岡山県瀬戸内市「牛窓テレモーク」は施設と店舗が共に育む”小さいお城”。地域に根ざした診療所を交流の場に再生
地元に根付いた牛窓診療所の閉鎖と未定だった活用法
岡山県南東部、瀬戸内海に面した穏やかな雰囲気が魅力の瀬戸内市牛窓町(うしまどちょう)。牛窓町の海に臨む場所に、多くの人が足を運ぶ注目の施設がある。それが「牛窓テレモーク(ushimado TEPEMOK)」だ。かつて地元に根付いた歴史ある医療機関「牛窓診療所」だった建物を活用し、複合施設として生まれ変わらせたものである。
施設内にはおしゃれな飲食店や小売店、美容院、スタジオ、ギャラリー、コワーキングスペース、イベントスペースがあり多彩。海を眺めながらくつろげる場所として、老若男女問わず人気がある。
牛窓テレモークがある牛窓町の中心地・牛窓地区は、古くから潮待ちの港として栄えた歴史ある港町だ。江戸時代には北前船の寄港地としても繁栄し、朝鮮通信使の寄港地となった重要港だった。松尾芭蕉も牛窓を訪れたとされ、「牛窓は とかく水鳥(くいな)の 名所かな 」という句を残している。ほかにも藤原定家や菅原道真も牛窓の歌を残しており、牛窓の美しい景観は多くの人を魅了した。
近代になると牛窓は周辺地域との合併により、邑久郡牛窓町になる。そして2004年、同じ邑久郡の邑久町(おくちょう)・長船町(おさふねちょう)と合併し、瀬戸内市が誕生。市役所の本庁舎は邑久町に置かれた。
現代の牛窓は、瀬戸内海に面した風光明媚な観光地として人気で、「日本のエーゲ海」とも呼ばれている。また農業や漁業も盛んで、キャベツやちりめんは名産品として知られるほか、オリーブ栽培も盛んだ。
「観光地・牛窓を有する牛窓町には、華やかなイメージを持っている方は多いと思います。その一方で、鉄道も高速道路もなくアクセス面で不利な牛窓町では、少子高齢化や人口減少が進行し、地域において空き家の増加などの課題が深刻化している現実があるのです。そこで牛窓町では、人口減少の対策の一つとして、移住促進に力を入れています」と話すのは、瀬戸内市の産業建設部 建築住宅課 都市計画準備室の松井 隆明(まつい たかあき)主幹。
かつて松井さんは、移住促進の部署に所属していた。そして、牛窓テレモーク誕生のキーパーソンとなった人物である。
2016年のある日、移住促進の仕事のため牛窓町内を移動していた松井さん。たまたま閉鎖されたばかりの牛窓診療所の前を通りかかる。海辺にたたずむ廃墟となった診療所を目にしたとき「この施設や景観を生かして、地域の活性化や移住促進につなげることができるのではないか」という思いがこみ上げてきたという。
この出来事が牛窓テレモーク誕生のきっかけになる。
診療所跡を活用し、牛窓の活性化と移住促進につながる場所を
牛窓診療所は、1945年に牛窓町立牛窓病院として開院。入院設備を有する総合病院として、牛窓町の地域医療を担ってきた。しかし、牛窓町が合併で瀬戸内市になったあと、入院機能は市内の中心である邑久町にある瀬戸内市民病院へ集約され、瀬戸内市立牛窓診療所となった。しかし施設の老朽化などの理由により、2016年3月に閉鎖されたのである。閉鎖後は活用法が考えられることもなく、放置されていた状態だった。
何とか旧牛窓診療所を活用していきたいと考えていた松井さんは、同僚たちに相談。しかし、牛窓診療所の閉鎖に対して住民からは反対や不安もあったため、住民の理解が得られないのではないかという声があった。それでも、松井さんは考えを変えなかった。
「移住を促進していくためには、牛窓に魅力を感じてもらい、自発的に移住をしてもらえるようにする必要があると、ずっと考えていました。そのためには、牛窓のよさが伝わるような場所づくりが重要だと思ったのです」
