【創業123年】木下サーカスの魅力は「家族を大事にする思い」だった / 木下英樹取締役インタビュー
現在、木下大サーカスは福岡県北九州市の「ジ アウトレット北九州」で公演を行っている。会場はアウトレット敷地内の「北2駐車場」だ。16年ぶりの北九州公演ということで連日大勢の観客で賑わっているらしい。
今回は、会場に足を運んで現場で活躍している団員の皆さんにインタビューを敢行。旗揚げから123年を迎えた木下大サーカスの歴史や魅力について聞いてきた。読んだらさらにサーカス鑑賞が楽しくなるかも……!
・木下サーカス会場へ
年間100万人以上の動員数を誇る木下大サーカス。ベテランから若手まで約60名の団員が日本各地を転々としながら共同生活を送っていて、今回お話を伺ったのは、木下英樹取締役だ。公私共に大変お世話になった英樹さんに昔話を聞かせてもらった。
──英樹さんが木下サーカスに入社したのは2002年ですよね。入社前はサーカスとどのような関わり方をしていたんですか?
「そう、入社したのは木下サーカス100周年の時だから、2002年だね。今の社長、私の父が社長になったのが小学校5年生くらいの時で……小学生の頃は春休みや夏休みにサーカスの現場によく遊びに行ったね。社長(当時は常務)のコンテナに泊まって」
──そうだったんですね。
「地元・岡山公演の時は売店でレジをしたり、ジュースの補充をしたり、それも楽しみの1つだったかな。中学生になったら、現場で働いている当時の若手が18歳〜20歳くらいで、お兄ちゃんたちに遊んでもらえるのが楽しみだったというか。
正月になるとサーカスの子供たちが12〜3人集まるから、バックヤードでみんなで遊んだね。
公演中は舞台を見て、公演後は今も空中ブランコのキャッチャー(フライヤーをキャッチする役)をしている中園さんや、児島さん(空中ブランコの紙破り飛行などで活躍)が一輪車や空中ブランコの練習をしていたから、それを見学したり……」
──その頃から、いつかは空中ブランコを飛びたいって考えていたんですか?
「うん、中学生になったくらいで中園さんや児島さんの世代と関わることが多くなって、中学を卒業したら入りたいとか高校を卒業したら入りたいとか、気持ちがだんだん強くなったんだけど、入団したらずっと家の仕事だから。
それで大学を出て、カナダに1年間留学をして、23歳の時に正式に入社。それが2002年の木下サーカス100周年の時になるんだね」
──入社後すぐに空中ブランコの練習を始めたんですかね?
「もちろん舞台志望で入ったけれども、まずは入口の接客とか、事務所の電話対応とか、駐車場の整理、入場列の最後尾、チケット売り場にも入ったね。俺は舞台志望なんだけどな……と思いながら、半年くらいはお客様対応の仕事をしたのかな。
それで入社から9カ月か10カ月経った頃に、ピンスポットをやらせてもらえるようになって。そこで誰がどういう順番で舞台に出ているとか、後見(こうけん:舞台装置の出し入れ等を行う演技補助)の動きとか、舞台全体をがっつり勉強させてもらったね」
──その経験が今後の仕事(後見や芸人)に生きるわけですね。
「そう、それで空中ブランコの練習が始まるんだけど、同時期に練習していた高岡君(現在も空中ブランコ等で活躍)は新体操でも全国で1、2くらいの実力があって……
彼はすぐにオープニングショーのバク転でデビューして、スーパーキャッツ(跳び箱とトランポリンのコミックショー)に出演して、空中ブランコの練習を始めたところだったから、いつも追いついてやろうという気持ちがあった。
後見の仕事もいつも2人で相談して、1回の公演で4回か5回はアンドン(舞台装置や照明を吊っている天井板)に上がる。アンドンで仕事をすると、舞台の危険を知ることにもなる」
──全部つながっていると。それでデビューをしたのが……
「空中ブランコのデビューをしたのが2004年の7月2日。大阪・鶴見緑地公演のラスト1週間くらいでデビューして、すぐに岸和田に行って……岸和田は台風で大変だったね」
──大変でした。ちなみに昔と今では練習環境も変化してますか?
「昔は、とくに伝統芸や古典芸はやっぱり自分の可愛がっている子に受け継いでもらいたいという風潮があったと思うし、舞台裏の普段の生活が大事だったんじゃないかな。もちろん今も大事だけど。
たとえば、竹渡り(つるされた竹の上を渡りながら芸を演じる日本古典芸)の練習は朝5時からで……」
──舞台を丸々使う芸だからステージが空いている早朝に練習を始めるんですね。
「うん、冬は寒いから石油ストーブを置いて先生が座る場所をあったかくして、コンテナハウスに行ってノックをして『練習の準備ができましたので、よろしくお願いします』と言ってから練習が始まるという……」
──そういう心の部分も含めて芸が受け継がれていく……と。
「今の練習スタイルはどんどん改革されてきて、向き不向きはあれど、基本的には新人がどんな芸にも挑戦できる環境だと思う。
とはいえ、高岡君が新人向けに体操教室をやっていて、どんな有望な新人でも『あの芸をやりたいから教えていただけますか』『はい、いいよ』とはならなくて……
『俺が教えてあげたい、と心の底から思わせるような気持ちで言ってきてほしい』と後輩に伝えていたね。それは普段の練習だけでなく生活態度もという意味なんだと思う。気持ちの部分は今も昔も変わっていないのかな」
──そういえば、会場内にフォトスポットが増えましたね。
「廃材で作ったものが多いね。神龍(空中ブランコ等)もマイキー(ローラースケートショー等)も宮内(オートバイショー等)も溶接免許を持ってるし、みんなが『こういうスポットがあってもいいんじゃないか』って相談して作ってるよ。
やっぱり写真ってすごい大事で、社長とも子供の頃は家族で海に行ったりキャンプに行ったり、家族の思い出の写真がいっぱいあるんだよね。もちろんサーカスで撮った写真もあるし……
サーカスって家族みんなで写真を撮れる場所だから、お客さんにとって10年後、20年後、50年後にも1枚の写真が残っていると思うと、なんだかいいよね、幸せの形だよね」
──次にいつ自分の街にサーカスが来るか分かりませんからね。
「そうそう、今回の北九州公演でも16年前に会場で買ったスターライトを持ってきているお客さんもいて。子供の頃に親に買ってもらったライトを持って、今度は自分が親になって子供とサーカスに来ている。そういうリピーターの方も多いよ」
──北九州公演、6月30日の千秋楽まで頑張ってください!
・木下サーカスは北九州で公演中
というわけで、今回はここまで。木下サーカスのいわゆる徒弟関係もフォトスポットも、サーカスならではの家族を大事にする思いが土台になっていることが分かっただろう。
また、木下英樹取締役が考える「木下サーカスの未来」についても伺ってきたので、それは別の機会に紹介したい。
くり返しになるが、北九州公演は6月30日まで。その後、名古屋公演が7月13日から10月27日まで予定されている。お近くの方はぜひ足を運んでサーカスの生の迫力を感じてみてほしい。今まで経験したことのない感動が味わえるはずだ。
参考リンク:木下サーカス
執筆:砂子間正貫
Photo:RocketNews24.