ボーカリスト小泉今日子の魅力「Ballad Classics」キョンキョンがのぼり始めた大人の階段
小泉今日子、ニューアルバム『Ballad Classics Ⅲ』をリリース
ドラマにツアーにイベントにラジオと、最近アクティブに活動を行っているキョンキョンが、またまた嬉しい報せを届けてくれた。
10月26日からスタートする全国ツアー「BALLAD CLASSICS」に合わせて、ニューアルバム『Ballad Classics Ⅲ』(以下『Ⅲ』)を9月25日にリリースするというのだ。新規の録音曲はなく、すべて既発アルバムやシングルから選曲されたベスト盤だが、注目はアナログ盤も同時発売されること。収録曲の中には初めて “アナログ化” される曲もあるので、ターンテーブル派のリスナーにとっては “こりゃたまらん!” である。
それだけではない。既発の2作『Ballad Classics』(1987年、以下『Ⅰ』)『Ballad Classics Ⅱ』(1989年、以下『Ⅱ』)も装いを新たに『Ⅲ』と同日に発売されることになった。3作ともCDはGoh Hotodaがオリジナルマスターから完全リマスタリングを行い、デジパック仕様で発売されるそうだ。
また『Ⅰ』『Ⅱ』もアナログ盤再リリースが決定。『Ⅲ』も含め、アナログ盤は小鐵徹のカッティングによる重量盤2枚組でリリースされる。名曲が詰まった名盤がいい音で聴けるのは素敵なことだ。全国ツアーのチケットを入手できた幸運な方々は、ぜひ事前に3作を聴いて “予習” しておかれることをおススメする。
「Ballad Classics」3作を3回連続でレビュー
ところで私は、今年7月末に『小泉今日子の音楽』(辰巳出版)という本を出版した。1982年〜1998年までのシングル39枚・アルバム21枚について、楽曲制作の裏側や時代背景も含めて綴った1冊だ。この本ではベスト盤の解説の対象から除いたが、この『Ballad Classics』2作についてはどうするか、けっこう迷った。
というのも、両作とも単に既発曲を集めただけのベスト盤ではないからだ。『Ⅰ』には新録音の曲も収録されているし、『Ⅱ』に至っては全曲、別アレンジで歌い直しているからだ。結局、拙著ではページ数の関係もあって『Ⅱ』だけ取り上げることにしたが、本当は『Ⅰ』も解説したかった。今回、補完する機会を与えていただいたことに感謝したい。ということで、当コラムでは『Ballad Classics』3作を3回連続でレビューしていく。まずは『Ⅰ』から。
これまでのアイドル路線とは違ったカラーを出していこうと模索していた1987年
このアルバム、ジャケットがとにかく素晴らしすぎる。ペーター佐藤の筆による小泉今日子の肖像画で、この表情がとてもいい。キョンキョンのアルバムジャケットの中では本作がいちばん好きかも(小泉本人も同じことを語っている)。
『Ⅰ』がリリースされた1987年、キョンキョンは21歳。この年シングルは、バックに女性バンドを従え歌った「水のルージュ」(2月、オリコン最高1位)、土屋昌巳プロデュース、井上ヨシマサ作曲の「Smile Again」(7月、同2位)、野村義男が作曲したLAメタル調「キスを止めないで」(10月、同1位)の3枚をリリース。これまでのアイドル路線とは違ったカラーを出していこうと模索していた時期だ。そして12月に本作をリリースしたのである。
私が先述の本を執筆するにあたって、ロングインタビューをお願いした元小泉担当ディレクター・田村充義氏(以下:田村D)は “ありきたり” で済ませることを絶対にしない人である。ベスト盤を出すにしても何か新しく、面白いことを、ということで浮かんだ企画が “バラード曲だけで構成されたベストアルバム” だった。田村Dはミディアムテンポ、スローテンポの曲でもシンガー・小泉今日子はじゅうぶん戦える、と考えていたからである。
そのことは、この『Ⅰ』に収録されたシングル3曲「魔女」(1985年、オリコン最高1位)、「夜明けのMEW」(1986年7月、同2位)、「木枯しに抱かれて」(1986年11月、同3位)のヒットですでに実証されていた。また小泉自身も “ホントはスロー、ミディアムテンポの曲が好きなんです。自分の声にも合っていると思う” と語っている。本アルバムはまさに、小泉が歌手としても成長した1987年を締めくくるのにふさわしい1枚だった。
アルバム「今日子の清く楽しく美しく」のラストを飾った「風のファルセット」
全体の構成だが、全14曲中、シングルA面曲は5曲。他の9曲はアルバム曲とシングルB面曲・未発表曲で “ヒット曲以外にも聴かせる曲はいっぱいありますよ” という制作側の自信が窺える。正直、どの曲についても書きたいことがいろいろあるのだが、長くなるので、ここは泣く泣く曲を絞ろう。
7曲目「風のファルセット」は、康珍化&都倉俊一コンビの作品。アルバム『今日子の清く楽しく美しく』(1986年)のラストを飾る曲だ。「なんてったってアイドル」(1986年11月、オリコン最高1位)を収録したアルバムだが、アナログ盤ではハッチャケたA面の “IDOL SIDE” に対して、B面は “ARTIST SIDE” と銘打ち、聴かせる曲が並んでいる。その “ARTIST SIDE” のトリがこの曲だ。
