陶芸家 恒枝直豆さん 〜 北の国から浅口市へ。自由な感性から生み出される普段使いの備前焼/浅口市
岡山県を代表する伝統工芸品「備前焼」。
窯元が集まる備前市はもとより、倉敷美観地区周辺にも多くの専門店があり、食器や花入れをはじめ、さまざまな商品が販売されています。
浅口市を拠点に活動している陶芸家、恒枝直豆(つねき なおと)さんも、備前焼の作り手の一人です。恒枝さんは2001年から2015年までの14年間にわたる北海道・富良野市での作陶活動を経て、2016年に浅口市に移住しました。
富良野市から浅口市に移住し、穴窯を構えた異色のキャリアや、伝統の枠に縛られない独自の備前焼作りへの思いを聞きました。
陶芸家・恒枝直豆さんについて
恒枝直豆さんは倉敷市出身で、現在は浅口市を拠点に活動している陶芸家です。
実家は倉敷美観地区にある「恒枝陶芸店」で、子どもの頃から備前焼をはじめとする焼き物や陶芸作家と近い距離で育ちました。
大学卒業後、会社員生活を経て備前焼の世界に入ることに。
修業の末、縁あって学生時代に長期滞在したことのある北海道・富良野市にて、2001年に陶芸家として独立しました。以来、2015年までの14年間、富良野市を拠点に作陶活動をしました。
その後、2016年に故郷である岡山県にUターン。
作陶活動に適した物件との出会いが決め手となり、浅口市に移住しました。
以来、自宅兼アトリエとして使っている11LDKの古民家の横に穴窯を構え、年に1〜2回のペースで作品を焼き上げています。
また、東京や札幌など各地での個展の開催や、笠岡市にあるシェアアトリエ「海の校舎」で開催されているマルシェイベント「うみの市」への出店など、作り手と買い手がコミュニケーションを図れる活動を続けています。
北の大地で紡がれた縁と、独自の作陶スタイル
恒枝さんの作陶スタイルは、備前焼の伝統的な技法をリスペクトしながらも、そこに縛られず新しい価値観を取り入れたものです。
これには富良野でのさまざまな経験が反映されていました。
富良野移住の原点となった有名カレー店
陶芸家になる前、恒枝さんは富良野の有名カレー店「唯我独尊(ゆいがどくそん)」で調理補助のアルバイトをしていました。ここでの経験は、現在の作陶活動などに影響を与えていて、明るい色合いの「料理が映える器作り」につながっています。
唯我独尊のマスター(当時)は、後に恒枝さんが富良野に移住し陶芸家として独立するきっかけを与えてくれた人物で、人を楽しませることに長けていました。
そのマインドは、恒枝さんが富良野時代に携わったクラフトイベント「ふらのクリエーターズマーケット」にて、実行委員長を長年にわたりつとめるきっかけにもなったと語ってくれました。
現在も各地でのイベントに参加しているのは、富良野時代に運営側の視点や楽しさを学んだことが影響しているそうです。
薪作りから準備する窯焚き
恒枝さんの使用している「穴窯」は、燃料に薪を使用する昔ながらの陶芸窯です。業者から薪を購入して使用する陶芸家が多い中、恒枝さんは原木からの薪作りを自らの手で行っていて、これも富良野時代の経験が生かされています。
富良野では薪の販売業者がいなかったため、自ら薪を調達せざるを得ませんでした。加えて、北海道には備前焼に使用するアカマツ(赤松)がなく、代わりにカラマツ(唐松)を使い薪を作りました。このときにチェーンソーや薪割り機の使い方を習得したことが、現在の薪作りにつながっていきます。
浅口市に移住後は、広島県産のアカマツの原木を調達し、富良野時代同様に薪作りを継続。1回の窯焚きで約5tの薪を使用するため、薪作りは約1カ月かけて行われます。
「仮説と検証」の積み重ねによる作品作り
陶芸の世界では「長年の勘」が重視されるイメージがありますが、恒枝さんのアプローチは極めて科学的です。愛媛大学工学部で化学を専攻していた経験から、実験に基づいた「理系マインド」が息づいています。
その最たるものの一つが「窯焚き」です。穴窯という温度制御が難しい環境下においても、可能な限り論理的な温度管理を行っています。
