白人は敵か救世主か?メラネシアに生まれた「ジョン・フラム信仰」とカーゴ・カルトの謎
太平洋戦争時、アメリカは対日の拠点を構築すべく、メラネシアの島々に大量の物資を運び込んだ。
現地の島民たちにとって、突然現れた米軍は本来は歓迎できる存在ではなかった。
ところが米兵たちは、要らぬ反感を抱かれぬよう島民たちにフレンドリーに接し、あまつさえ物資の一部を手渡したのである。
島民たちは、今まで見たこともなかった食料や日用品にカルチャーショックを受け、やがてそれら物資を「神の恵み」だと解釈するようになった。
こうした船や飛行機によって運ばれて来る「積荷(カーゴ)」を、神や先祖がもたらす恵みとして崇拝する信仰を、カーゴ・カルト(積荷信仰)という。
今回はメラネシアを中心に語られてきた摩訶不思議な信仰、カーゴ・カルトについて見ていきたい。
初期のカーゴ・カルト
カーゴ・カルトの歴史は想像以上に古い。
実は太平洋戦争以前にも、カーゴ・カルトに類する宗教運動というのは存在した。
初期の例として、19世紀のフィジーで発生した「トゥカ運動」が挙げられる。
当時のフィジーはイギリスの植民地下にあり、白人支配に対する島民の不満は高まっていた。
この運動では、ナヴォサヴァカドゥア(?~1897年頃)という人物が以下のように説いた。
「先祖の霊が島に帰って来る時、白人どもは海へと投げ出されるであろう。さすれば奴らの舶来品は富として我々に分け与えられる」
彼の扇動によりフィジーの島民たちは猛り狂い、やがて白人たちへの抗議活動へと繋がっていった。
最終的にナヴォサヴァカドゥアは捕らえられ、島外へ追放されたが、このトゥカ運動の熱気は後にメラネシアの他の島々へも伝播し、カーゴ・カルト形成の下地になったと考えられている。
他に有名な例では、パプア準州(現在のパプアニューギニア南部)で発生した「ヴァイララ狂信」がある。
1919年、エバラ(生没年不詳)という老人が突然トランス状態に陥り、奇妙な予言を語り出した。
「まもなく先祖の霊が蒸気船に乗って帰って来る。積み荷には多くの舶来品が入っている。我々はそれを受け入れる準備をしなければならない」
この予言に島民たちは熱狂し、先祖と交信するための「アンテナ」を島のあちこちに立て始めた。
当時のパプア準州はオーストラリアの統治下にあり、島民たちの間には白人支配への不満が蓄積していた。
ところが意外なことに、彼らが語る先祖の霊は自身らと同じ褐色のメラネシア系ではなく、白人と同じ白い肌をしているとされた。
不思議にもこれは、多くのカーゴ・カルトに共通する特徴の一つである。
いかに白人が憎くとも、その文化や舶来品には強い憧れがあった、という島民たちの複雑な感情が伺える。
ヴァイララ狂信はその後も断続的に続いたが、1920年代後半には廃れたとされる。
ジョン・フラム
やがて太平洋戦争が始まると、カーゴ・カルトは最盛期を迎える。
この時期を代表するカーゴ・カルトといえば、バヌアツのタンナ島で始まった「ジョン・フラム信仰」をおいて他にないだろう。
かつてタンナ島は他のメラネシアの島々と同じように、白人による植民地支配を受けていた。
伝統的な習慣は抑え込まれ、島民たちは白人の生活様式に合わせるよう無理強いをされた。
そんな時、島民たちの前に謎の人物が現れた。
その人物は自身を「ジョン・フラム」と名乗り、島民たちに向かって、自らの伝統とアイデンティティを守るのだと説いたという。
このジョン・フラムの正体は全くもって不明だが、島民を哀れに思った白人であったとも、米軍兵士の姿が伝説化したとも、精霊的な存在だったとも言われ、さまざまな説が存在する。
ジョン・フラムの扇動により、島民たちは西洋的な生活様式を捨て、伝統的な生活様式に回帰していった。
この時、ジョン・フラムは「いずれ白人たちを追い出す救世主が現れるであろう」といった予言を残したとされる。
やがて太平洋戦争が始まると、タンナ島を含むニューヘブリデス諸島一帯には、米軍の基地や補給拠点が置かれるようになった。
米兵は従来の白人たちとは違って友好的に映り、周辺の島々には大量の物資が運び込まれ、酒やタバコを含む物資の一部が島民たちにも渡った。
植民地支配により抑圧されていた島民から見れば、米兵たちの姿はまさしく、ジョン・フラムが語った救世主そのものに映っただろう。
戦後のカーゴ・カルト
太平洋戦争が終わると、米軍は速やかにメラネシアを去った。
すると、戦時中に弱まっていた植民地当局の統制が再び強まり、島民への圧力も戻っていった。
だが島民たちは、米軍の到来により強化されたジョン・フラム信仰を胸に、白人たちに毅然と立ち向かった。
もはや力による抑制だけでは収まらないと見た植民地当局は、1950年代後半になるとジョン・フラム信仰を一定程度黙認するようになったのである。
その後は、ジョン・フラム信仰にも地域差や解釈の違いなどが現れ始め、さまざまな分派が発生するようになった。
著名な分派の一つに、1957年にナコマハ(生没年不詳)という人物が中心となり発足した、「タンナ陸軍」が挙げられる。
陸軍とは名ばかりであり、実際は米軍のコスプレをし、軍事訓練を模した行進を行う集団である。
現在でも毎年2月15日(通称John Frum Day)になると、竹で作った模造銃を担いだタンナ陸軍が、各地を練り歩くのが恒例となっている。
実在したかどうかすら定かではないジョン・フラムだが、その名は今でも人々の心に深く根付いているのである。
参考 : 『Mambu. A Melanesian Millennium』『The Vailala Madness and Other Essays』『Quest in Paradise』
文 / 草の実堂編集部