牛窓診療所の活用法を一人で考えていたとき、総務省が開催している「公共施設オープンリノベーションマッチングコンペティション」の存在を知った。同コンペティションは、国内の地方自治体から活用方法が決まっていない公共施設がリストされ、建築家やクリエイターらが任意の公共施設の活用方法を提案するもの。何か活路が見いだせるかもしれないと考えた松井さんは、参加に費用がかからないため、実験的に同コンペティションに、公共施設として参加することにした。
「参加してみて、驚きました。牛窓診療所に対し、全国の建築家や設計士などから非常に多くの提案があったのです。アクセスが良いとはいえない施設にもかかわらず、ここまで多くの人を魅了する場所だったのかと再認識しましたね」
コンペティションを通じて全国の人から魅力を感じてもらえる場所だという結果が示されたことにより、松井さんの牛窓診療所の活用の可能性が広がっていく。
少しずつ動き始めた牛窓診療所跡の活用策。最初に始めたのが、2017年の診療所跡でのトークイベントだった。これは施設を活用するにあたって、建築家などのプレーヤーに施設を見てもらったり、アイデアを出してもらったり、課題点を洗い出したりといった意見を広く集めることが目的だった。トークイベントには、市内外から65人が参加したという。
「このイベントで気づいたのが、私の認識と参加者の認識のズレでした。私がずっと考えていたのは、牛窓診療所の建物をどうしていくかということ。しかし参加者の多くから出る言葉は、牛窓という地域をどうしていくかということだったのです。イベントをきっかけに、私は『牛窓をよくするために、牛窓診療所の建物をいかに活用していくか』という考えに変わりました。牛窓がよくなることで、結果として移住促進にもつながると考えたのです」
サウンディングツアーやトークイベント、デザインミーティングといったイベントが2017年から2018年にかけて4〜5回開かれ、牛窓の将来や施設の活用についてさまざまな意見が出された。イベントの最後の回では、具体的な活用法のプレゼンも行われたという。少しずつ牛窓診療所の活用についての機運を高めていき、ついに牛窓診療所のリノベーションを行う民間事業者の公募を始める。そして2019年に決定した事業者が、株式会社 牛窓テレモークと株式会社 西舎(にしや)だ。
施設のスタートから約10年後がピークになるような運営
株式会社 牛窓テレモークは、牛窓診療所の活用のために生まれた組織。メンバーの多くは、先のイベント参加者だ。株式会社 西舎は、岡山市で不動産事業を営む企業である。代表の打谷 直樹(うちたに なおき)さんもイベントに参加している。
牛窓テレモークの代表を務める小林 宏志(こばやし ひろし)さんは、トークイベントの1回目から参加していた。もともと小林さんは倉敷市の出身だが、家族の都合により牛窓に移った。2008年より牛窓でカフェ「てれやカフェ」を経営している。
「私は最初、まちづくりという観点というより、住民の間で親しまれてきた牛窓病院・牛窓診療所の建物を、何かしらの方法で残していきたいという思いが強かったです。牛窓の人のなかには、牛窓病院で生まれ、牛窓病院で病気やけがの治療をしてもらい、牛窓病院で亡くなっていったという方は多いと思います。ずっと住民の人生に寄り添ってきた施設だからこそ、住民の思い入れも大きいはずです。私は牛窓出身ではありませんが、長年にわたり牛窓で暮らし、仕事をしてきました。住民の一人として、何か力になりたいと思ったのです」と小林さんは振り返る。
一方、打谷さんは知人から紹介されてイベントに参加したという。そして「不動産のプロフェッショナルの立場として、力を貸してほしい」と打診を受けて、牛窓テレモークに参加することになった。
打谷さんは、そのときの心境を次のように語る。「かつて私は、ディベロッパーで仕事をしていました。いつしかディベロッパー主導ではない、活動が主体となった複合施設の運営に興味を持つようになったのです。牛窓診療所の活用は、まさに私のやってみたかった仕事でした」