通常は、窯の横に設置したデジタル温度計で一定の温度上昇を刻んでいます。最終工程にて窯内部の温度を上げる際、使い捨ての温度計(ゼーゲルコーン)と自作の色見本(テストピース)を用いて、狙った温度域をピンポイントで捉えます。
その後、灰の溶け具合や断面の焼き上がりなどを総合的に判断し、火止めを行います。
完成後の「発信」にもこの感覚は生かされています。
定期的に出店する各地のイベントを「定点観測の場」と捉えて、来場者がどのような器を求めているかをデータとして収集し、次なる作品作りへのフィードバックとしているそうです。
これは、実験における「仮説・実行・結果・考察」がそのまま当てはまる作品作りであり、恒枝さんの作陶活動における大きな特徴の一つです。
「生活の中で使うと少し楽しい」器作り
恒枝さんの作り出す備前焼は鑑賞されるための置物ではなく、生活の道具として使われることを念頭において作られています。
例えば器は「料理をおいしく見せるための道具」であり、特徴的な明るいオレンジ色の濃淡の焼き色も、料理が映えることを意識した結果たどり着いた色味です。
また、普段使いでの使いやすさも考慮されていて、器を薄く作ることを常に心がけていると語ってくれました。
恒枝さんの作品は浅口市のアトリエの他、実家である倉敷美観地区の「恒枝陶芸店」で実際に手に取り購入可能です。
恒枝直豆さんに、浅口市への移住理由と備前焼作りへのこだわりについて話を聞きました。
恒枝直豆さんインタビュー
浅口市への移住と備前焼作りへのこだわりについて、恒枝直豆さんに話を聞きました。
──北海道・富良野市から岡山県浅口市に移住された理由について教えてください
恒枝(敬称略):
2001年より富良野市山部地区にある、旧山部第二小学校をアトリエとして利用していました。しかしながら、建物を所有する市の方針や諸般の事情もあり、2015年、退去を検討することになります。
「来年、窯を焚けるかどうか分からない」という不安定な状況に陥ったことが、移住を検討する決定的なきっかけとなりました。
移住先については、最初から私の出身地である岡山県への移住を検討していました。また、粘土が凍ると作陶活動に支障が出るため、一年を通して凍結の心配が少ない温暖な地域を希望していたため、岡山県内の候補地として、(実家のある)倉敷市から遠くない場所かつ、雪の少ない県南の瀬戸内側(浅口市を含む)に絞って物件を探したんです。
物件を検索していく中で、たまたま見つけた浅口市にある11LDKの古民家が、作陶活動を進めるための条件を完璧に満たしていました。当時はまだ富良野に住んでいたので、倉敷の両親に連絡を取り、内覧に行ってもらうことに。その後、両親から大量の写真が送られてきました。
写真を見ると、11LDKの母屋とは別に納屋が2つあり、納屋と母屋のあいだに車が取り回せるくらいのスペースがあったんですね。このスペースに穴窯を据えられること、さらに11部屋もあれば母屋にアトリエも作れることが分かりました。もちろんこの場所で生活もできるため、住居とアトリエ、作品の展示スペースを1カ所で完結できました。
その後、私自身も現地を内覧した上で、2016年に現在地へ移住し、2017年には穴窯を築いて、富良野時代からの作陶活動を続けています。
──「穴窯」へのこだわりと、その魅力について教えてください
恒枝:
穴窯は、備前焼で一般的な登り窯(のぼりがま)とは構造が異なります。
登り窯が複数の小部屋に分かれているのに対し、穴窯は煙突までが一つの筒状になったトンネルのような構造です。
穴窯では、焚き口から煙突に向かって炎と煙が川のように流れます。このため、煙が強く当たる場所(焚き口側)は色が濃く付き、煙が当たりにくい場所(煙突側)は色が薄く付くという、自然な色のコントラストが生まれるのが最大の魅力です。
伝統的な登り窯では、しっかり煙を吸わせるため、焦げ茶色や灰色の重厚な色合いになりがちです。
