【静岡の高校サッカー戦後史Vol.45】清水東に相馬直樹、斉藤俊秀、野々村芳和がいた1989〜90年度、全国選手権へ
【清水東高⑯】選手権 連続で上位逃す
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。
1987年(昭和62年)度、清水東は順大を卒業したばかりの膳亀信行(現・静岡高教)を新指揮官に迎え、新たな一歩を踏み出す。膳亀は県教委に転出した勝沢要(静岡市清水区在住)の教え子で、82年度の全国選手権初優勝メンバーでもある。
膳亀体制で初の全国選手権へ
元号も平成に変わった89年度、就任3年目の膳亀の下、全国選手権の出場権を獲得する。清水東にとっては準Vの83年度以来6年ぶり、総体を含めると3年ぶりの全国行きだった。
県予選の決勝トーナメントは、初戦で浜名にPK勝ちし、準決勝で夏の全国総体優勝校の清水商と対戦した。下馬評では不利の中、攻勢を続けた末にPK勝ちした。中盤を支えた井ノ口裕紀(西村医療器)は「3年間の全てを懸けて戦った」と気迫の勝利を強調する。
決勝は東海大一(現・東海大翔洋)と顔を合わせた。0−0の後半9分、成田優(広告美術業)がオーバーヘッドシュートを披露して均衡を破った。「練習でやっていたのでとっさに出た」左足の一撃が決勝点となり、1−0で押し切った。
相馬「全国に借りをつくってしまった」
正月の本大会は、初戦の2回戦で徳島商(徳島)を3−0と圧倒した。続く武南(埼玉)との一戦。1点を追う後半17分、「決まった」と誰もが思った成田の同点弾が不可解な判定で取り消された。0−1の惜敗に、試合後、主将の相馬直樹(J川崎監督)は「全国に大きな借りをつくってしまった」と唇をかみ、後輩たちに後を託した。
バトンを受けた90年(平成2年)度は、選手権県予選決勝でまたも東海大一と激突した。今度は0−0でもつれ込んだPK戦でしぶとく競り勝ち、2年連続出場を決めた。この年度は、ユース代表に選手を送り出した清水商が予選免除で推薦出場し、2校が本大会の舞台を踏んだ。
野々村「同じ失敗をしたのが悔しい」
選手権本番は1回戦で京都学園(京都)と対戦、前半に成田、後半に小坂圭亮(全日空)がゴールを奪って2−0で退け、上々の滑り出しをみせた。ところが、その先に落とし穴が待っていた。主力にけが人が出たことも響き、2回戦で旭(神奈川)に0−1で競り負けたのだ。前年度に続く2戦目の敗戦に、主将の野々村芳和(サッカー解説者)は「去年と同じ失敗をしたのが悔しい」と声を絞り出した。
清水商も3回戦で姿を消し、1970年(昭和45年)度の「藤枝東―浜名」以来の県勢決勝対決は幻に終わった。(敬称略)