モンテヴェルディのバロック・オペラ《オルフェオ》の魅力~指揮・濱田芳通×演出・中村敬一×オルフェオ役・坂下忠弘が語る by 岸純信(オペラ研究家)
モンテヴェルディのバロック・オペラ《オルフェオ》が、2025年2月に兵庫県立文化センター、神奈川県立音楽堂、アントネッロの3者共同制作によって上演される。 濱田芳通&アントネッロといえば古楽界の風雲児として、第53回サントリー音楽賞を受賞、先日行われた受賞記念公演・ヘンデル『リナルド』での鮮烈な演奏が大きな話題となったばかり、今回の『オルフェオ』も期待を集めている。この公演の聴きどころ・魅力について、指揮:濱田芳通氏、演出:中村敬一氏、オルフェオ役:坂下忠弘氏のコメントを交え、オペラ研究家の岸純信氏に紹介してもらった。
ギリシャ神話に基づくモンテヴェルディ作曲のオペラ《オルフェオ》(1607、マントヴァ)。詩人オルフェオは、愛妻を失って嘆くあまり、黄泉の国で「妻を返してくれ」と切々と訴える。その結果、夫妻は地上に向かうが、「振り向くな」という言いつけに背いたことで、妻は再び地の底へ。慟哭する詩人の前に、父神アポロが降臨し、諭した結果、オルフェオは昇天。宇宙を隔てて妻の魂と見つめ合う…
まるで、日本神話に七夕伝説を足したかのようなこの《オルフェオ》は、オペラ史黎明期の傑作中の傑作。同時代と比べてモンテヴェルディでは「音のエネルギー」が数倍量にもなり、他者の作が自転車なら《オルフェオ》は自動車と呼びたいぐらい、音楽の馬力が違うのだ。
それゆえこの傑作は上演が廃れない。今回は、兵庫県立芸術文化センター・阪急中ホールと神奈川県立音楽堂という、古いオペラには最適のサイズの2館で来年2月に公演とのこと。指揮者濱田芳通、演出家中村敬一、主演のバリトン坂下忠弘に抱負を訊ねつつ、その奥深さに触れてみよう。
濱田 僕にとっては神聖な作品です。子供の頃に出会い、いまだに敬意あるのみです。今の僕は、ルネサンス期の音楽に深く傾倒していますが、この《オルフェオ》は、ルネサンスの流れが導きだした初期バロックの傑作ですね。モンテヴェルディには、フィレンツェで同じ物語の《エウリディーチェ》(1600年、ペーリ作曲)を生み出した、カメラータの面々への対抗意識もあったのかもしれません。冒頭で、適当な神話の神ではなく、「音楽の神ムジカ」に歌わせるというところにも意気込みを感じます。なお、バロック・オペラを上演する時には、必ず演奏ピッチについて考えますね。土地によって今のモダン・ピッチと半音や全音ぐらい低い高いがありました。ただ、僕は最近、初期バロックは全部モダン・ピッチでやっています。歌手たちに絶対音感がある人も多くなりましたしね。だから、今まで集めた466ヘルツの楽器は倉庫入り。全部、モダンの440ヘルツの楽器を買い直しているんですよ(笑)。
ちなみに、この「初期バロック」を考えるうえで、濱田には外せない言葉がある。それが「レチタール・カンタンド Recital Cantando」という様式である。
濱田 歌のソロが、どれも「語り」のようなんです。でも、後代のレチタティーヴォに比べて、レチタール・カンタンドでは何より、起承転結のような構成感が出ます。今回の《オルフェオ》では、作品の中核をなすそのレチタール・カンタンドの新しい捉え方に挑戦したい。ただ、全曲中のソロの中には、冒頭のムジカの歌や、黄泉の王妃プロゼルピナの曲のような、後のアリアに近いような曲もあります。そうなると、装飾の付け方も他の部分とは異なってきますね。本番まで試行錯誤が続きます。
ここで中村が発言。
中村 17世紀の当時、作曲家は、自分の周りに居た歌手たちの資質を分かったうえで、彼らの個性を音符に反映させていたと思います。今回、演奏集団アントネッロと一緒に活動する優れた歌い手たちも、「チーム濱田」としてみな集まってきたわけなんですよ。また、その中に、新しいタイプの歌い手も加わることで、結果として新境地も生まれますよね。みな熱心に稽古に参加してくれそうです。今回は特に、フィジカルな面でもキャラクターが自然に浮かび上がってくるような、それぞれの役柄に相応しいキャスティングだと思っています。
