故郷へ帰ってからのことでした。

この戦争体験がアンパンマン誕生のきっかけのひとつになっています。著書には「正義は或る日突然逆転する。」「逆転しない正義とは献身と愛だ。それも決して大げさなことではなく、目の前で餓死しそうな人がいれば、その人に一片のパンを与えること。」と記しています。そう、のちに誕生するアンパンマンのヒーロー像はこの戦争での辛い体験を経て生まれたものでした。

終戦後、高知へ戻った嵩は高知新聞社に入社。その時の同僚が後に妻となる小松暢(のぶ)です。終戦後初の女性記者として採用された暢はアグレッシブで努力家。突然、颯爽と東京へ行きます。そして、上京した暢を追いかけるように、嵩も新聞社を退社し二人は結婚。最愛の妻・暢は仕事でも私生活でも夫をしっかりと支え、嵩にとっては無くてはならない存在でした。

(やなせたかしと妻の暢 写真提供 高知新聞社)

デザイナーか漫画家の道に進みたいと再度東京に行った嵩が就職したのは「三越百貨店」です。
その時に制作した猪熊弦一郎氏デザインの包装紙は現在でも使われており、レタリングされている「mitsukoshi」のローマ字は、やなせたかし本人が書いたものが使われています。

『大ヒット曲「手のひらを太陽に 」・ベストセラー絵本「やさしいライオン」も』


34歳の時にフリーに転身し、デザイン関係の仕事の他にもラジオの放送作家やテレビ番組への出演など頼まれたものは何でも引き受けていたそうです。
しかし漫画家として代表作が無い…絶望の中、ふと懐中電灯を手のひらにあてた時に思い付いて作ったのが「手のひらを太陽に」
自分への励ましに書いた詩が時を超えて愛される名曲となりました。

その後、ラジオドラマの脚本から生まれた「やさしいライオン」がベストセラー絵本に、そして、時期を同じくして出版した詩集『愛する歌』が予想以上のヒットに恵まれるなど徐々に明るい兆しが見えてくるようになりました。その詩集の出版を提案したのが「山梨シルクセンター」という小物雑貨を扱う小さな会社。実はこの会社、のちに改名し数々の大ヒットキャラを世に送り出すことになる、キティちゃんでもお馴染みの「サンリオ」です。

そして1973年、アンパンマンが初めて絵本に登場。当時は幼児向けにひらがなで「あんぱんまん」として発行されました。

しかし…「顔を食べさせるなんて残酷過ぎる!」と評論家など大人たちからは大不評。自己犠牲をテーマにした絵本のヒットは、やなせたかし本人も期待はしていなかったそうですが、「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくもの」という言葉が絵本『あんぱんまん』のあとがきにも、はっきりと示されていました。

そして…、徐々に子どもたちの間で人気が出てくるようになると状況は一変します!
次々とシリーズの出版が決まり、表記もひらがなからカタカナのアンパンマンに、体も三頭身になって、より親みやすいフォルムに変化していきました。そして1988年のアニメ化でその人気は爆発!アニメが始まった頃、本人は69才を迎えていました。
アンパンマンは誕生から50年以上経った今も、多くの子どもたちに夢と希望を与え続けています。

人を喜ばせたい!役に立ちたいという気持ちにあふれ、晩年はポジティブに“老い”を楽しんだ「やなせたかし」。2013年10月13日、94歳でこの世を旅立ちました。

(香美市香北町「やなせたかし朴ノ木公園」にある墓地公園)

原稿監修協力 「(公財)やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団」

執筆担当のあとがき

今の30歳以下の人たちは、幼児期はアンパンマンを見て育ったという人がほとんどではないでしょうか。世の中には数あるキャラクターが存在していますが、男の子も女の子も関係なく子どもたちに愛されるキャラと言えば私はやはり“アンパンマン”を思い浮かべます。
このアンパンマン誕生のきっかけは、やなせ先生の辛い戦争体験がもと、ということは聞いたことがありましたが今回数冊の自伝を読んでみて改めて、「戦争は大嫌い」というやなせ先生の強い思いを感じました。

2003年、なんと84歳で「ノスタル爺さん」でCDデビュー!派手な衣装、いつも明るい笑顔でポジティブな印象のやなせ先生。実は少年時代は内気だったということも意外でした!

そしてやなせ先生の故郷・香北町の「やなせたかし朴ノ木(ほおのき)公園」にある墓地公園に行ってきました。(25/1/23訪問・追記)

墓標にはふるさと愛あふれるやなせ先生の詩が記されていました。

ここのお墓にはやなせ先生が妻の暢さんと眠っています。

そばに立つアンパンマンとばいきんまん。見てみると正面とは別の方向を見ています。
実はその目線の先にあるのは「やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム」

アンパンマン愛にあふれた2人の想いが伝わってきます。
公園にはお馴染みのキャラクターがたくさん!見ているだけで癒されます

やなせ先生の作った歌も。公園内に至る所にちりばめられたアンパンマンたちのイラストを探すのも、とても楽しかったです。

やなせたかし先生の想いがあふれる墓地公園。高知県内の人でもまだ知らない人が多いので香北に行った時はぜひ立ち寄ってみて欲しいです。

車で西へ5分ほどの場所には香美市立やなせたかし記念館アンパンマンミュージアムも。
こちらにはやなせ先生の作品がたくさん展示されています!アンパンマンたちももちろんお出迎えしてくれますぜひぜひお出かけ下さいね


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