材木座特集 “ビーチだけじゃない”鎌倉最古の港町で再発見旅
鎌倉駅東口から若宮大路を海へ向かって歩き始めると、観光客の会話は次第に遠のき、滑川を渡り切る頃には耳に届くのは波音ばかりになります。
材木座は、遠浅の砂浜と日本最古の人工港跡「和賀江嶋」、そして浄土宗大本山・光明寺が同じ水平線を共有する町です。鎌倉駅周辺の賑わいから徒歩20分とは思えないほど、暮らしと歴史と海が静かに重なっています。
本記事では実際に歩いた道のりを時間軸に沿って紹介しつつ、途中で立ち寄った材木座で唯一の角打ち「萬屋商店」の4代目店主・羽太(はぶた)一夫さんへのインタビューや、光明寺、逗子へと続くトンネルからの絶景など、材木座の現在進行形の魅力をお伝えします。
若宮大路の始点、一の鳥居
鎌倉駅を出て、左手に見える鶴岡八幡宮。その参道である若宮大路の中央に、盛り土された参道があります。段葛(だんかずら)と呼ばれ、年中観光客で賑わっているこの桜並木を今回は背にして、南へ進みます。
7、8分歩くと、若宮大路の中央に堂々と立つ石造りの鳥居が現れます。
鶴岡八幡宮の入口に建つ赤い「二の鳥居」に比べれば目立たない存在ですが、実はこの「一の鳥居」こそ若宮大路の始点を示す最古の鳥居です。
車道の真ん中に独立して建つ姿は少し奇妙に見えますが、かつてはここまで段葛が延びており、すぐ脇まで海が迫っていた時代の名残でもあります。
伝えられるところによれば、鎌倉入りした源頼朝が鶴岡八幡宮を現在地へ遷座する際、参道となる若宮大路と三基の木製鳥居を整えたといいます。ところが暴風や高潮に見舞われるたびに倒壊と再建を繰り返し、江戸時代に大きな転機が訪れます。四代将軍徳川家綱が祖母の崇源院(「江」の名で知られる人物)の願いを受け、備前国犬島の花崗岩を用いて一・二・三の鳥居すべてを石造に建て替えさせたのです。
当時の大型海運と石工技術をもってしても、瀬戸内の離島から相模の鎌倉まで巨石を運ぶ事業は難工事だったと伝わります。完成した石造鳥居は明治37年(1904年)8月に国宝指定を受け、「わが国石鳥居の範」と称えられました。
しかし1923年の関東大震災で三基とも大破します。「一の鳥居」は基礎部分をわずかに残して崩落し、鳥居としての形は失われました。それでも地元は石材を廃棄せず保管し、1936年に旧材を継ぎ足しながら犬島産の新しい花崗岩で補い、伝統工法で忠実に復元しました。
赤だけでなくこちらの鳥居にも注目して欲しい
一方「二の鳥居」と「三の鳥居」は朱塗りの鉄筋コンクリート造となり、若宮大路の景観は石・赤・赤という現在の並びに落ち着きます。
一の鳥居は現在、車道上の中央分離帯に立っています。全高およそ8メートル、柱間約6メートルという規模は歩道から見上げると想像以上に大きく、石肌の一部には江戸期の刻字も残っています。
朱塗りの「二の鳥居」と「三の鳥居」と比べると色味が地味なせいかのか、国宝感があまりなく、まわりに観光客もあまりおりませんが、これぞ鎌倉通がチェックすべき鳥居ではないでしょうか。メジャーの反対語はマイナーではなく、”インデペンデント”ですから!
無骨に独りたたずむ鳥居の背後に一直線に八幡宮本宮が見通せるこの地点こそ、頼朝以来の美しい都市設計を最も実感できる場所です。
段々と海へと近づいていくにつれて通りの空気ががらりと変わってきます。滑川の突き当り、右手が由比ヶ浜海岸、左手が材木座海岸です。
材木座海岸を逗子方面に向かって歩いて行きましょう。左手に見えてくるのが材木座テラス。よく見ると看板は「ZAIMOKU THE TERACE」ではありませんか。座がTHEになっている! 勝手に「ZAIMOKU-ZA TERACE」だと勘違いしていました。ごめんなさい。
通い慣れたと思っていた道でも、スペルに潜んだ小さな“THE”の存在に思わず足を止めます。観光地では「見慣れているはずの景色が、ふと角度を変えるだけで新鮮に輝く」瞬間がありますが、その第一歩をくれるのがこの看板かもしれません。
ここ材木座テラスはカフェやレストラン、マリンアクティビティの受付を備える複合施設で、朝 7 時台から営業するベーカリーでは焼きたてのクロワッサンとオリジナルブレンドコーヒーが楽しめます。海を一望できるテラス席は、サーファーや愛犬連れのローカルで早朝から賑わっています。