NYで並みいる名手と競演した夜~TOKUさん
ファッションデザイナー:コシノジュンコが、それぞれのジャンルのトップランナーをゲストに迎え、人と人の繋がりや、出会いと共感を発見する番組。
TOKUさん
日本で唯一のJAZZボーカリスト兼フリューゲルホーンプレイヤー。父親の影響で音楽に親しみ、2000年に『Everything She Said』でデビューして以来注目を集め、ジャズの枠を超えた幅広い音楽性から国内外さまざまなフィールドで活躍しています。
出水:TOKUさんは1973年新潟県三条市のご出身ですが、小さい頃はどんな少年だったんですか?
JK:燕三条っていうところ?
TOKU:そうですね。新幹線ができたのが小学校3~4年生のころで、それまでは上越本線の特急で夏休みに東京に遊びに行ってました。とにかく音楽を聴くのが好きでしたね。父親は音楽家になりたかったんだと思うんですが、母方の祖母の会社を継ぐことになって。でも音楽が好きで、ブルーグラスという音楽をずっとやってたんですよ。カントリーの1ジャンルという言い方をうちの親父はしてましたけど、黒人の民族音楽がブルースだとしたら、白人の民族音楽といったらいいかな。
JK:ああ、なるほど。でもお父様の影響ですね。
出水:TOKUさんが最初に手にした楽器は何ですか?
TOKU:ピアノを習っていたらしいんです。母親の親友がピアノの先生で。でも辞めちゃったんですよね、女の子と一緒に通うのが嫌だっていう理由で(^^;)ずっと言っとけば今頃は・・・(笑)でもその時に絶対音感を身に着けたらしく、学校に行くと当時の流行歌をみんながいろんなキーで歌うのが僕にはなぜだか分からなくて。
出水:キーが合ってなくて気持ち悪く感じてしまったんですね。
TOKU:僕は耳で聴いたそのまんまで覚えているので、なんでみんなこんなキーで歌うんだろう、って思ってたんです。ある日親父に話したら、「お前それ絶対音感だ」って。でもそれがJAZZを始めた後ですごく役に立ってます。その後僕はサッカー少年だったので・・
JK:あら、そうなんですか?!
TOKU:中学校にサッカー部がなかったんで、仕方なく吹奏楽部に入って、コルネットというトランペットに限りなく近い楽器に出会って。でもそんなに真面目にやらなかったんです。ただマイルス・デイヴィスという音楽は父親の影響で聴いていて、小学校の時に地元に公演に来てたんです。
JK:それはすごい! 生でしょう?
TOKU:こんな機会はないだろうと、僕とちいちゃかった妹と母親を連れて。だから会場のあの雰囲気は覚えてます。あれがあったからこそ、吹奏楽部でコルネットを選んだのかなぁって。ちっちゃいころの体験って大きいです。あとこれを言わなきゃいけないですね。小学校の時に家が立ち退きになったのをきっかけに、父親が自宅にスタジオを作っちゃったんです!
出水:ええっ!
TOKU:当時バンドブームってあったでしょ? 僕のスタジオでは地元にスタジオがなくて、でも音を出したいと思っている人が大勢いることを親父は知ってたんです。「俺がやらなくて誰がやる!」と思ったらしくて(笑)だからブルーグラスのバンドは毎週家に集まって来て夜通しジャムってるわ、昼間はレコーディングしてるわ、平日はぎっちり予約が入ってるわ・・・
JK:今お父様は?
TOKU:年金暮らしで好きな音楽をやってる・・・っていうか、そのスタジオも何年も使ってなかったんですけど、また最近使えるようにして、情熱を燃やしてますね(^^) 去年の夏テストレコーディングをして、世に発表できるレベルだとも分かった。でもそんな立派なスタジオじゃなくて、ブースひとつと小さなコントロール1つだけです。エンジニアも親父が1人。
出水:新潟の音楽の底上げにかなり貢献してますね!
TOKU:こんなにも情熱を注いでいたんだっていうのを改めて感じますね(^^) ラジオをお聞きの皆さん、新潟の三条市にスタジオ・オーパスってスタジオがスタートしましたんで、レコーディングしたい方はぜひ!
JK:いっぱいマサカあるでしょう? そのうち代表的な1つを思い出してください。
TOKU:どれにしようかなあ・・・じゃあNYの話をしていいですか? 2003~4年だったと思うんですけど、普通に遊びに行って友だちと会ったりしてたんですが、チャールズ・ミンガスの音楽を継承するミンガス・ビッグバンドっていうのがあって、僕も大好きで、バンドの中に友だちがいたので聴きに行ったんです。そしたら休憩の時にピアニストのデヴィッド・キコウスキーが僕を客席に見つけて、「バンドリーダーに話して、お前を飛び入りで出させてやる」って(笑)
JK:わぁすごい!
TOKU:いや、飛び入りの経験はたくさんあるんですけど、「このバンドはそういうバンドじゃないから本当に、心から止めてくれ」って。セカンドセットの1曲目が終わったら、ピアニストがごにょごにょ言ってるわけですよ。そしたらその夜、NYで知られたトランペッターのルー・ソノフが遊びに来てたんです。百戦錬磨のスタジオセッションもやってきた、譜面もその場で読める素晴らしい演奏者で、彼が呼ばれていった。「今日は素晴らしいゲストが来ています。ルー・ソロフin the house」とか紹介するわけですよ。そしたらその後に「東京から来てるTOKUいる?」って。まいったなぁ、隠れてるわけにもいかないし・・・と思って、手を挙げて。
JK:「はい」ってね(笑)
TOKU:もう行くしかないじゃないですか!「誰だろ、こいつ」みたいなまばらな拍手の中で行くわけですよ。その日トランペッターセクションはアレック・シピアギンとランディ・ブレッカーという錚々たるメンバーがいる日で、隣にはルーがいて、「何やるの?」って訊いたら「I have NO idea!」って(^^;) そのうち楽譜が回ってきて「これやるらしいぞ」って言われてみたら、おたまじゃくしがいーっぱい並んでて、その時点でチーン! お手上げ。
出水:(^^)
TOKU:それで曲が始まりました。ルーは眼鏡かけて、初見で吹いてるわけですよ。僕は何もできずに、1人だけ吹かずに持ってるだけ(^^;)そしたらトランペットソロ合戦が始まったんです。ランディ・ブレッカー、アレック・シピアギン、ルー、それで僕何やれっていうんだよ!と頭が真っ白になって、しかもそのバンドはマイク使わないんですよ。個々のプレイヤーのセンスで音量を任せるっていう。僕はとにかくガムシャラで、何が何だか分からないまま汗びっしょりで終えて、客席に戻っても放心状態。その出来事自体がマサカですね!
JK:でも吹いたわけですね! 一番忘れられない出来事! そこにいること自体が奇跡ですよね。
TOKU:想定外だったことってたくさんあるんですけど、とくにJAZZの世界では。次の日ランディ・ブレッカーが電話くれて、「You sounded so great last night」って言ってくれて。嘘つけー!!
出水:いやいや本音ですよ! ブラボーじゃないですか!!
TOKU:おうちに呼ばれてご飯も奢ってくれたので、嘘じゃなかったと思いますが(^^;) でもあの経験は大きかったです。
(TBSラジオ『コシノジュンコ MASACA』より抜粋)