中村あゆみさんと、ハイアット リージェンシー東京ベイで優雅な夕暮れ時を。
昼から夜へと生まれ変わる夕暮れのひと時……Magic Hour。そして、海と緑に囲まれた癒しのリゾートホテルの優雅なリラックス空間で、素敵な景色と音楽を楽しみながら、幅広いジャンルのお客様を迎え、さまざまな話題でトークする番組です。
今月のゲストは、アーティストの 中村あゆみさん。
最上階10階にある 『エグゼクティブ オーシャンビュー テラス スイート 1007号室』で
東京湾を眺めながら、お話伺います。
要:いや~!声がハスキーですね!
中村:これでも、小さい頃より綺麗になったんですよ!
要:そうなんですか!?
中村:ちっちゃい時は、喋っていると声が無くなるんですよ。デビューした時、すぐにラジオさせていただいて、『何を言ってるのかわからない』ってクレームがバンバン来ちゃうくらい、大変でした(笑)
今月4週間にわたって、中村さんにお話を伺っていきます!
『女優になってきます~』と言って上京⁉
1984年にデビューされ、今年で40周年を迎える中村さん。子どもの頃は歌手への憧れは無く、学校で合唱をやる時には、カスタネットやトライアングルなどを担当し歌は避けていたそう!
中村:声がこんな感じなので、歌なんて恐れ多いと思っていて、、、ただハスキー系のね、小学生の時ピンクレディーが流行ってケイちゃんやって!って言われたり、あと西城秀樹さんとかあのままの声が出たので(笑)
要・近藤:(笑)
中村:なんか一発芸とかそういうのはでは役に立ってたんですけどね、なかなか歌うっていうのは、、だから九州から出て来た時も、女優になってきます~とか言って(笑)
上京のきっかけは、お母さまが経営するクラブ。平尾昌晃さんとお友達だったそう!
中村:平尾昌晃さんに紹介されたとき『すごい変わった声をしてる!顔と声が一致しないね!』とか言って面白がってくださって、うちで預かるから東京に来させればいいじゃんって
要:すごい話ですね!
中村:やった東京だ!とか思って、初めて興味が出て、東京行ってみたいなって。
遊びから繋がったデビュー
平尾昌晃さんに言われて東京に出て来た中村さん。最初に暮らしていたのは、平尾さんの六本木にあったお家。ルームメイトの友人と事務所の奥の和室で暮らしていました。
中村:平尾さんの奥様が私たちと同じくらいで。行くわよ、あんたたち、着いてきな!って(笑)六本木に遊びに行くっていう(笑)
要:あはは(笑)
中村:色んな人を紹介してもらって。ちょっと歌ってよって言われたりもして、ハイ!って歌ったら、みんな喜んでくれて(笑)そうやって遊んでいる時に、肩にかけてタイトスカート履いた女子がタッタッタと歩いてきて『あなた面白いわね、ここに住所・電話番号書いて』って。それがきっかけだったんです。
要:へえ!
中村:『うちではできないけど、あなた面白いから知り合いを行かせるわ!』って。もうそんなこと忘れてお家に帰ってきたら、玄関の所に名前と電話番号が書いてあって。それが今のマネージャーで、そこからの付き合いです(笑)
要:ええ、すごい!
中村:その彼女のお兄さんが、加山雄三さんの事務所のマネージャーをやっていたので、私も加山雄三さんの、船長のところでお世話になりました。
要:船長って言うんですね!
近藤:流れ着いたわけですね!」
きっかけは、、、反抗心!
デビューから8カ月ほどで翼の折れたエンジェルが大ヒット。
そんな中村さんに、ご自身で作詞作曲を始められた時期について、お伺いしました。
中村:最初は反抗、、、翼の折れたエンジェルを作ってくださった高橋研さんに反抗してしまう時期があったんです。すごくロマンチックな人で、男性にとってこんな女性であって欲しいみたいな。でもそんなに美しくないんだけど!そうやってまとめないで!という感情がクツクツと出てきて。そういうレジスタンスの中から出てきましたね。
要:へえ…!
中村:それが、20歳、21歳の時かな、
要:まだ21歳!?
中村:18歳でデビューして、もう年に2回くらいアルバムを作るっていう。その時レギュラーのラジオもやっていて、ツアーも日本中周るので…もう壊れそうになってましたね、、、(笑)
要:なんか自己プロデュースをするようになって、ご自身で発見したこととか、ありますか?
中村:自己プロデュースはするもんじゃない!ってことですかね
要・近藤:あはははは(笑)
近藤:何に一番体力を使いました?
中村:できないことをやるわけですからね、、今、当時の自分に言うんだったら、、、『そういうことをするんじゃない』と。周りに有能なプロデューサーをつけたり、スタッフの人の話を聞いたりをねお勧めしますね(笑)でもね、自我が出て当然なんですけどね、、
要:若いですしね。
負のエネルギーをプラスに!
自己プロデュースといえば、中村さんがオーガナイズするイベントが開催されます。
第一回目はコロナ禍の真っ只中に開催されましたが、そのきっかけがまさにコロナ禍でした。
中村:コロナ禍、密ということでライブができなくて本当に私たちの業界は低迷して、、アーティスト同士で、今後私たちどうなるの?っていう話題が出るわけですよね。
要:不安でしたよね、、、
中村:また別に、普通のお友達もたくさんいてランチ会とかもよくするんですけど、特に若手のママたちが『今日行けなくなっちゃいましたって、子どもを預かってもらえなくて、リモートで旦那が居てご飯作らないといけなくて、、、』ってね、愚痴をよく事がおおくて。
要:うんうん
中村:この負のエネルギーをプラスに変えられないかなって思ってプロデューサーに相談したら『これはママ×ママだなって。』ママアーティストが、コロナで疲れたママを応援する!これって最高って言って、文化庁に申請したら通りまして。そこからスタートしたんです。
中村さんは、出演する皆さんにはラブレターを送るそう!
中村:誰でもいいわけじゃないんです。是非あなたが必要なんだ!と…!
(TBSラジオ『要 潤のMagic Hour』より抜粋)