彼氏に “(自分も知っている)他の子を抱いた” と告げられる歌で、女性にとってはまことにキツいシチュエーションだ。「♪最後まで 胸の奥に しまってて 欲しかった」と辛い心中をチラリ。「♪一度だけ 許したけれど」と気持ちの整理はついたのかと思いきや、「♪だけど愛は 泣いているの 風のファルセット」。
そう、彼氏の前では “もう、そういうことはしないでね” と気丈に振る舞っているけれど、心の中では号泣しているのだ。だが曲調は明るく軽快なので、つまり表現力を要求される曲だが、キョンキョンの歌いっぷりはみごと! 相手の男に “こんないい子を泣かすんじゃないよ!” とひとこと言いたくなってくる。最後に入っている「だけど 愛は泣いているの…」という台詞が印象的だ。
で、『Ⅰ』に収録されているのはこのオリジナルバージョンではなく、アレンジが異なる新録音の “Another Version” である(編曲はどちらも中村哲)。オリジナル同様、曲調は明るいのだが、ストリングスとバックコーラスを立ててしっとりとした感じになっている。小泉の歌を、よりじっくりと聴かせようという意図だ。最後の台詞もカット。その本心は言わなくても、曲中でじゅうぶん表現できている、という制作側の判断だろう。私はまるで語るように歌う、こちらのバージョンのほうが好きだ。
本アルバム収録まで未発表だった “新曲” 「胸いっぱいのYesterday」
そして、注目は、8曲目「胸いっぱいのYesterday」(作詞:戸沢暢美、作曲:林哲司)。本アルバム収録まで未発表だった “新曲”で、林哲司作品だけあって、イントロからしてもう80年代シティポップ。キャッチーで洗練されたサビ頭の構成とか、杏里が歌っていてもおかしくない曲だ。これも、彼氏の浮気を知った女性が主人公で、「風のファルセット」と対をなしている。
こちらの彼氏は、新しい彼女の存在を隠し通して、ぬけぬけとキスまでしていたとんでもない奴だ。「風のファルセット」はお手つき1回で許したけれど、こっちは許さず、浮気男にキッパリ別れを告げる。都会のビルの屋上で、星空を見上げて哀しみを捨てる主人公。「♪Blue 涙の河なら 渡れると思いたい / Blue 傷つかないまま 恋を終われはしない」……心の強さを示すこのフレーズを説得力を持って歌うには、歌手本人が自分の意思を持ち、自立していないといけない。この曲が収録されたことは、小泉が内面的にも大人になったことを示す証だ。
「小泉今日子のオールナイトニッポン」のエンディングテーマ「One Moon」
林哲司の曲はもう1曲収録されている。12曲目「One Moon」だ(作詞:川村真澄)。小泉が片面のプロデュースを手掛けたアルバム『Hippies』(1987年)に収録されている曲で、オーケストラをバックに、やさしく包み込むような小泉の歌がじんわり沁みる名曲だ。当時担当していた『小泉今日子のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)のエンディングテーマでもあった。
こちらも『Hippies』収録のものとは違う “Whisper Version” で、ボーカルを抑えめに、より囁くような感じで歌っていて、より沁みる。この頃のキョンキョンは表現力の伸び方が著しく、20歳を過ぎて何かつかんだ感じがするが、それを象徴する歌いっぷりだ。今度のツアーはストリングスを入れるそうなので、ぜひ歌ってほしいし、きっと終盤で歌ってくれるだろう。…きっと泣く人、いるんじゃないかな。
“声の表情” に注目してほしいバージョン違いの「木枯しに抱かれて」
シングル曲の “バージョン違い” についても触れておこう。3曲目「木枯しに抱かれて」は『Hippies』収録の “Another Version" が収められている。イントロにもあの印象的なバグパイプ風の音が使用されていたり(田村Dによると、あの音は今剛のギターとのこと!)、オケが違うので聴き比べてもらいたいが、この曲では小泉の “声の表情” に注目してほしい。
この曲、軽快なマーチ風だが、内容は “片想い” の歌なので、曲中での感情の運び方が難しい。小泉は、冒頭は抑え気味に歌い「♪泣かないで恋心よ 願いが叶うなら」では一転、力強く歌い上げる。サビの「♪せつない片想い あなたは気づかない」も、冷たい木枯しが吹きつける中、恋の炎を燃やす少女の熱い心が伝わってくる歌い方だ。この才能を引き出した作者、THE ALFEE・高見沢俊彦の手腕には拍手しかない。
なお、高見沢作品はもう1曲収録されている。アルバムの掉尾を飾る14曲目「The Stardust Memory」(1984年12月、オリコン最高1位)だ。これもシングルとは異なる “Slow Version” で、ビートルズの「イエスタデイ」を思わせるイントロから、アコギとストリングスだけをバックに歌い上げるという、実力がなければ歌えないバージョンだ。当時聴いて衝撃を受けたけれど、これも大傑作。オリジナルしか聴いたことがない人は、ぜひ今すぐ聴いてほしい。
高見沢は発注を受けたとき “アイドル曲” と思わず、“キョンキョンが後々まで歌える曲になるように” という思いを込めて上記2曲を書き、実際にそうなった。80年代J-POPを創った中心人物たちが顔を揃えたこの『Ballad Classics』は、歌手・小泉今日子のボーカルがそれだけ魅力的だったことの証だ。大人の歌手への階段をのぼり始めたキョンキョンの歌に、たっぷりひたってほしい。