やがて小林さん・打谷さんを含め、メンバーは5人に。以前からの牛窓在住者、牛窓への移住者、牛窓町外の岡山県民という構成だ。メンバーで話し合いを重ねるうち、少しずつ方向性が見えてくる。
打谷さん:「目標としたのが、施設のスタートから10年後くらいがピークになるように考えて運営することです。本来なら、最初からテナントをたくさん入れるのが通常ですよね。家賃収入が安定しますので。しかし、私は過去の経験から、このやり方は柔軟さがなく、状況に合わせた臨機応変な対応が難しいと思いました。
そこで施設を育て、魅力や価値観を浸透させつつ、共感していただける事業者さんが現れたらテナントとして入居してもらい、じっくりと商いをしてもらう方法にしたのです。施設運営側とテナント側が二人三脚で、一緒にゆっくりと施設を育てていきたいと思いました」
また、牛窓テレモークは「文芸的で公共的な交流の拠点」というコンセプトを打ち出している。文化活動や芸術活動をきっかけにし、交流が広がる場所、拠り所になる場所にしたいとの思いがあった。そのためテナントとしてギャラリーや音楽・映像スタジオが入るほか、音楽・美術・映画などのイベントができるイベントスペースを備えている。
牛窓ゆかりの翻訳家の絵本「ちいさいおしろ」にちなんだ名前「テレモーク」
「施設運営側とテナント側が二人三脚でゆっくりと施設を育てていく」という方針は「牛窓テレモーク」という名前につながっているという。「テレモーク(tepemok)」はロシア語で「小さな城」という意味だ。そして、ロシアに伝わる昔話の題名でもある。あらすじは、小さな城にいろいろな動物たちが集まって暮らしていたところ、クマが現れて城を壊されてしまうが、みんなで力を合わせて城を建て直すというもの。
小林さん:「テレモークの話は、閉鎖した診療所を新たな施設として生まれ変わらせ、みんなで一緒に育てていこうとしている私たちの現状に重なりました。また、テレモークの絵本を『ちいさいおしろ』として翻訳した児童文学翻訳家の西郷竹彦(さいごう たけひこ)先生は、1980年代から亡くなるまで牛窓で暮らしていたんです。ちょうど牛窓診療所の活用法の話が始まり出した2017年に、西郷先生は亡くなりました。西郷先生のご縁もあり、テレモークという名前を採用することにしたのです」
こうして牛窓診療所の新たな名称、および事業者名を「牛窓テレモーク」と定める。牛窓診療所のリノベーション事業に牛窓テレモークと西舎の共同企業体として応募し、事業者に決定した。
そして、2019年より工事が始まる。プレオープンとしてのイベント開催を経て、2021年6月の「牛窓テレモーク」の正式オープンに至る。
牛窓テレモークは、外観の多くが診療所時代のまま手つかずで使われている。館内の壁は、閉鎖後の保守工事後の姿のままだ。最低限の工事によって限られた予算の中でリノベーションを行うとともに、地元に根付いた施設の面影を残したいという思いもあった。
また1階天井・2階の床をくり抜いている部分がある。これは延べ床面積を減少させることで、スプリンクラーの設置等の消防要件をクリアする目的もある。
小林さん:「牛窓テレモークの特徴を一言で表すなら『個性的な小商いの集合体』ですね。あえてこの場所で商売をしたいという人は、何かしらの個性やこだわり、考えを持った人だと思うのです。だから各テナントの個性が光るように、牛窓テレモークという施設自体の個性はあまり打ち出さないようにしています」
打谷さん:「さまざまなテナントの個性が発揮されることで、それが合わさって牛窓テレモークの色になっていくイメージです。強いて牛窓テレモークがどんな場所か言うならば、『誰もが商いに挑戦できる場所』ですかね。『私だったらこの施設を使って、こんなことができます!』といった提案ができる方も歓迎です」
用事がなくても来館歓迎。消費を前提としない施設運営