濱田 演奏スタイルの統一が大切ですから、いつもご一緒して下さる皆さんには感謝あるのみです。
そこで、この《オルフェオ》独自のエンディングに話題が移る。アポロが息子に「お前は喜びすぎ、悲しみ過ぎたのだ」と言い含めるという - ハッピーエンドではないが、悲劇でもない - 不思議な余韻の残る幕切れである。
中村 なんというか、「正しく生きる」といった感じの終わり方ですね(笑)。音楽の中にお話が浄化されてゆく、希釈されていくような。
濱田 だから、そこが音楽表現として、一番難しいんですよ。モンテヴェルディより少し前にこのドラマをオペラ化した作曲家たち、ペーリやカッチーニの作品だと、大貴族たちの結婚式でのもてなしの一環で上演されましたから、「完全ハッピーエンド」のエンディングなんですね。
確かに!祝賀の席にはハッピーエンドの方が相応しい。
濱田 しかし、15世紀の《オルフェオ物語》(オペラ史前のオペラと呼ばれる作)だと、神話通りに主人公が殺されます。でも、モンテヴェルディの結末は曖昧。ただ、本作のこの終わり方は感動的で、後の時代に絶大な影響を与えたようです。例えば、モンテヴェルディの弟子であったとみなされる後代のカヴァッリも、名作《カリスト》でそういった余韻の遺る終わり方を踏襲しています。その辺りの微妙なニュアンスも、今回の《オルフェオ》上演では突き詰めたいですね。
中村 稽古場でどんな発想が出るか、僕も愉しみです。何しろ濱田さんは「宇宙人」だから(笑)。宇宙から音楽界を俯瞰したかのように、もの凄い量の曲を把握され、その蓄積から新しい世界を作られますからね。僕たちは、現代人として現代人の側から楽譜を読んでゆきますが、濱田さんは、作品が誕生した時代よりも前の時代から、その楽譜を「見詰める」方なんです。つまりは、楽譜の裏側に存在する「作品が生まれてくる当時の周辺状況や、その前提の部分」もご存じなんですね。だから、解釈には本当に、毎回、びっくりさせられますね。
濱田 (笑)。宇宙人と言われましたが…僕自身は小学生の頃からバロック音楽に嵌っていまして、でも中学に入ったら、「あ、バロックじゃない、それよりも前のルネサンス期の音楽だ!」と思って、それから今に至るんですよ。
中村 本当に、情熱漲る方だと思っています。
ところで、今回は、兵庫と神奈川でそれぞれ2日連続公演。計4回上演されるとのこと。指揮者、演出家も大変だが、出演歌手たちにとっても、エネルギッシュなスケジュールと言えるだろう。
中村 オペラ制作の現場は変わらず予算的にも厳しいですが、今回は日程も凝縮させましたので、いっそう良いものをお届けすべく、みな励んでいます。
そこで主演の坂下からも一言。いつも冷静な彼は、オペラの現場に漂いがちな「外連味」を感じさせない、不思議な歌い手である。
坂下 濱田さんは、歌手の声のキャパシティを超えて「引っ張って行って下さる」先生です。毎回、稽古場で化学反応が起きるような、新しい世界に誘って下さる方です。例えば、濱田さんとご一緒すると、歌っているうちに「欲」が無くなるんですよ。もう15年ほどのお付き合いですが、ひたすらそのまま歌うのみ…僕は本番で一切水も飲まないし、歌い終わった後に食欲も出ないので、周囲から不思議がられますが(笑)、そういう欲だけではなく…でも、濱田さんの稽古場は本当に面白いです。毎回、最初にバーンと仰ることに歌手たちはついてゆけず、「なんで?」とは思うんですが(笑)、先生は過去の楽譜に対するリスペクトが凄く、そこから導き出したポイントを最初に提示されたんだと、後から分かってきます。だから、最終的に納得して歌えるんですね。
濱田 坂下さんは本当に、「音楽の精が歌う」かのように表現されます。繊細です。
中村 彼とチーム濱田の良き皆さんと、充実したステージを作り上げます!
文・構成:岸純信(オペラ研究家)