私は、これらは花入れなどには良いものの、渋い色合いのため食器にはあまり向かないと考えています。煙を抑えて少し低めの温度で焼くことで、ツヤを抑えた茶色とオレンジ色のコントラストが生まれ、料理が映える食器になるのではと思っています。
また、登り窯は多人数での作業が必要ですが、穴窯は自分ともう1人いれば焚けるのもメリットです。富良野時代には、窯焚きに興味を持ってくれた妻の叔父が一緒に焚いてくれていました。
器の配置を考えることも穴窯を扱う上で大事な要素です。前に置いた器が「フィルター」のような役割を果たし、後ろにある器に影や複雑な模様を作り出します。
窯焚きの最終日には、6列ある横穴から順に薪を投入し、火を送り込み、窯全体の焼き上がりを調整します。
──備前焼以外にも「グラタン皿」を作られていると聞いています。どのような商品ですか
恒枝:
グラタン皿は、富良野時代に「備前焼は火にかけられるのか」というお客様からの要望に応える形で生まれました。
通常の備前焼は、焼くとよく縮む性質から密度が高く、急激な加熱で割れてしまいますが、グラタン皿はそれとは異なる「土鍋用の土」で作られています。
一般的なグラタン皿は電気窯やガス窯で均一に焼かれますが、このグラタン皿は穴窯にて薪を使って焼き上げていることが特徴です。
無作為に薪の灰が器に降りかかることで、一つ一つ異なる色のグラデーションが生まれます。これは「工業製品」としての再現性を要求される通常の焼き物とは異なり、薪窯特有の変化を楽しめるのが大きな魅力です。
岡山県内にいると備前焼に別の粘土を混ぜて焼くという発想は生まれにくいものですが、北海道という自由な環境にいたからこそ誕生したヒット作となっています。
──動物の作品も多数作られているんですね
恒枝:
犬を飼っていることもあり、最初は犬だけを作っていました。
その後、イベントなどでお客さんからのリクエストに応えていくうちに、干支シリーズ、動物園シリーズ、家畜シリーズと、バリエーションが増えていきました。
犬については愛犬の写真を送ってもらい、その子に似せた作品を作る「我が家の犬」のオーダーメイドも受け付けています。ちなみに2026年6月に東京で開催される個展にも、ご依頼のあった作品を持っていく予定です。
──最後に、読者にメッセージをお願いします
私は、自身の作陶活動を「陶芸家の先生」というよりは、「雑貨屋の延長」のような感覚で捉えています。備前焼と聞くと少しハードルが高く感じられるかもしれませんが、私が目指しているのは、あくまで「生活の中で使うと少し楽しい」と感じられる、普段使いの器です。
備前焼は、使い込み、洗いを重ねるごとに表面が研磨され、だんだんと艶が増して色のコントラストがはっきりしていきます。日々の生活の中で、器が変化していく様子もぜひ楽しんでください。
浅口市のアトリエにも、ぜひお気軽にお越しください。そして実際に器に触れていただき、皆さまと直接お話しできることを楽しみにしています。
留守にしていることもあるため、アトリエに足を運ぶ場合は、事前に連絡をお願いします。
皆さまの毎日の食卓が、私の器を通じてほんの少しだけ豊かなものになれば、これ以上の喜びはありません。
おわりに
以前取材した「つねき茶舗」にて、親戚に浅口市で活動している備前焼作家がいると聞き、2026年4月に開催された「うみの市」にて恒枝さんにお会いしたことが、取材へとつながるきっかけになりました。
また、恒枝さんが現在拠点とする浅口市は、富良野を舞台にした名作ドラマ「北の国から」の脚本家である倉本聰(くらもと そう)氏が戦時中に疎開していた場所です。
筆者も学生時代、富良野市に長期滞在しながら山部地区のメロン農家にてアルバイトをした経験があります。カレー店と農家、業種は異なれど恒枝さんの話にシンパシーを感じると同時に、かなりローカルな話を聞けたことも取材を通じた貴重な経験となりました。
偶然のような必然が導いた富良野市での独立と浅口市への移住。北の大地で育まれた「用の美」を備えた普段使いの備前焼を通して、これからも使い手の暮らしに楽しさと彩りを添えていくことを願います。