2025年の取材時点で、牛窓テレモークのテナントは1階に5施設、2階に5施設。さらにイベントスペースや、無料で利用できる休憩スペースもある。テナントのジャンルも多彩で、飲食店・小売店のほかにも美容室やギャラリー、音楽や写真の制作スタジオ、建築事務所、コワーキングスペースまである。
打谷さん:「牛窓テレモークは、テナントの利用のためでなくても入館できます。イスに座って、牛窓の海を眺めながら友人と話をしたり、くつろいだりするだけでもOKです。むしろ、テナントに用事がなく、フラリと立ち寄るのは大歓迎です! 入館料はありませんので、お気軽にお越しいただけるとうれしいですね」
小林さん:「目指すのは、消費だけを目的にした運営にしないこと。話をしたりくつろいだりしに牛窓テレモークに来て、その延長として飲食店や小売店を利用していただけるようにしたいです。消費だけを目的にすると、利用する用事がなければ、来てもらえませんから。まずは来ていただけることが大事。ぜひ、暇つぶしに牛窓テレモークに来てもらいたいですね」
牛窓テレモークのテナントで働くスタッフには、地元や周辺地域の人のほかに、Uターンした人や移住してきた人がいるという。実際にスタッフに話を聞いてみた。
為房 夏生(ためふさ なつき)さんは、牛窓テレモークに事務所を構える音楽・映像の制作スタジオ「Studio TEPEMOK(スタジオ・テレモーク)」で働く。牛窓の出身で、広島県内の制作会社で音楽・映像を見習いで学び、故郷・牛窓にUターンした。
「もともと音楽や映像の制作の仕事をしたかったのですが、牛窓で音楽・映像の仕事を探すのが難しく、地元を離れて運送業で働きながら、広島県の会社で見習いとして音楽や映像制作を学んでいました。しかし牛窓テレモークができたおかげで、牛窓でも音楽・映像の会社ができ、そこで働くことになって帰郷しました。地元でやりたい仕事ができる現在の環境は、本当に最高です。都会にはない牛窓らしさ、牛窓テレモークのよさを強みにし、よりよい制作物をつくっていきたいと思います」
また、自然食料品店「みなとマート」の藤田 真(ふじた まこと)店長は、同店の店長に就いたのを機に牛窓へ移り住んだ。
「大学進学のために岡山県に引っ越しし、卒業後に自然食料品店に就職。みなとマートの店長を任されるとともに、居住者を探している牛窓の古民家も紹介されて、そこに住むことになりました。私の出身地も海沿いの町なのですが、牛窓とは違って工業地帯なので、まったく雰囲気が違いますね。穏やかで自然豊かな牛窓の海が好きです。海を見るとリラックスできます。職場でも自宅でも、海を眺められるのがいい点です」
藤田さんはプライベートで時間があるときに、自宅のリフォーム作業を自ら行っており、楽しみの一つになっているという。
地元の自慢の施設に。伝統の祭の会場にも
牛窓テレモークのオープンが4年が経過し、牛窓ではどのような影響があったのだろうか。打谷さんは、牛窓テレモークを目当てに牛窓を訪れる人が多いと話す。
「来館者の約8割が遠方からの観光客で、残りが地元や県内周辺地域の人。ゴールデンウィークや夏休み期間などの観光繁忙期には、非常に多くの人が訪れてにぎわいます。とくに関西圏から来られる方が多いですね。また、普段の常連のなかには、兵庫県西部・播磨地方の人も多いです。来館者の世代は若者からファミリー層、お年寄りまで。かなり幅広い世代の方々にお越しいただいています」
また、地元の人に反応の変化について、小林さんは次のように語る。
「正直なところ、地元の人は当初様子見をしているところがあったと思います。しかし最近は、地元の人が牛窓テレモークがあることが自慢だと思っているような声が多くなりました。他地域の人にテレモークを紹介してくれたり、メディアでテレモークが紹介されると、そのことを喜んでくれたりしています。地元の人が味方になってくれることは、とても心強いですね」
また牛窓テレモークが地元に浸透してきたことで、地元の年配のグループがテレモークでお茶を飲みながら話をしている光景を目にする機会も増えたという。
