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大航海時代に海を渡った「幻の安土山図屏風」を追う【新・戦国史 #4】

NHK出版デジタルマガジン

大航海時代に海を渡った「幻の安土山図屏風」を追う【新・戦国史 #4】

信長がすべてを注ぎ込んで築き上げた究極の城、安土城。「幻の安土山図屛風」から往時の姿に迫る。

科学×歴史で日本史上のターニングポイントを鮮やかに描き、大きな反響を呼んだNHKスペシャル「戦国サムライの城」の書籍化作品『新・戦国史 城から迫る乱世の終焉、泰平のはじまり』の第3章「消えた安土山図屏風と大航海時代」より、その一部を特別公開。

書影

 前章までは、信長が築いた小牧山城・岐阜城・旧二条城・安土城という四つの城を中心に、「見せる城」づくりという観点から、どのように近世城郭が誕生するに至ったかを見てきた。しかし、安土城を築いた信長の視線は、戦乱が続く国内だけに向いていたわけではない。さらにその先、スペインやポルトガルといった国々によって大航海時代を迎えた「世界」にまで広がっていた。

 近年の研究では、当時、世界的な貿易通貨として重要な地位を占めていた銀が、戦国日本で大量に採掘され、有数の銀産出国として世界経済に大きな影響を及ぼしていた実態が浮き彫りになってきている。

 銀を求めて、ポルトガル商人や中国商人をはじめとする多国籍・多民族の集団が日本に押し寄せ、銅・鉛・硫黄といった軍需物資などとの活発な貿易が展開された。戦国日本もまた世界情勢の中で大きな変革を遂げようとしていたのである。

 本章では、そうしたグローバリズムの時代背景を踏まえながら、ヨーロッパに渡ったとされる「幻の安土山図屛風」の調査研究を追い、信長が安土築城の先に何を見据えていたのかを探っていく。

海を渡った「幻の安土山図屛風」

 信長が自らの城づくりのすべてを注ぎ込んで築き上げた究極の城、安土城。その姿を描いた絵図として現在確認されている最も古いものに、「江州(ごうしゅう)安土古城図」、通称「貞享(じょうきょう)古図」がある。安土山一帯を真上から見下ろした平面図で、「近江国蒲生郡(おうみのくにがもうごおり)安土古城図」、そして「貞享四丁卯年仲秋」といった文が右上に書かれていることから、一六八七年(貞享四)に描かれたものだと考えられている。

 安土城が築かれてから約一〇〇年後、信長の百回忌にあわせて製作されたものとみられ、絵図の中に登場する屋敷に「羽柴秀吉」や「家康公」といった名が並ぶなどしていることから、江戸時代以降の憶測も加わっている可能性が高いが、一方で描写されている曲輪・石垣の位置や形状が現状の安土城跡に近いため、一六八七年時点の城跡を実測して製作されたものではないかとされる。

安土城を描いた最も古い絵図として確認されている「江州安土古城図」(写真 提供:国立国会図書館)

 その他にも安土城を描写した事例としては、一八一四年(文化一一)、現在も安土山にある摠見寺という寺院を描いた「近江名所図会(ずえ)」や、一八九六年(明治二九)、絵師・嵓碕品山(いわさきひんざん)が模写した「安土城図」など、かなり時代が下ってから描かれた絵図はいくつか存在する。しかし、いずれも安土築城時と製作時期がかけ離れていることもあり、往時の安土城の姿に迫る手がかりにはなりえないと評価されているのが実情である。ところが、そうした中で、同時代に安土城の姿を描いた可能性が高い貴重な存在として、研究者たちの注目を集めている幻の作品がある。それが「安土山図屛風」。この屛風をめぐる調査が今、大きな進展を見せている。その詳細を述べる前に、屛風の存在をうかがわせる記録の中から一部を抜粋して見てみよう。

江戸末期に安土山の摠見寺を描いた「近江名所図会」(写真提供:滋賀県立図書館)
明治時代の絵師・嵓碕品山が模写した「安土城図」(所蔵:大阪城天守閣)

