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ハウンドドッグを笑う奴は誰だ

さんたつ

あれは高1のときだった。頭の悪い学校に通い、担任の小井戸がいる社会科の教員室に呼ばれた。小井戸は朝日新聞を読んでいた。番組表の横にハウンドドッグのライブの広告がデカデカと載っていた。そこにはこんなキャッチコピーがあった。 “ハウンドドッグ日本武道館10DAYS” その下には長いセリフキャッチ。 “武道館10days オレはかりたてられる 武道館10daysあきらめない 大友康平“ 小井戸の前ではおくびにも出さなかったが、軽く面食らった。だってロックミュージシャンの夢である武道館を10日間もやるっていうんですよ? しかもこの後1日追加され、その日はファンに無料で開放したと知ってグッときた。小井戸が何を話したかまるっきり覚えていないけど、ハウンドドッグのその広告は脳裏にはっきりと焼き付いている。 ハウンドドッグはこの前年、日清カップヌードルのCMに「ff(フォルティシモ)」が起用されてブレイクした。 “愛がすべてさ 今こそ誓うよ 愛を込めて 強く強く” わかりやすい歌詞ですね。 ちなみにこの頃カップヌードルのCMに使われた主題歌はすべて大ヒットしていた。大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」、中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」、鈴木雅之の「ガラス越しに消えた夏」(作曲とプロデュースが大沢誉志幸)。みんなブレイクした。 ハウンドドッグはこれより前に一応売れていたのだけれど、全国区になって「夜のヒットスタジオ」など歌番組に頻繁に出るようになったのはここから。 ハウンドドッグは売れた。売れた。まあ売れた。ハウンドドッグを仕掛けた事務所はMOTHER。MOTHERは所謂「ギョーカイ」に興味がなかった素人の僕でさえ「あそこは他と一線を画す」という認識を持たせた。なんせハウンドドッグの他に尾崎豊、ストリート・スライダーズ、レッド・ウォリアーズ、LOOK(!)、泉谷しげるなど。みんな男臭い。みんな大好物。栄華を極めていた。 ハウンドドッグの戦略はカリスマ性を持つボーカリストの大友康平はもちろん、先述した煽りの広告と「●days」で、次々とライブの動員数を増やしていくもの。「応援したい」とファンを駆り立てるものだった。はい、僕もその動員にまんまと貢献しましたよ。あー小っ恥ずかしい。 僕の初ハウンドドッグライブは、記憶が正しければ1988年8月26日。「西武球場5days」の中日だった。超満員。入場曲は「炎のランナー」。花火の代わりに巨大スポットライトで空を照らす大掛かりな演出。「ff」の最中ずっと腕を振り上げなければならないので右肩が疲れたことぐらいしか覚えていない。 あ、もう一個思い出した。同じ日にチェッカーズが東京ドームでライブだったの。それで当日夜、とんねるずがフジテレビの番組(「プロ野球ニュース」の特別版?)で、見慣れないキャスター仕事を務めていた石橋と木梨が「西武球場まで野球を観に行ったらハウンドドッグがライブをしていました」「僕は東京ドームに行ったらチェッカーズがやってました」とニヤニヤしながらコメントしていた。なんでこんなくだらないことを覚えているのだろう。悲しくなってきた。 翌年、ハウンドドッグは「首都圏30days」なるツアーを企画する。友達の椿くんに誘われて横須賀まで足を延ばした。あと1日は確か千葉。両方とも小さいハコで、大友康平が舞台袖までやってきたので見ていた2階から階段を駆け下りた。 この頃だろうか、この連載に何度となく出てくるTBSラジオ「サーフ&スノー」に、女性リスナーから送られてきたハウンドドッグのライブ感想のハガキが読まれた。平たく言うと「みんなで一糸乱れず拳を振り上げる様子が、我にかえると怖い感じがした」。 今よりずっとアホだった僕は「なんじゃそりゃ」と反感を抱いた。もちろん今はわかる。その後U2が敢行したワールドツアーで、ライブがいかにヒトラーの演説と同じ構造を持つか、観客を熱狂に駆り立て、ファシズムや全体主義を生み出すかをシニカルに実証した。それにしてもあのハガキを選び、読みあげたDJの松宮一彦はなんと賢者だったことか。

ロックだけでなく、ロールをすることの重要性

話をハウンドドッグに戻す。翌年、ハウンドドッグは駄曲揃いの2枚組『VOICE』をリリース、武道館15DAYSを強行する。さすがにみんな付いていけなくなってきた。15日のうち半数はガラガラだったと聞く。あとは奈落の底に落ちていくように人気が急降下していった。それもあるのか、2006年あたりにメンバーと揉めて、そのメンバーが大友から送られてきた解雇通知メールを「フライデー」に公開した。現在のオリメンはボーカルの大友康平のみ。

ほぼ同じ時期に亀田三兄弟の次男、亀田大毅が試合で勝った後に、「ff」と並び立つぐらいヒットした「ONLY LOVE」を歌うパフォーマンスを披露するも再評価にはまったく結び付かなかった。

全盛期時代の名曲「バッドボーイブルース」の歌詞にこうある。

“噂じゃ俺もここまで あいつは背を向け言った 昔のアンタは光ってた“

自分が書いた歌詞が年月を経て自分にかえってくる恐怖。森高千里の「私がオバさんになっても」みたいな明るさと確信犯とは違う。

いまハウンドドッグのウィキペディアを覗いたら、バンドに必須のストーリー性の記述も少なく、思いっきり簡略化されたものだった。テキストの半分は解散騒動にまつわるもので大切なことは書かれてない。まるで何事もなかったかのように、数字だけの「10days」があるだけ。あの頃ハウンドドッグのライブ会場で、みんなが拳を振り上げたことなどなかったかのように。

こういうとき、思わざるを得ない。「人」の「気」と書いて、「人気」って何だろう。ブレイクするのは大変だが、人気の維持はもっと難しい。ミュージシャンではないけれど、自分も人気稼業に就くようになってそれがいかに過酷なことかわかるようになった。

テレビのバラエティ番組でたまに大友康平を見かけるが、あの頃の面影はない。ハウンドドッグが所属していた事務所MOTHERの公式サイトは閉鎖されたままだ。

でもね、人生の一時期にあれだけ人気がある日々を送れたことは幸せではないだろうか。武道館に一度も立てずに解散するロックバンドのほうがずっと多いのだから。武道館15日なんて途方もない記録はいまだに破られていない。日テレプラスの特別番組「ハウンドドッグ40thアニバーサリーライブ2020」を見ていたら、大友康平が黄金時代と比べたら決して多いとは言えない観客を前に、全力で歌っていた。精いっぱいシャウトしていた。ロックだけでなく、ロールをすることの重要性がそこにあった。こんな気持ちもこの歳になってわかってきた、ようやく。

あんなに汗臭いのと暑苦しいバンドは今いない。いつかハウンドドッグがオリメンでリユニオンして、再評価される日が来ることを願う。

文=樋口毅宏 イラスト=サカモトトシカズ
『散歩の達人』2020年7月号より

樋口毅宏
作家
1971年東京都豊島区雑司が谷生まれ。出版社に勤務したのち、取材で出会った白石一文氏の紹介により、2009年『さらば雑司ヶ谷』(新潮社)でデビュー。2020年3月には、雑誌「散歩の達人」の連載をまとめた『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』を上梓。

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