さらに地元の昔から続く祭で、牛窓テレモークがだんじりや神輿の立ち寄り場所になったり、踊りの会場になったりしている。「牛窓テレモークという施設が、地元に根付いてきたと感じています。またテレモークを祭の会場にすることで、テレモークを訪れた他地域の人にも地元の伝統文化を見てもらえるというメリットがあることも大きいですね」と小林さん。
なお、テレモークを祭の会場の一つにするという話は、地元住民側から声をかけてきたそうだ。
テレモークになった今も、形を変えて病院のような役目を果たしている
地元や市外の人たちに、少しずつ浸透している牛窓テレモーク。市役所や運営に携わる人は、今後この施設をどのようにしていこうと考えているのだろうか。
打谷さん:「先ほど話したように、牛窓テレモークでは、テナントの個性が光るために施設側が前に出ないようにし、『隙間』がある運営を心がけています。私たちは、牛窓を訪れた人が『暮らしてみたいな』と思えるような魅力を伝えること、そして実際に暮らす人が集まるようになることが理想型と考えています。それを実現させるために、隙間のある運営をしているのです。景観や名産品も牛窓の魅力ですが、それだけでは移住につながらないと考えています。牛窓テレモークでの体験が『牛窓の暮らしって楽しそうだな』と思ってもらえるきっかけになることが目標です」
小林さん:「もともと牛窓テレモークは、病院でした。この町の人が生まれ、治療を受けてきた場所です。場所が持っている力なのでしょうか、牛窓テレモークは何かを生み出す力がある施設だなと、最近感じています。新たなお店が生まれたり、新たな企画が生まれたりしているんです。また、牛窓テレモークでくつろいで、心を癒やしに来ている方も大勢います。これは、まるで病院で治療を受けに来ているように感じました。牛窓病院は形を変えながら、今も病院のような役目を果たしていると私は思っています。そういう観点では、牛窓病院・診療所は今も住民とともに存在しているといえるのではないでしょうか。牛窓病院・診療所と同様に、今後も住民の方に大切にされる施設にしていきたいです」
瀬戸内市役所の松井さんは現在は部署を異動し、瀬戸内市全体の都市計画やまちづくりを担っている。
「牛窓テレモークには、おかげさまで県内外から多くの方に来館していただいています。牛窓の魅力を少しでも知ってもらえる機会になっているのではないでしょうか。実際に、移住の相談も増えました。もともと牛窓診療所跡地は牛窓に移住してみたいと思ってもらい、そして牛窓の未来につなげていくための施設をつくることが目的でした。
今後は牛窓町という地域全体、ひいては瀬戸内市全体というエリア全体に視野を広げて、この取組を通して再認識した牛窓の良さや強みを、瀬戸内市全体のまちづくりに生かすことを考えていくことが求められているのかなと思い、気を引き締めています。たとえば空家問題など、解決すべきことは多いですから」と、松井さんは次なる目標を語る。
松井さんの業務を引き継いだのが、総合政策部 企画振興課の正富 加那子(まさとみ かなこ)主査。「牛窓テレモークは、牛窓町の魅力発信や課題解決の起点になっていく場所だと思います。人口の増減も課題ですが、人口増減とは関係なく町に活気があることも大事だと考えています。活気がなければ、地域に人は集まりません。そのために牛窓テレモークは重要な拠点です。異動した松井の思いを引き継ぎながら、牛窓テレモークの勢いや牛窓活性化の流れを今後も進めていけるよう、少しでもサポートしていければと思っています」と話す。
牛窓テレモークは、牛窓住民の暮らしを支えた病院・診療所の役割を受け継ぎながら、新たなにぎわいと交流生み出す場所として生まれ変わった。牛窓の穏やかな海や港町の雰囲気のように、ゆっくりと育まれていく牛窓テレモークの今後に注目したい。
※取材協力:
牛窓テレモーク
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