 一つ目は、一五八二年(天正一〇)二月一五日付、イエズス会日本準管区長を務めた宣教師ガスパル・コエリョ(一五三〇〜一五九〇)がイエズス会総長に宛てて書いた記録である。そこには屛風を製作する過程やその内容が、断片的ではあるが見て取れる(『十六・七世紀イエズス会日本報告集 第Ⅲ期 第6巻』松田毅一監訳・東光博英訳、同朋舎出版、一九九一年より引用)。

私が語るべき恩恵の一つは日本の諸侯が用いる類いの装飾用の壁(バンノ)を信長が作ったことで、これは彼らの間では非常に珍重されており、屛風(beobus)と称するものである。彼が屛風を作らせたのは一年前のことであり、日本でもっとも著名な画工に命じて、これに当市と彼の城を実物と寸分違わぬほどありのままに、また湖および諸邸宅などすみずみまでを能うる限り正確に描かせた。彼が実物と少しでも異なっていると思うところはことごとくすぐさま消して新に描かせたので、その(作業)には多くの時間を費やした。結局、彼の好み通りになったが、非常に出来栄えのよい完璧な作品であった。この屛風は著名な画工が多大の熱意をこめて製作したものであり、信長はこのような作品に満足しこれをたいそう珍重したので、屛風は政庁所在地一帯で大いに評判となった。

 この記録に、「実物と寸分違わぬほどありのままに」とあるように、屛風には安土城とその城下町、そして琵琶湖の様子などがかなり緻密に描写されていると考えられる。城づくり同様、信長は強いこだわりを持って、満足いくまで徹底的に屛風をつくり込ませた。この記録には続けて、安土の地を訪れた巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノに対して、信長が贈り物として屛風を届けさせる場面が描かれている。

(巡察)師に深く感謝するとともに記念および司祭たちに対する情愛の印として何かを贈り、同師が帰国する時に携えて行くことを望むが、貴重品について考えたところ、高価な物はことごとくヨーロッパからの招来品であるため意に叶うものが見つからない。ただし、(そこの)その学院(コレジオ)(神学校)を描いて持ってゆく希望があるならば(と考えて)、自分の屛風をお目にかけるために届けた。もし気に入れば留め置けばよいし、気に入らねば送り返すように、と伝えた。我らがまだ屛風を開いて見ぬうちに、さっそく、一人の武士が信長からの別の伝言を携えて到着し、屛風が(巡察)師の気に入らねばただちに彼の許へ送り(返す)ようにと伝えた。

 不要であれば返却するように繰り返し伝える記述からは、信長がこの屛風をいかに大切に扱っていたかがうかがえる。自らの集大成である安土城を描かせた屛風もまた、信長にとって、何にも代えがたいものになっていたのであろう。

「Newe Zeyttung auss der Insel Japonien(日本島からのニュース)」と題し、 1586年、ドイツ・アウグスブルグで印刷された天正遣欧使節の木版画。右上・ 伊東マンショ、右下・千々石ミゲル、左上・中浦ジュリアン、左下・原マルチノ、 中央・案内兼通訳のメスキータ神父(写真提供:京都大学附属図書館)

この続きは『新・戦国史』でお楽しみください。本書は以下の構成で、信長から家康へと続く城郭革命の実像を描き、「近世城郭誕生の秘密」に迫ります。

第1章 信長の城郭革命
第2章 令和の大調査で迫る安土城
第3章 消えた安土山図屛風と大航海時代
第4章 秀吉が残した慶長の築城ラッシュ
第5章 家康の国づくりと名古屋城
第6章 巨大城郭がもたらした技術・社会変化
第7章 「泰平の世」はいかに到来したか

NHKスペシャル取材班
最新の発掘調査と科学的分析から近世城郭の誕生に迫った、NHKスペシャル「戦国サムライの城」の制作チーム。同番組は、信長から家康へと続く城郭革命の実像を描き、大きな反響を呼んだ。
※刊行時の情報です

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